今回歩く道は初めて歩くところなのですが、西南側に、近く恵那山が聳えている筈です。しかし、この道からはまだ見えていませんでした。
恵那山にはこれまでに何十回となく行っていますが、その帰り道に富士見台まで足を延ばしたこともありますが、富士見台だけを目指してやってきたことはありませんでした。
なので、この際は、神坂(みさか)山を先に登ってから、その後で富士見台に行くことにしました。
ヤマハハコ ↓
この花もアキノキリンソウと同じように、何度も出てきました。
一本立 ↓
今まで歩いて来たこの山道は「古代東山道」ということだそうで、その起源は大宝年間(紀元701年)頃に遡るそうで、滋賀県の瀬田から宮城県の多賀城に到る道だったようです。
その当時、この神坂峠越えの道普請は相当な難工事だったようです。
以下はネット上で調べたことですが・・・・(引用開始)
「続日本紀」の大宝2年(702年)の記録に「初めて美濃国の岐蘇山道を開く」とあり、この「岐蘇」とは木曽谷を通る新しい道を開いたという通説と、神坂峠を越えるコースが整備されて「駅」の整備も整ったという説の二つがあります。
その後、木曽路を通った記録はなく、神坂峠越えは大変だったという記録が多いことから後者が有力となっている。(引用終了)
さて、話を戻しますが、「一本立」とはどういう意味なんでしょうか?
山ヤ用語では休みを入れることを「一本立てる」と言いますが、辛い山道を歩いてきて、このあたりで一休み入れたのでしょうか。
千本立の旧放牧牛の追い込み柵 ↓
鉄の骨組みが物々しい場所があります。この山で放牧を行っていたのでしょうか。一体何時頃から何時頃まで放牧をやっていたのでしょうね。
恵那山 ↓
恵那山の上部がやっと見えて来ました。
ナナカマド ↓
ナナカマドに赤い実がついていますが、葉の紅葉は未だです。
ダケカンバ ↓
ダケカンバの背後の空はぞくぞくするような青空で、山上にこの身が乗り出すのを楽しみにしています。
萬岳荘背後の峰 ↓
青空に一つのピークが見えて来ました。あの峰には行きませんが、その右のもう少し高いところを目指します。
萬岳荘 ↓
樹間に立派な建物が見えて来ました。あれが阿智村村営の萬岳荘です。帰りに立ち寄ることにします。
神坂山取付き口 ↓
萬岳荘のすぐ手前から右に入り、神坂山に取付くことにします。
斜面を右に行く ↓
あの際を右に登って行きます。空は願ってもない青空です。
リンドウのドライ ↓
リンドウの花はどれも終わっていて、ドライフラワーとなってしまい、独特の色は残ってはいませんでした。
1710m峰 ↓
先ほど見た萬岳荘背後の峰は、登るにつれて、より大きく丸く見えてきました。
恵那山 ↓
恵那山の姿も、ますますどっしりと見えています。
中央アルプス ↓
稜線に乗り上げる直前で、眼前に中央アルプスが見えて来ましたが、背丈の小さい木々に視界を邪魔されています。
南木曽岳と北アルプス ↓
南木曽曽岳は迫力ある見え方をしています。背後には北アルプスの峰々も見えます。
萬岳荘背後の山 ↓
今度は1710m峰が全容を現してきました。のどかな山容ですね。史跡の神坂峠はこの山のもう一つ左隣の小山の左側にあります。
ハナヒリノキかな ↓
これはハナヒリノキでしょうか。実が未だ出来上がっていません。冬に間に合うのかと心配します。
マイヅルソウ ↓
実が一粒だけ付いていました。
木曽御嶽 ↓
木曽御嶽が見えて来ました。9月26日頃から剣ヶ峰の山頂まで制限付きで解禁となるようですので、混まない時に行って見たいと思っています。
目指す方向 ↓
神坂山に登ってから、目指すのはあちらの富士見台になります。
神坂山山頂 ↓
神坂山の山頂には三等三角点の標石がありました。山頂からの視界はまずまずでしたが、周りの木々に一部の視野が邪魔されていました。
この岩の向こう側に何やら字が彫られていましたが、「岩田石」・・・・とかなんとか、判読不能でした。
恵那山にはこれまでに何十回となく行っていますが、その帰り道に富士見台まで足を延ばしたこともありますが、富士見台だけを目指してやってきたことはありませんでした。
なので、この際は、神坂(みさか)山を先に登ってから、その後で富士見台に行くことにしました。
ヤマハハコ ↓
この花もアキノキリンソウと同じように、何度も出てきました。
一本立 ↓
今まで歩いて来たこの山道は「古代東山道」ということだそうで、その起源は大宝年間(紀元701年)頃に遡るそうで、滋賀県の瀬田から宮城県の多賀城に到る道だったようです。
その当時、この神坂峠越えの道普請は相当な難工事だったようです。
以下はネット上で調べたことですが・・・・(引用開始)
「続日本紀」の大宝2年(702年)の記録に「初めて美濃国の岐蘇山道を開く」とあり、この「岐蘇」とは木曽谷を通る新しい道を開いたという通説と、神坂峠を越えるコースが整備されて「駅」の整備も整ったという説の二つがあります。
その後、木曽路を通った記録はなく、神坂峠越えは大変だったという記録が多いことから後者が有力となっている。(引用終了)
さて、話を戻しますが、「一本立」とはどういう意味なんでしょうか?
山ヤ用語では休みを入れることを「一本立てる」と言いますが、辛い山道を歩いてきて、このあたりで一休み入れたのでしょうか。
千本立の旧放牧牛の追い込み柵 ↓
鉄の骨組みが物々しい場所があります。この山で放牧を行っていたのでしょうか。一体何時頃から何時頃まで放牧をやっていたのでしょうね。
恵那山 ↓
恵那山の上部がやっと見えて来ました。
ナナカマド ↓
ナナカマドに赤い実がついていますが、葉の紅葉は未だです。
ダケカンバ ↓
ダケカンバの背後の空はぞくぞくするような青空で、山上にこの身が乗り出すのを楽しみにしています。
萬岳荘背後の峰 ↓
青空に一つのピークが見えて来ました。あの峰には行きませんが、その右のもう少し高いところを目指します。
萬岳荘 ↓
樹間に立派な建物が見えて来ました。あれが阿智村村営の萬岳荘です。帰りに立ち寄ることにします。
神坂山取付き口 ↓
萬岳荘のすぐ手前から右に入り、神坂山に取付くことにします。
斜面を右に行く ↓
あの際を右に登って行きます。空は願ってもない青空です。
リンドウのドライ ↓
リンドウの花はどれも終わっていて、ドライフラワーとなってしまい、独特の色は残ってはいませんでした。
1710m峰 ↓
先ほど見た萬岳荘背後の峰は、登るにつれて、より大きく丸く見えてきました。
恵那山 ↓
恵那山の姿も、ますますどっしりと見えています。
中央アルプス ↓
稜線に乗り上げる直前で、眼前に中央アルプスが見えて来ましたが、背丈の小さい木々に視界を邪魔されています。
南木曽岳と北アルプス ↓
南木曽曽岳は迫力ある見え方をしています。背後には北アルプスの峰々も見えます。
萬岳荘背後の山 ↓
今度は1710m峰が全容を現してきました。のどかな山容ですね。史跡の神坂峠はこの山のもう一つ左隣の小山の左側にあります。
ハナヒリノキかな ↓
これはハナヒリノキでしょうか。実が未だ出来上がっていません。冬に間に合うのかと心配します。
マイヅルソウ ↓
実が一粒だけ付いていました。
木曽御嶽 ↓
木曽御嶽が見えて来ました。9月26日頃から剣ヶ峰の山頂まで制限付きで解禁となるようですので、混まない時に行って見たいと思っています。
目指す方向 ↓
神坂山に登ってから、目指すのはあちらの富士見台になります。
神坂山山頂 ↓
神坂山の山頂には三等三角点の標石がありました。山頂からの視界はまずまずでしたが、周りの木々に一部の視野が邪魔されていました。
この岩の向こう側に何やら字が彫られていましたが、「岩田石」・・・・とかなんとか、判読不能でした。