河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

本当にいい年だった

2015-12-30 19:46:04 | 日記
今年一年は、予想より一回少なくなって146回の歌声喫茶でした。

新年最初の歌声喫茶は、1月4日、日野新町交流センターの新年会から始まりました。。
来年は会場が、豊田駅の「ふれあい館」ですね。
同じく1月には大雪の中を、長野県戸隠の「ロッジ・アコールデ」へ。
そして、「お願いだからやってよン」・・とおねだりした「東京大衆歌謡楽団」
それと歌声とのコラボレーション歌声喫茶をやったのは2月の事でした。
その同月には、これもまた、おねだりしてやってもらった、
久留里の歌声喫茶に、あの森ふみさんをお呼びしてのロシアのダンス。

その素晴らしさに胸が踊り、是非にと久留里にお呼びした甲斐がありましたね。
歌声喫茶といったら何と言ってもロシア民謡。
その踊りの素晴らしい事ったらありませんでしたよね・・手前味噌ですが。

3月には、19回目の仙台バラライカへ行きました。
5月には戸隠キャンプの合間に、ロッジ・アコールデに行きました。
8月には、お祭り大好きの私が一番好きな歌声(府中どんちゃか)がありました。

10月には20回目の仙台バラライカ。
12月にも、これで21回目となる仙台バラライカ。
そして、その合間には前田さん主催の歌声バス旅行があったり。

歌声喫茶とは別にキャンプもまた行きましたね~・・・

4月には山梨県の三景園に3日間。
5月は戸隠キャンプへ5日間。
そして山梨県・西湖へ3日間。
8月には、南信州うるぎ星キャンプ場へ4日間。
9月は、千葉の久留里のかずさオートキャンプ場へ行き、そこから歌声喫茶に行きました。
そして山梨県のさがさわキャンプ場へ3日間。
10月には今年最後のキャンプ、山梨県の、このま沢キャンプ場へ。

6月には長年の夢だった初めての北海道旅行。
それは記憶に残る素晴らしい楽しい旅行でした。
10月には、俳優・柳生博さんの「八ヶ岳倶楽部」に行きました。

遊びだけで、一年間の半分は遊んでるって形。
いいんじゃない。それでこそ「人間やってる意味がある」って事だと思いませんか・・・

人間やってる意味が・・・
というと、エリカさんと知り合う前は、俺も何人かの女性と・・だったな~。
それを言うとエリカさんは不機嫌になるんですが、
やっぱ男は女性との何があるから、いいんですよね、ネ、男性諸君よ。

でも、今夜からの我が家は(正月モード)
エリカさんが数時間かけて作ってくれた料理で一杯やってると、
「俺って一人じゃなくて本当に良かった」とエリカさんに感謝。

何もかもが素晴らしい一年間でした。
いつまでもは続かない幸せな・いっとき。
そんな瞬間なんて、人生においては一瞬の輝きでしかないんですね。

でも、それが例え一瞬であっても、全く無いより、あったんだから、
その一瞬を大切に忘れないでいようと思ってます。


来年・・?
そんな先の事など誰にも分かりません。
だからこそ「今」を大切にすればネ、それでいいんですね。

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仙台バラライカ忘年会

2015-12-29 07:34:39 | 歌声喫茶
15.12.27.べんちゃんの、もうどうにも止まらない青春


歌声喫茶の最高峰・仙台バラライカの忘年会に行きました。
26日(土)が今年最後の夜の歌声。
翌27日(日)の昼が忘年会なので、二日連続での歌声です。
25日(金)には被災地・南三陸町に行ったので、3日間の宮城の旅でした。

バラライカには、これで21回行きました。
最初に行ったのは2009年10月の(仙台~深浦歌声ツアー)でした。
何も知らずに行った私は、仙台バラライカこそが歌声喫茶の最高峰だと直感しました。

それからは一年に3回程度の仙台詣で。
エリカさんは私より一回少ない20回目のバラライカ。
これは最初の一回目は、まだ私と知り合う前だったので・・・
2回目からはいつも私とエリカさんは一緒でした。

バラライカでは、私の名前を皆さんが(河童さん)と呼んでいるのですが、
誰も私の本名を知らなかったりで、それはそれで嬉しい事なんです。
河童さん、エリカさんでいいんです、歌声喫茶ってそういうもんでいいんですよね。
「そこがいい」と言った方が正解かも知れません。

皆さん、仙台バラライカの応援団に加入しましょう。
年会費はたったの2000円。
それで、バラライカに行ったら(デッカイ面)が出来るんですよ。
今どき、デッカイ面が何処で出来ますか?
アンタ如きがデッカイ面なんて、チョッと出来ないでしょ。
だから入りなさいッ!
いいから俺の言う事を聞けよなッ!入れッ!

あ、スンマセン、つい我を忘れてしまいました。
で、忘年会・・・
それはそれは凄く楽しかったッ!
近来稀に見る楽しさだったのです。
これは嘘いつわり無く、本心からこんな楽しい歌声喫茶を経験するのは、
何年ぶりだろうと言うくらいに楽しかったんです。

仙台に行く前に、バラライカにはこの土産を持っていく。
といって前日、わざわざ浅草まで行って買ってきた「電気ブラン」
2本をザックに入れての旅は重かったけど、持って行った甲斐がありました。
仙台の皆様は殆ど知らない「電気ブラン」
そういった土産って、どっかいいと思うよね~。
(ちなみに電気ブランというのは、浅草・神谷バーが独自で作ったブランデー。
今から120年くらい前の明治時代の話で、小説なんかにも登場する酒なんですね)

バラライカには40人を超える人達が集まりました。
そんな中で、私が全く知らなかった歌「夕張の子」
唄ったのは美声の吉田さん。
流れのギター弾きさんも「これを唄うと泣いちゃうんだよね」と言ってましたが、
吉田さんが涙ぐみながら唄う姿は、感動ものでした。
その映像は(赤川泰山)アドレスのユーチューブで観てください。

吉田さんに「身内家族に被災された方が居るのですか?」と訊いたら、
「そうじゃなく、こういった状況が現実にあった事に涙するのです」
といった事でした。
やはり人は人としての「心」に共鳴するんですよね。
歌って、そういう所がいいんですね。


さてと、それはそれとして、
あの勉(べん)ちゃんの「青春」

走り出したら、もう誰にも止める事の出来ない永遠の青春!
「誰か止めろよ~ッ」
仙台の方々にはお馴染みの、もうどうにも止まらない青春。
べんちゃん、恒例の青春・・そこが、いい~~ッ!


そして最後の歌「みんなの歌」
南部さんは、その歌を最後の歌と決めていたみたいなんですが・・・
「おいおい違うだろ」
仙台バラライカといったら最後の歌は「ケサラ」じゃないんか~?
ってんで俺がクレームを付けたら、他にも同好の志が居て、
「やっぱりバラライカの最後はケサラだよね」という事になりの「ケサラ」

♪・・押さえきれない怒り  こらえ切れない悲しみ
   そんな事のくり返しだけど  決して負けはしないさ・・・

そうなんです、この歌をみんなで腕を組んで唄ったのです。
ひとつの大きな輪になって唄う「ケサラ」
それこそが、仙台バラライカ。

南部さんの半音づつ繰り上がるアコーディオンに乗って唄うみんな。
仙台バラライカは、この歌こそがバラライカなんですね。
だから他の歌声喫茶ではリクエストしないんです。
「ケサラ」はバラライカの為にとっておくんです。


バラライカ&ケサラ・・最高ッ!


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被災地・南三陸町へ行ってきました

2015-12-28 22:41:27 | 旅行

南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku





仙台から前谷地までは電車ですが、そこから先は電車路線の復活は失われバスによる、BRT方式になりました。



撤去か保存かが問題になり、結局20年間は保存する事となった防災対策庁舎。
ここの2階で、新婚だった24歳の「遠藤未希さん」は、町民に防災無線で非難を叫び続け、命を落としました。
津波は屋上を越える事2メートルまで達し、約50名中で助かったのは10名程度だったそうです。



上の動画は、この志津川高校から撮ったもので、まさに壊滅の状況がはっきりと感じられました。



志津川湾の写真左側から来た津波は、右奥の志津川繁華街に進むほど、幅を狭め、3本の川に沿って、
どんどんと、その高さを上げていったので、より被害が大きくなりました。




民宿・明神崎荘の夕食。
茶碗蒸しの味が甘かったので意外な気がしましたが、翌朝たまたま観たテレビが地元・宮城県の番組だったので、
あちら方面の茶碗蒸しが甘味なのを知りました。



民宿からの朝焼け。



本来はJR気仙沼線の志津川駅だったのですが、鉄道の復活はあり得なくなってしまい、
バスによるBRT方式となった為に、駅舎もこの様な形態となりました。



被災前の南三陸町全景。



被災後の南三陸町全景。
まさに壊滅・全滅。南三陸町は面積が狭い繁華街だったのですが、その全てを失ってしまいました。



このピラミッドは、町全体の盛り土をする為に蓄えてある土です。
町は人が歩ける状態ではありません、町中が工事現場そのものとなっていました。



町民の姿を見かける事のできる場所は、この仮設商店街くらいでした。



以前は電車が走っていた鉄道路線は、バスが走る為の道路にその姿を変えていました。



歌声喫茶・仙台バラライカの今年最後の歌声と、翌日の忘年会に行く為の旅行だったのですが、
エリカさんが南三陸町で、命を賭けて避難を呼びかけ、結局その使命感ゆえに命を落とした、
遠藤未希さんの場所を見たいとたっての希望があり、一日早くの宮城県入りとなりました。

今迄にも、石巻、気仙沼などの被災地を、日本人として見る義務があると訪れましたが、
今回の南三陸町は、それら二つの場所と違って面積が狭く、それゆえに壊滅度が大きく感じられました。
この狭い町で800人くらいの方が死者行方不明者となりました。

遠藤未希さんが命を落とした防災対策庁舎の前には、
献花台があり、手を合わせると、こみ上げるものがありました。

私は歌声仲間たちにも言っているのですが、
津波の被災地を見に行って欲しい、日本人なら絶対に見るべきだと思っています。
戦後、2万人に達する死者が広範囲に散らばった事など初めてです。
こういった私達日本人が住む故郷が、自然災害とはいえ、その姿を大きく変え、
そこに住む人たちの心を変えていかざるを得ない現実に目を向けるべきだと思うのです。

初めて被災地に行ったのは、石巻でした。
ですが、「被災地を見に来た」の言葉を地元の人に言えなかったのです。
あまりにも不謹慎だと思っていたからです。

ですが、後日になって被災者たちは「自分たちの現実を知ってほしい、見てほしい」と、
思っていた事を知りました。
そして「色んな事を自粛する事だけは絶対にやめて欲しい」と言っている事も知りました。

私達の様な(よそ者)が被災地をウロチョロするなんて・・・
でも、誰も歩いていないより、誰であっても歩いている人の姿があるだけで、
それだけで、被災者たちは少しでも励みになるのです。

タクシーの運転手さんが連れて行ってくれた「大森食堂」では
コーヒーをご馳走になり、話を伺ったりしましたが、ありがとうございました。お元気で。

皆さん、被災地に行きましょう。
被災地に行って、少しでもお金を使いましょう。















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ニコンD5300・稀代の欠陥カメラ

2015-12-24 21:29:34 | 写真
先日(12月13日)の日記「欠陥カメラ・ニコンD5300」を書きましたが・・・

4回目の修理が終わり、12月20日に、
新宿ニコン・サービスセンターに受け取りに行きました。

私は行く前に、「こんな欠陥品はもう要らないから捨てて下さい」と言う気でした。
このカメラを中古カメラ店で売っても、精々一万円くらいにしかならないんでしょう、きっと。
たかが一万円をケチって、こんな欠陥品と付き合うのは、
映像に対する意気込みが無駄になるばかりだし、
サービスセンターの「失礼ながらお客様の取り扱いが・・」などという、
無礼千万なセリフを二度と聞く気にはなれなかったからです。

しかし、サービスセンターから受け取り、
女性スタッフの説明を聞いている内に、
「もう一度だけ試してみるか」と言う気になりました。

それで、先日試し撮りをしてみました。

その結果。

この機種は完全な失敗作だという事です。

私は、動画だけに限定して、このカメラに「欠陥品カメラ」の烙印を押します。

何が私に、もう一回だけ試してみるかと思わせたか?
それは、
オートフォーカスモードを、AF-Sにすると、
それはシャッターボタンを半押しにすると、ピントがロックされます。
サービスセンターでは、その状態にして動画を撮影して下さいと言ったのです。
しかし、それをするとカメラを回した(パンする)時には、ピントは固定されたまま。
それでは動画になりません。

さて、それ以前にサービスセンターから言われたのは、
オートフォーカスモードは、AF-Fで撮ってくださいと念を押されたのです。
そうでしょうよ、動画を撮るにはそれでなくては映像になりませんからね。

ところが、そのモードで撮るとカメラのピントリングは、
クルクルと忙しく回りっぱなし。
そういった状態で撮った動画をパソコンで見ると、
どうにも落ち着きがなくピントはあっちに行ったり、こっちに来たり。
まるで映像の基本にもなっていないのです。

あまけに、これは後になって気づいたのですが、
ピントリングが動く音なんでしょうか?
絶えず何かの音が映像に入り込んでいるのです。
それは多分ピントリングの作動音としか考えられないのです。


そもそも、このカメラを修理に持ち込んだ最初の理由は・・

スチール写真を撮った時に、時々露出オーバーで白っぽくなる、でした。
それと、動画の時にピントが不安定な事でした。

その修理は・・何だったか内部の基盤の交換と、
マウントの交換でした。

そもそも、買って半年もしないカメラのマウント交換なんて聞いた事がない。
「失礼ながらお客様の取り扱いが・・」
冗談ではない、マウント交換する程の乱暴な取り扱いをする人なんて居ますか?
私はカメラと付き合って50年にもならんとする熟練ですよ。

こういうのを自動車では「リコール」と言うのです。
それもしないで、結果といえば、完全なる欠陥カメラとは・・・

まあ、リコールでカメラを交換してくれたにせよ、
私はこんな欠陥品とお付き合いする気は更々ありませんが。
あ~だこ~だ悩むだけ無駄というものです。

このカメラは中古カメラ店で売り飛ばします。
早いとこ欠陥品でないカメラを使わないと、労力の無駄ですから。

ニコンには、
こんな欠陥品は絶対に作ってはダメですよ、と言いたい。





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歌声喫茶・年間最高回数に・・

2015-12-24 07:24:29 | 歌声喫茶
今年の歌声喫茶・参加回数が昨日で144回になりました。

過去最高だった2010年の132回はとうに追い抜いていましたが、
今年はまだ後、3回行く予定なので、合計147回になります。
(ちなみにエリカさんは、161回だそうです)いやはや・・・
こ~ゆ~のって、きっと(似た者バカ)とでも言うんでしょ~ね。

13日に新宿ともしびに行ったあたりから、喉がいがらっぽくなり、
私は大体そういう時には風邪のなり始めな事が殆どなんですが、
やはりというか15日には38,6度まで体温が上がり、寝込みました。
しかし、翌日にはもう平熱になったのですが、念の為に寝込んでいました。

17日からは日常生活に戻ったものの、
私の風邪のいつものパターンで、咳が収まらないのです。
咳というより痰がからんでくるので、咳となってしまうんですね。
身体は全然元通りになっているのに、咳だけがひどくなる一方。
昨日もそんな状況であまり唄えないというのに、上馬の歌声喫茶に突撃。

でも、これは50歳を越えてからの症状なんですが、
風邪がひどいと、味覚が殆ど無くなり、
何を食べても味が分からなくなるんです。
カレーライスの味が僅かに分かるくらい。
これは若い時にはまるで無かった症状で、やはりこれも老化現象なんでしょうね。

しかし、歌声喫茶に行って、唄えないというのは実につまらないもんですね。
昨日は、我慢に我慢をしていたんですが、
最後の方で、大好きな歌がかかると、
もう我慢できなくなって、前に出て目いっぱいの大声を張り上げてしまいました。
そういう時って、もう後先考えなくなっちゃうんですね。

でも、時々居るんですが、
そんな歌声喫茶に来てるというのに、殆ど唄うという事をしない人が居ますね。

あるベテラン氏が言ってましたが、
歌声喫茶に来る人には3つのパターンがある。
➀  唄う事を純粋に楽しむ人。
②  歌声以外の事をしたがる人。
③  聴かせたがり屋。

なるほどね、で、それを言った方というと、
2番目の、(歌声以外の事をしたがる)という典型的な方でしたが。
中にはまるで唄っているという姿をまず見た事が無く、
かと言って何を目当てに歌声喫茶に来るのかも、分からないなんて不思議人間も居ます。

そんな中で、私達夫婦は共通に1番目。
純粋に唄う事だけの人。
時には動画を撮ったり、写真を撮ったりもありますが、
それをやってる時というのは、全然楽しくない。
その楽しさを映像に記録しておきたいという義務感みたいなもの。

やっぱり、歌声喫茶は(唄ってナンボ)の世界なんですね。
そいうった日々を送る事、年間147日。
ホントにあきれるよ、いい歳こいて俺たちは一体何やってるんだろうね? 


いやはや・・・くわばらくわばら・・





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