自称・鉄のゲージツ家・クマさんは、
本名・篠原勝之と言います。
1942年(昭和17年)4月、北海道・札幌に生まれ室蘭で育ちました。
生後すぐにジフテリアに罹り、嗅覚と左耳の聴覚を失いました。
その後、東京に出たみたいで、武蔵野美大を中退しています。
皆さんがこの人を知ったのは・・・
そうですよね、テレビ(笑っていいとも)ですよね。
私もそうです。
ここ10年くらい前から、私は新しいパートナーに恵まれ、
彼女と共にキャンプによく行く様になりました。
山梨県・北杜市にも素敵なキャンプ場が数か所あり、
それらのキャンプ場に行った時に、
キャンプ場の管理人から、「この近所にクマさんが住んでるよ」と聞かされました。
そして橋の欄干にも彼の作品があるというので気を付けて見ていたら、
ありました。こういったガラスで作ったゲージツ品が。
この作品は場所はきっと違うのでしょうが、
そこらの河原とかキャンプ場近辺にもこういった巨大な作品を見かけました。
ですから北杜市のキャンプ場に行く度に、
「何処かでクマさん見かけないかな~」とキョロキョロしたもんです。
まだ見かけた事はないのですが。
1973年~1979年まで、唐十郎主宰の状況劇場で、
舞台美術を担当し、芸能界と関係をもちました。
1981年に著書「人生はデーヤモンド」を刊行、人気となります。
1982年からタモリの「笑っていいとも」に出演し注目され、
テレビタレントとしても活動する様になります。
一度結婚し、一男一女が居ますが、
子供の事は語らず「結婚なんて下らんものは二度とするか」と、
その後は再婚する事はありませんでした。
テレビに出演する前には、銭湯の絵描きなどもやっていたそうです。
そういった点はさすがに美大出身なんですね。
彼の著書は20冊以上ありますが、
私が昔読んだのは「放屁庵退屈日記」
これは、まさに抱腹絶倒とは、つまりこういう事なんだよの見本。
もし、本屋さんでクマさんの本を見かけたら、買った方がいいですよ。
メチャメチャ面白いから。
仲間と呑んでいたらツマミが無い。
あったのが腐りかけた野菜だけ(だったかな?)
何の野菜かは覚えていないんですが、
それを喰った連中は軒並み腹下し。
クマさんだけが平気の平左だったそうです。
ある日は、朝から一日中、女とやり狂っていたとか。
その面白さが半端じゃないのです。
彼は喧嘩と語りの天才(だったかな?)とも言われたそうです。
自分が喧嘩に強いなどとは全然知らず、
ある時、やむにやまれず喧嘩になってしまったら、
相手を簡単にノシてしまい、それで初めて自分が喧嘩に強い事を知ったそうです。
新宿ではプロ級の喧嘩師とも言われていたとか。
その頃は漫画家の赤塚不二夫とも飲み友達だったとか。
2009年、「走れUMI]で、第45回小学館児童文学賞出版文化賞。
2015年、「骨風」で、第43回泉鏡花文学賞を受賞。
鉄のゲージツ家は、たんなるオフザケ芸術家などではなく、
れっきとした才能豊かな芸術家であったのですね。
最近は陶芸などにも狂っているみたいで、
Twitterでは頻繁に毎日の生活をアップしています。
いいですね。
同じ男として、彼はとっても興味深く魅力的なんですね。
本名・篠原勝之と言います。
1942年(昭和17年)4月、北海道・札幌に生まれ室蘭で育ちました。
生後すぐにジフテリアに罹り、嗅覚と左耳の聴覚を失いました。
その後、東京に出たみたいで、武蔵野美大を中退しています。
皆さんがこの人を知ったのは・・・
そうですよね、テレビ(笑っていいとも)ですよね。
私もそうです。
ここ10年くらい前から、私は新しいパートナーに恵まれ、
彼女と共にキャンプによく行く様になりました。
山梨県・北杜市にも素敵なキャンプ場が数か所あり、
それらのキャンプ場に行った時に、
キャンプ場の管理人から、「この近所にクマさんが住んでるよ」と聞かされました。
そして橋の欄干にも彼の作品があるというので気を付けて見ていたら、
ありました。こういったガラスで作ったゲージツ品が。
この作品は場所はきっと違うのでしょうが、
そこらの河原とかキャンプ場近辺にもこういった巨大な作品を見かけました。
ですから北杜市のキャンプ場に行く度に、
「何処かでクマさん見かけないかな~」とキョロキョロしたもんです。
まだ見かけた事はないのですが。
1973年~1979年まで、唐十郎主宰の状況劇場で、
舞台美術を担当し、芸能界と関係をもちました。
1981年に著書「人生はデーヤモンド」を刊行、人気となります。
1982年からタモリの「笑っていいとも」に出演し注目され、
テレビタレントとしても活動する様になります。
一度結婚し、一男一女が居ますが、
子供の事は語らず「結婚なんて下らんものは二度とするか」と、
その後は再婚する事はありませんでした。
テレビに出演する前には、銭湯の絵描きなどもやっていたそうです。
そういった点はさすがに美大出身なんですね。
彼の著書は20冊以上ありますが、
私が昔読んだのは「放屁庵退屈日記」
これは、まさに抱腹絶倒とは、つまりこういう事なんだよの見本。
もし、本屋さんでクマさんの本を見かけたら、買った方がいいですよ。
メチャメチャ面白いから。
仲間と呑んでいたらツマミが無い。
あったのが腐りかけた野菜だけ(だったかな?)
何の野菜かは覚えていないんですが、
それを喰った連中は軒並み腹下し。
クマさんだけが平気の平左だったそうです。
ある日は、朝から一日中、女とやり狂っていたとか。
その面白さが半端じゃないのです。
彼は喧嘩と語りの天才(だったかな?)とも言われたそうです。
自分が喧嘩に強いなどとは全然知らず、
ある時、やむにやまれず喧嘩になってしまったら、
相手を簡単にノシてしまい、それで初めて自分が喧嘩に強い事を知ったそうです。
新宿ではプロ級の喧嘩師とも言われていたとか。
その頃は漫画家の赤塚不二夫とも飲み友達だったとか。
2009年、「走れUMI]で、第45回小学館児童文学賞出版文化賞。
2015年、「骨風」で、第43回泉鏡花文学賞を受賞。
鉄のゲージツ家は、たんなるオフザケ芸術家などではなく、
れっきとした才能豊かな芸術家であったのですね。
最近は陶芸などにも狂っているみたいで、
Twitterでは頻繁に毎日の生活をアップしています。
いいですね。
同じ男として、彼はとっても興味深く魅力的なんですね。