河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

映画「風の電話」観てきました

2020-01-26 07:50:22 | 映画
映画「風の電話」予告


歌声喫茶が終わった後に、
映画「風の電話」を観てきました。

ストーリーは淡々とした描き方で進みます。
如何にも映画だなーと思うわざとらしい場面もあります。
いつになったらNHKのドキュメンタリー番組にあった、
風の電話に辿り着くのだろうと思いながら映画は進みます。

主演の若い娘は、知らない女優ですが、
無表情さが・・それがいいんだか悪いんだか?
淡々として・・そこが監督の意に叶ったのかも知れない。

広島から岩手県大槌町へと、
赤の他人の善意に支えられながら高校生の彼女は辿り着きます。

彼女はその電話の存在を全く知らなかったのですが、
遂に彼女は大槌町の丘に建つ風の電話に辿り着きます。

この映画はきっと泣いてしまうんだろうなと思っていましたが、
ラストシーン。
両親と弟を津波で失くし、たった一人生き残った娘。
その悲しさ、辛さをそれまで誰にも言えなく、
一人っきりで耐え忍んで生きて来た17歳の女の子。

彼女がもう居ない家族たちに切々と語る本心。
何で私だけが生き残っちゃったの?
お父さんお母さん、私はつらい。
いつか皆に逢いに行くからね、お婆さんになった私が逢いに行くからね。
きっと待っててね。

やっぱりウルっとしちゃいました。

何度も行った津波の被災地。
石巻・気仙沼・南三陸町・陸前高田・・
あの信じられない恐るべき風景を思い出しながら、
心に訴えるものがジーンとありました。

「お前が死んだらな、誰がお前の家族の事を思い出すんだよ」

その言葉には重い説得力がありました。
そう思ってたった一人になっても、
生きるんだと頑張っている被災者がいるんだと思います。



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分倍河原の新田義貞

2020-01-25 06:36:26 | 歴史


私達夫婦は歌声喫茶に通う時によく分倍河原駅で乗り換えをします。
京王線と、JR南武線が交差する駅です。
横浜に住んでいた時は、分倍河原という駅名も存在も、
全く知らない無関係の駅でした。

JR南武線のホームに行くと駅前広場があり、
そこに大きな騎馬像があります。
最初はそれが誰であるかなど知るよしもなかったのですが、
気になるので調べたら、新田義貞と分かりました。

新田義貞の事は少し知っていました。



「鎌倉」という歌があります。

七里ガ浜の磯づたい、 稲村が崎名将の、
剣投ぜし古戦場。

鎌倉幕府を攻め落とそうと進軍してきた名将(新田義貞)は、
稲村ケ崎に来た所、その丘は急峻で登れない、
ならば磯伝いにと考えたのですが、波が荒く進軍できない。
それならばと名刀を海に投げ入れ、神よと祈ったところ、
その祈りが通じたのか、磯づたいの道が開け、
鎌倉へ進軍する事ができたという話は知っていたからです。

しかし、その新田義貞という人がどんな人だったのかはよく知らない。

新田義貞の本名は源義貞といいます。
つまり彼は源氏だったのです。

1333年5月8日。
群馬県太田市で鎌倉倒幕の旗を上げた新田義貞は、
一路鎌倉目指して進撃します。
一方、幕府軍は埼玉・入間川で新田軍を阻止する為に北上。
5月11日。
埼玉県・小手指ヶ原で合戦となります。
勝負は決しないまま、新田軍優勢のまま。
5月15日。
新田軍は、分倍河原で幕府軍と戦いますが大敗を喫し、
埼玉県・狭山市まで敗走します。

しかし、相模の三浦義勝らが参陣した事に意を強くし、
5月16日未明に分倍河原の幕府軍を急襲、
幕府軍は総崩れになり、新田軍の大勝利になります。



5月21日。
新田義貞は稲村ケ崎の海岸に到着。
そこで「鎌倉」の歌にあるとおりで鎌倉入りを果たしたのでした。

5月25日。
約140年間続いた鎌倉幕府は滅亡しました。

しかし、それから5年後、
1938年に新田義貞は38歳で悲劇的な死を迎えました。





また、稲村ケ崎には、1910年(明治43年)
「七里ガ浜の哀歌」で有名な、逗子開成中学生12名が、
七里ガ浜の海岸で遭難し、全員がなくなるという悲劇があり、
その遭難碑が建っています。

「真白き富士の嶺 緑の江の島
 仰ぎ見るも今は涙
 帰らぬ十二の雄々しき御霊に
 捧げまつる胸と心」





コメント (6)
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さらばエースのジョー

2020-01-22 08:25:06 | 映画


宍戸錠が亡くなりました。
86歳でした。
日活・黄金期を悪役として支えた、まさにエースのジョーでした。

私は若い頃から宍戸錠のファンで、
写真にある雑誌は手垢がつくほど熟読しました。

何が私を彼のファンにしたのでしょう?

とに角身のこなしが凄く素晴らしい。
彼は(芸能人相撲大会)に出場するほど運動神経に恵まれていました。
その成績は覚えていないのですが、
彼の動きを見ていると、それを感じる事が出来るのです。

1933年(昭和8年)生まれ。
誕生日は私と10日違いの12月6日。
体格が私とほぼ同じな事も親近感を感じます。

錠などとおかしな名前は本名なのですが、
それは宍戸家は男ばかりが生まれ、
彼は5人兄弟の4番目。
それで、もう子供は要らない、男は要らないと(錠前)をかけたのです。
それで本名が錠なのです。



日大芸術学部を卒業した宍戸錠は日活ニューフェースに合格し俳優になります。
デビュー作は「警察日記」でした。(1955年)
まだほっそりとした、何処にでも居そうな二枚目役者でした。



しかし、その数年後に彼はほっぺたにシリコンを注入して頬を膨らます手術を施します。
何でそんな事したの?
彼は、そこらにフツーに居る二枚目なんかじゃ役者として、
生き残れない、役に立たないという事を自覚し、
それならば俺は二枚目じゃない顔で俳優をやって行こうと決めたのです。

そういった所が、単にイケメンだからスターになれる、
イケメンだから認めてもらえるなどと甘い考えの役者とは違う所です。



彼はハリウッドの大スター、オーソン・ウェルズに心酔していました。
そう、あの「第三の男」のオーソン・ウェルズです。
彼が23歳の時に制作したラジオドラマ(宇宙戦争)で、
本当に宇宙人が襲来すると勘違いし、アメリカ中が大パニックになったという、
伝説の事件の企画者がオーソン・ウェルズでした。
その鬼才・天才ぶりに宍戸錠は魅せられたのでした。

日本という東洋の小国で、
オーソン・ウェルズの様に世界的に認められるスターになるのは、
当時は無理がありますが、
宍戸錠は日本という枠内で無国籍映画の悪役としてスターになって行きました。





ちなみに私は宍戸錠の瞬間顔真似をするのが上手いんですよ。
もし、私に出会った時「やってよ」と言われたら、
瞬時に出来ますから、是非、言ってくださいね(笑)





それにしても小林旭とかでやっていた無国籍映画。
臆面も無くよくあんな気恥ずかしい事をできたもんですね。
でもそれが映画なんですね。
その当時の映画を観る国民感情は、そういった所が逆に良かった時代なんですね。

今の若者達から言わせると、
きっと、「バッカみた~い、」そんなのある訳ないじゃんか。
なんでしょうね。
でもそれで良かった・・そこが良かった時代を経験できた事は、
「俺たちだけの時代だったんだぜ」と誇りたい気持ちになるのです。





錠前をかけたにも係わらず、弟が生まれてしまいました。
弟の名前は(郷暎治)
妻は歌手の、ちあきなおみでしたが、
55歳の時にガンで亡くなってしまいました。

晩年の宍戸錠は奥様に先立たれたり、
家が火事で全焼したりと、あまりいい事は無かったのですが、
日活映画全盛期を支えた、スターでしたね。

ご冥福をお祈りいたします。





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支離滅裂の昨今

2020-01-16 19:28:17 | 日記


最近、歌声仲間から「三国志」のDVDを借りました。
長編だけに楽しみも凄いだろうと期待しています。
一日中DVDを観続けるという訳にもいかず、
それなりの時間は覚悟しています。

でも、丁々発止の中国語を聞いていると、やっぱりと言うか、
俺はどこか中国が好きなんだなという思いがするのです。
行けば行ったで腹の立つ事ばかりの中国なんですが、
血が騒ぐ的な想いを拭う事ができないのです。



それとは違って現在読んでいるのが「平家物語」です。
これは色々な本があまりにも沢山出ているので、どれを読めばいいのか?
選択に悩むところです。
あくまでも血の繋がりを重んじる平家と、
親であろうが兄弟であろうが殺しあう、血なまぐさい源氏。
その対比と、その結果を思いながら読む「平家物語」もいいんですね。



かと思えば、既に4回読破しながら、
時間と共に又もや読みたくなる大作「モンテクリスト伯」の血が騒ぐし。



長年気になってしかたのないのが「南総里見八犬伝」
多分これは読む事はないかとは思うのですが、
でもな~、な~んか気になってな~。



かと思えば、
江戸時代の庶民の暮らしも気になって・・・

もし、江戸時代にこれがあったらどうなっていたんだろうか?とか、
江戸時代の鬼平犯科帳は1790年頃だから、
源平合戦とは600年の差がある。
という事は、鬼平たちは源氏と平家を、
現代の私達から見ると、600年前は西暦1420年頃の室町時代。
足利義満だとか、応仁の乱とか・・・
まるでピンとこない時間差。

しかしこの支離滅裂の脳思考にも困ったもんだね。
自分でもどっちなんだよお前はって言いたくなる。
といった昨今です。


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今日の一曲❤お前を待っている

2020-01-16 14:49:51 | 歌声喫茶
20.1.14.お前を待っている・国立うたOH会


先日、船橋の歌声喫茶(ゴリ)に行った時、
ともしびでも、よくご存じの山岸あかねさんが、
ゴリで昨年一年間、一回も唄われなかった曲というので、
紹介し、唄ったのがこの「お前を待っている」でした。

私も勿論妻も、全く聞いた事もない歌です。
でも、チョッと覚えにくい気もするのですが、
いい歌なのでとても気に入ってしまいました。

ブンブンさんのHP(おけら)を検索したら載っていました。
でも、まだ自分で唄うには自信が無い。
14日の国立うたOH会の司会がバクさんなので、
「この歌知ってる?」と訊いたら流石バクさんは知っていました。

それならば動画に撮りたいからと唄って頂きました。
やっぱり、彼はいい声だし上手いし、
そして若い頃に覚えた歌というのは、多少のブランクがあっても、
きっちりと唄えるんですよね。

いい歌と出会える、これは歌声喫茶の醍醐味でもありますね。



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