ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

11/29日の月は「十五夜の月」でした。そして30日は満月です。 

2020-11-30 07:03:47 | 草花
29日は十五夜の月ですが、真ん丸なパーフェクトではありません、わずかに物足らない部分もあり、月齢は13.9でした。
満月となるのは本日(11/30日)で月齢は14.9となります。(月の出は三河で16時39分)
十五夜が満月でない確率は50%以下ですが、混同しやすいことですね。

で、その十五夜の月を遠出した帰り道に見ようと思い、足を延ばして、三河八橋の無量寿寺まで行ってみることにしました。
そこは高校時代の古文の時間に「伊勢物語」の中で、在原業平が「から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と歌われたと習ったことを記憶しています。
平安の歌人、在原業平が東下りの折、カキツバタの名勝地であるこの地に来た時にに「かきつばた」の5文字を句頭にいれて歌を詠んだという有名な言い伝えがこの地に残っていて、それがためにいにしえの文人・墨客たちが多くここに立ち寄るようになっていたと聞きました。

無量寿寺は家から片道で一万歩ほど先にあります。往復二万歩はさすがに大仕事となります。
周回図 ↓

例によって同じ道を歩きたくないので、なるべく周回するようにしています。



ヒロハフウリンホオズキ ↓



この植物を今年覚えたら、途端に出会いが多くなってきました。
この外来のホオズキは熟れても赤くならないのですね。



大豆畑 ↓

大豆畑はまだ穫り入れ前です。畑の背後に恵那山の山群が見えています。



ヒイラギか?

ヒイラギかヒイラギモクセイか迷いました?今どき花を咲かせる元気ものをもう少ししっかり見ておけばよかったですね。



コスモス畑 ↓

近頃はコスモス畑をそれほど見なくなりましたね。それだけ世知辛さが深刻になったのでしょうか。



旧東海道 ↓

旧東海道とクロスします。ここに、三河八橋を案内する石の道標が建っています。



キンシバイ ↓

しばらくの間知立市と安城-豊田市を結ぶサイクリングロード上を歩きます。生垣にこの花が一輪だけ咲いていました。



夜泣石 ↓

三河八橋の無量寿寺の近辺に来ました。付近の昔ながらの狭い道路の家並みを歩いていて、こんな一角に来ました。
この石には案内書きがついていました。この石の”眺め”が良いので、無量寿寺の境内に庭石として置いたそうですが、夜中に「しくしく・・・・」となく声が聞こえたので、和尚さんが不審に思ってその泣き声のもとをたどると、この石が「元の場所に帰りたい」と泣いているではありませんか。
驚いた和尚さんが村人に頼んで元の場所に戻してあげたそうですが、お寺の境内に運んでくるときには石が重くて大人数で運んだのに、返す時には二人でも軽々と運ぶことが出来たという伝承がありました。


この石の案内書きを読んでいたら後ろから声を掛けられました。
年配の品の良い女性で、この地区の文化財保護の有力者だということで、(そのことは家に帰ってから別の人から聞いた話です。)
付近を案内していただけるという、なんともラッキーな成り行きになりました。


葦香城址 ↓

「あしかじょう」と読みます。
ここに平安時代武士の居城があったそうで、土塁や堀・曲輪などがあったそうですが、近年宅地開発されてその跡形もなくなってしまいました。
平成に入ってからの発掘調査により、それよりも以前の古代の竪穴建築物跡や戦国時代の濠や井戸も出てきたということですから、そのまま残しておいて欲しかったとも思いました。

親切な文化財保護委員の方にお礼を言ってお別れし、無量寿寺を目指します。
コメント
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