ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

9/23日 神坂(みさか)山・富士見台 その2:進んでいく秋景色を楽しみながら、神坂山の山頂に到る。

2018-09-25 07:24:18 | 草花
今回歩く道は初めて歩くところなのですが、西南側に、近く恵那山が聳えている筈です。しかし、この道からはまだ見えていませんでした。
恵那山にはこれまでに何十回となく行っていますが、その帰り道に富士見台まで足を延ばしたこともありますが、富士見台だけを目指してやってきたことはありませんでした。
なので、この際は、神坂(みさか)山を先に登ってから、その後で富士見台に行くことにしました。

ヤマハハコ ↓

この花もアキノキリンソウと同じように、何度も出てきました。



一本立 ↓

今まで歩いて来たこの山道は「古代東山道」ということだそうで、その起源は大宝年間(紀元701年)頃に遡るそうで、滋賀県の瀬田から宮城県の多賀城に到る道だったようです。
その当時、この神坂峠越えの道普請は相当な難工事だったようです。

以下はネット上で調べたことですが・・・・(引用開始)
「続日本紀」の大宝2年(702年)の記録に「初めて美濃国の岐蘇山道を開く」とあり、この「岐蘇」とは木曽谷を通る新しい道を開いたという通説と、神坂峠を越えるコースが整備されて「駅」の整備も整ったという説の二つがあります。
その後、木曽路を通った記録はなく、神坂峠越えは大変だったという記録が多いことから後者が有力となっている。(引用終了)

さて、話を戻しますが、「一本立」とはどういう意味なんでしょうか?
山ヤ用語では休みを入れることを「一本立てる」と言いますが、辛い山道を歩いてきて、このあたりで一休み入れたのでしょうか。



千本立の旧放牧牛の追い込み柵 ↓

鉄の骨組みが物々しい場所があります。この山で放牧を行っていたのでしょうか。一体何時頃から何時頃まで放牧をやっていたのでしょうね。



恵那山 ↓

恵那山の上部がやっと見えて来ました。



ナナカマド ↓

ナナカマドに赤い実がついていますが、葉の紅葉は未だです。



ダケカンバ ↓

ダケカンバの背後の空はぞくぞくするような青空で、山上にこの身が乗り出すのを楽しみにしています。



萬岳荘背後の峰 ↓

青空に一つのピークが見えて来ました。あの峰には行きませんが、その右のもう少し高いところを目指します。



萬岳荘 ↓

樹間に立派な建物が見えて来ました。あれが阿智村村営の萬岳荘です。帰りに立ち寄ることにします。



神坂山取付き口 ↓

萬岳荘のすぐ手前から右に入り、神坂山に取付くことにします。



斜面を右に行く ↓

あの際を右に登って行きます。空は願ってもない青空です。



リンドウのドライ ↓

リンドウの花はどれも終わっていて、ドライフラワーとなってしまい、独特の色は残ってはいませんでした。



1710m峰 ↓

先ほど見た萬岳荘背後の峰は、登るにつれて、より大きく丸く見えてきました。



恵那山 ↓

恵那山の姿も、ますますどっしりと見えています。



中央アルプス ↓

稜線に乗り上げる直前で、眼前に中央アルプスが見えて来ましたが、背丈の小さい木々に視界を邪魔されています。



南木曽岳と北アルプス ↓

南木曽曽岳は迫力ある見え方をしています。背後には北アルプスの峰々も見えます。



萬岳荘背後の山 ↓

今度は1710m峰が全容を現してきました。のどかな山容ですね。史跡の神坂峠はこの山のもう一つ左隣の小山の左側にあります。



ハナヒリノキかな ↓

これはハナヒリノキでしょうか。実が未だ出来上がっていません。冬に間に合うのかと心配します。



マイヅルソウ ↓

実が一粒だけ付いていました。



木曽御嶽 ↓

木曽御嶽が見えて来ました。9月26日頃から剣ヶ峰の山頂まで制限付きで解禁となるようですので、混まない時に行って見たいと思っています。



目指す方向 ↓

神坂山に登ってから、目指すのはあちらの富士見台になります。



神坂山山頂 ↓

神坂山の山頂には三等三角点の標石がありました。山頂からの視界はまずまずでしたが、周りの木々に一部の視野が邪魔されていました。
この岩の向こう側に何やら字が彫られていましたが、「岩田石」・・・・とかなんとか、判読不能でした。
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4 コメント

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こんにちは (こりん)
2018-09-25 12:41:50
こんにちは
神坂山へ先に登ったのが私と逆でしたね。
ここから見える1710m峰の柔らかな山型が女性のように感じました。
恵那山も、どっしりとそびえ雄大ですね。
それと御嶽山の見事な事!!南木曽岳は良く見たのですが御嶽山は霞んだ状態しか出会っていません。
これから富士見台山頂からは、中央アルプス、南アルプスの展望はどうだろうかとわくわくしますね。
返信する
こりん様へ (ぶちょうほう)
2018-09-25 15:09:12
こりん様 こんにちは コメントを頂きましてありがとうございます。
神坂神社境内で50個ほど拾った栃の実を今、皮むき終了して、あく抜きにチャレンジしています。
栗の実は明日孫たちがやって来るので、焼き方実習用にまだ手を付けていません。
今回は二種類の実り(の秋)にありつけました。

このコースは全く自己流の道選びでしたが、帰って来てから御HPの記事と比べて見て、実に多くの部分で重なることに気づきました。
しかし、神坂山訪問の順番では違いが出ていましたね。
小生が神坂山を始めにしたのは、景色が時間の経過とともに落ちて来そうだと感じたので、まず始めに登ってしまおうと考えたからでした。

この山頂からは、立ち木に邪魔されたりして、やや屈託のある眺めとなりました。

乗鞍岳や北アルプスは相当な霞の中にありました。
南アルプスは逆光線で、山肌の色が見えませんでしたね。
その中では中央アルプスだけは良い光が来ていました。
なお、加賀の白山だけはどう目を凝らしても見えませんでした。
木曽御嶽も距離が近いだけに良い見え方でしたね。
間近に見る恵那山には惚れ直しました。
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神坂山 (keitann)
2018-09-27 22:29:22
ぶちょうほう様、こんばんは。

御ブログで初めて目にする山の名前のような気がします。
地図で場所を探したら、あの恵那山トンネルの真上に位置する山なんですね。阿智村といえば、私としては高速中央道を通行する際に、阿智PAで何度か休憩させていただいてますが、東京に住んでいる息子夫婦は星を眺めに阿智村まで行ったとか・・・山に囲まれた場所ということなんでしょうね。
古代東山道のお話は興味深く拝見しました。
私の住む讃岐は南海道が通っていたのですが、南海道と同じく古代の道がそんなに険しい山間部を通っていたということに驚きます。
昔の人が歩いていたということだけでロマンを感じてしまいますね。
御画像中の青空も素晴らしいですね。
四国は9月に入ってからこのような青空がなかなか見られません。
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keitann様へ (ぶちょうほう)
2018-09-28 20:47:14
keitann様 こんにちは コメントを頂きましてありがとうございます。
昨(9/27)日は、山麓の避難小屋で泊まっていました。
本(9/28)日にそこで早起きして、南木曽岳を歩いて来ました。

この記事の山行で、神坂山と富士見台から、南木曽岳がとても迫力ある姿に見えていましたので、その山に登りたくなって、台風の来る前に決着をつけてしまおうということで、”急ぎ仕事”?になりました。

そうでしたか恵那山トンネルの上の山でしたか、言われて見ればそうなるようですね。
この山道は歴史的に由緒ある道のようですね。

ところで今回は訪ねていないのですが、この付近に神坂峠というところがあり、ここは祭祀遺跡であり、wikiの記述によると:
1921年(大正10)に鳥居龍蔵が須恵器(すえき)の破片を発見したことに始まり、戦後には石製模造品・土師器(はじき)・須恵器などが出土し、さらに1967年(昭和42)からの調査の結果、祭祀関係遺物が1300点余発掘され、径約4m、高さ0.7mの積み石塚遺構も発見された。・・・・と言うことです。


御身が遠征の時は、この阿智PAでは何度か足跡を残して見えたのでしたか。

阿智村は星を眺めるのに好都合な条件がそろっていて、中部地方では若い人たちのお洒落なデートスポットにもなっているようです。

この時は思い切って出かけて、好天がアタリました。
それでも朝の時間が遅くなってくると雲が纏わりついて眺望はどんどん低下して行きました。
富士見台の山頂に午前9時16分に着きましたが、もうその時間では乗鞍岳が雲に邪魔されて写真を撮ることができませんでした。
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