ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

11/30日 作手(つくで)の竜頭(りゅうず)山 その5:危険箇所で展望を満喫し、稜線上の分岐点に戻る

2013-12-08 07:04:01 | 草花
昨日は下の孫の保育園学芸会でした。それを保育園では「生活発表会」と呼んでいました。
なんでもオペレッタを演じたそうですが4歳の子供たちの演じるものですから、笑ってしまいます。
我がところでは一人の孫に両親と爺婆、それに小学二年生の兄まで参観したのです。
他所の家でも大方そんなところでしたでしょうね。
父兄の数が実に沢山いた「生活発表会」となりました。
この子達、あの子達が将来の重たい日本を背負うことになるのですから、有難いような不思議な気持ちにさせられます。

竜頭山のレポートを続けます。
恵那山 ↓

三河の山の背後に薄く冠雪した恵那山が見えています。もうこれからあとは雪のなくなる4月末まで、普通の装備では近づけなくなります。



痩せた岩尾根上 ↓

岩尾根上はこういうところです。左右の両脇が切れ落ちていますから、油断禁物です。



鳳来寺山 ↓

この山の南東10kmのところに鳳来寺山があります。日はお山をシルエットにしています。



鞍掛山、三ツ瀬明神山、宇連山 ↓

東の方角に鞍掛山、三瀬明神山、宇連山から棚山までの尾根が屏風のように見えています。



仙丈岳ですが・・・・・・ ↓

こちらは南アルプスの北端の3000m峯ですが、手前の三河の山の稜線上に僅かに雪の峯を除かせています。どれだか判りますか。



ご当地の山の背後に南アルプス ↓

三河に明神山が二つあります。そのどちらの山にも抜群の眺望を得られる場所があります。
こちらはドームを持った平山明神山のほうです。
この山の背後に南アルプス南部の峰が聳えています。



大鈴山と南アルプス核心部分の山 ↓

こちらは大鈴山で、その山の手前に鹿島山が入ってきています。
そして大鈴山の背後に南アルプスの主要部分がデーンと納まっています。



古町高山と茶臼山 ↓

古町高山を中央に据えて、右端に愛知県最高峰の茶臼山を持って来ました。



恵那山から三河の碁盤石山、笹頭山まで ↓

今度は位置関係を確認するために少し引いて恵那山から三河の碁盤石山・笹頭山(ささのずさん)までを枠に入れて撮りました。



三河の二つの明神山の間に ↓

平山明神山と三ツ瀬明神山の間に南アルプスと鞍掛山を挟みました。



四谷の千枚田 ↓

鞍掛山の山裾に四谷の千枚田が見えています。以下は新城市のHPより転写しました。

四谷の千枚田の歴史
 四谷の千枚田には悲しい出来事がありました。
明治37年7月10日、午前11時頃、梅雨時の長雨と雨台風で鞍掛山に隣接する通称、貧乏山から山崩れ(山津波)が起こり、死者11名、家屋流失10戸という大惨事をもたらしました。
山津波は人も家ものみ込み、沢に沿って約600メートル下方まで流れ出し、沢沿いの棚田はすべて崩壊してしまいました。
先人たちはこの不幸にもめげず、近隣集落の暖かい支援のもとに鍬とモッコで棚田復興に全力を注ぎ、わずか5年ほどで堅牢な石積みの棚田に蘇らせました。
先人たちの血と汗の辛苦を耕作者や地域の人々は風化させることなく、先祖の残した偉大な財産、棚田を使命感をもって守り続けています。(引用終了)



逆光線方面の景色 ↓

もう一度鳳来寺山方面を確認します。これにて素晴らしい展望箇所を後にします。



岩尾根を下から撮る ↓

両側のすっぱり切れ落ちている岩尾根でも、下りと比べると登りは随分気が楽です。



ドウダンの紅葉 ↓

ここでもドウダンは岩尾根が好きのようで、この近辺で素敵に染まった姿をしっかりと見させてもらいました。



再び大竜頭の山頂 ↓

山頂に戻り、また下って行きます。あたりは潅木が立っていて、それにつかまりながら下れば危険は感じません。



尾根道の分岐点まで ↓

岩尾根の展望テラスへのピストンの終盤です。両端に潅木のある岩尾根を登っていきます。




分岐点に復帰

ピストンが終わりました。これから先は地図に道が引いてなくて、小生が勝手に歩く道を決めることとなります。
等高線の密度は緩くはなくて、かなり難儀しそうですので、ここで中休止を取り、お腹にエネルギー源を詰め込むことにしました。
コメント (6)
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