河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

東崎(あがりざち)

2015-10-31 06:41:03 | 日記
東崎


歌声喫茶では、喜納昌吉の「花」がよく唄われていますね。

喜納昌吉の歌というと何と言っても「ハイサイおじさん」
これは彼が高校生の時に作った歌です。
この歌は、沖縄の音楽界を一変させる歌となりました。
沖縄の人達は「沖縄という地方の歌が本土の人に流行る筈がない」と思っていました。
ところが、沖縄の音楽が初めてビックヒットとなった事に驚きます。
それは沖縄の音楽が、沖縄以外に羽ばたいていった画期的な歌となりました。

さて「花」ですが、
そんな喜納昌吉の歌では、最もヒットした歌なのかも知れません。
というのは、東南アジアで凄いヒット曲となり、
それをきっかけにして日本以外の国から有名になっていった、
言わば逆輸出的なヒット曲となった歌です。

そんな喜納昌吉の歌の中で、私が買うのがこの「東崎」
とても地味な歌で、ヒット曲にはなりませんでしたが、
沖縄の自然、沖縄人の心を謳いあげている、いい歌だと思います。

喜納昌吉の歌は、愛とか恋とかの歌ではなく、
沖縄の心を謳った歌が多いですね。
「花」も、笑いたい時には笑いなさい、泣きたい時は泣けばいい。と、
人は自然のままでいいんだよと語っていますね。


「東崎」

与那国ぬ 島に渡てぃ 東崎(あがりざち)登(ぬぶ)てぃ 見りば
あん美(ちゅら)さ波ぬ 花になゆさ
情き深さ島ぬ 心あらわす 波ぬ花
いちまでぃん いちまでぃん 眺みぶさ

東崎 登てぃ 見りば 昔 沖縄(うちなー) うびじゃすな
浅ましや 変てぃ あぁ生まり島
海ん山ん 変わるなよ 人ぬ心 変わらすな
いちまでぃん いちまでぃん 東崎

東崎 見りば 知ゆさ  人ぬ道 生まりたる運命(さだめ)
御万人(うまんちゅー)に知らしぶしゃ あぁくぬ悟い
鳥(とぅい)ん、 花ん、 蝶(はべる)ん、
共(とぅも)に語てぃ いちぶさや
いちまでぃん いちまでぃん 忘(わし)ららん・・・



与那国島に渡り、東崎に来てみれば
ウチナンチュー(沖縄人)の心を想い出す
今やまったく変わってしまった僕の心のふるさと
変わらないで 海よ山よ
変えないで僕たちの心を
いつまでも いつまでも 東崎。

これほど自分の(ふるさと)にこだわり、
これほど、その自然、その心を謳いあげた歌はあまり無い様に思います。

外国の歌を好きになるのもいいですが、
この日本にも、こんなに日本人である事にこだわっている人、歌があるんですね。

隠れたる名曲だと、私は思っています。
コメント (2)
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不思議食品・ラーメン

2015-10-30 07:31:37 | グルメ
今や日本人の「国民食」と言っても過言ではないラーメン。
時々は誰しもが食べたくなる、不思議食品・ラーメン。

私もご多聞に漏れずに時々、無性に食べたくなる時があります。
どの国でも、麺類は大体好む人が多いといった話も聞きますが、
日本人は、東日本系は蕎麦を好み、西日本ではウドン好きの人が多いみたいですね。、
そういった中でも、ラーメンという食べ物はある種特別な地位を築いている感があります。

ラーメンという言葉から分かる様に、
元々は中国からやって来たといった意味合いを含んでいるんでしょうね。
しかし、今や(ラーメン)は本場中国に逆輸出しているみたいです。
中国人達が、日本のテレビドラマとかを観て「日本のラーメンって美味しそう」と、
日本式ラーメンの真似をしているのだとか・・・

昔、蘇州の汚い店で食べた(あれを果たしてラーメンと呼ぶのか?)のは、
日本のラーメンとは一味も二味も違った麺でしたが、
味付けが日本とはまるで異なっていて、異国情緒いっぱいでした。
それにしても、実に汚い店で、
何たって、客が食べた後はどんぶりだけは片づけますが、
後の割りばしとか、こぼれたスープとかは、ぜ~んぶ床に落としておしまい。
床は割りばしだとかスープとかがそのまんま。アッレ~~ッ!





今年の一月だったか、町田の歌声喫茶に行く途中、
たまたま入った登戸駅前のラーメン屋「優」
「こんな冴えない店、ど~せ美味くないだろう」と高をくくっていたら、
その美味さにビックリ。
以来、寄れる時には必ず行く定番コースになってしまいました。
全く、食べ物って食べてみない事には判らないもんですね。

これも先日、歌声IN日野から西新宿トミへと歌声喫茶のハシゴをしている時、
途中、乗換駅の荻窪に一旦下車し、ラーメン屋を探しました。
何軒かのラーメン屋がある中、私達が入った店は、
チェーン店の「横浜家系ラーメン」
どうせチェーン店など、大した事ないだろうと高をくくっていたら・・・
これまた「優」と同じで「美味いじゃんか~」
チェーン店のくせに美味しんだね~、っとチョッと意外。

一昨日は、栃木の足利から「わかさん」と「たかちゃん」がともしびへ。
たかちゃんの誕生祝という事で、私達もご一緒させてもらいました。
昼から夜まで、延々6時間唄いっ放し。
夜には、UさんとK女史も来店、同席で大いに唄いまくったのですが、
私達は、ともしびに行く前に行ったのが、「横浜家系ラーメン」
家系は(かけい)と読まずに(いえけい)と読むんですね。

で、荻窪と同じかな~っとチョッと心配だったのですが・・・
やはり味は多少違っていたんですね。
荻窪の方が美味しかったんです。
とは言ってもチェーン店ですから、不味いって事はないのですが、
やはりお店間の個人差がありました。

以前、府中の事ばかりを書いた雑誌にあった(府中で№1の店)
一口食べたら「何でこんなのが美味しいの?」
そこに比べればずっと美味しいんですが、やはり荻窪のが美味しかった。


ラーメン!

やはり奥は深い、時々無性に食べたくなる。

さて、明日は「青麦の歌声」で、小田急線の高座渋谷に行きます。
明日は、バクさん達の「ゆーふぉー」のコンサートですね。

分かるね、登戸のラーメン屋「優」が、
あの美味しいラーメンが俺を呼んでるんだぜ~ッ!

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今年最後のキャンプへ

2015-10-25 21:57:10 | キャンプ
今年最後のキャンプへ行って来ました。
本当は、先週に行く予定でしたが、天気急変により、やむなく一週間の延期となったのです。
場所は、キャンプ場銀座と言われる、山梨県の道志川沿いの「このまさわキャンプ場」
今までに2回行った事のある、勝手知ったるキャンプ場です。

このキャンプで、今年は7回、23日間のキャンプライフでした。
2012年の8回、27日間には及ばないものの、いい年になりました。



年々進化する私たちのキャンプライフに今年、新しく参加する事になったのが、
このコーヒーケトルです。
今までのは、ただお湯を沸かすだけだったみたいな面白味の無いやかんだったのが、
テーブルの上に鎮座する、こいつの参加が楽しくなりました。





道志川は紅葉もかなりあり、川のせせらぎの音と共に目を潤わせてくれました。







まだ、行こうと思えば行けなくはないのですが、
通年営業のキャンプ場は限られているし、寒くなると気勢も上がらなくなるので、
ま、こんなトコかな。今年は・・・


心は既に、来年のキャンプ。
最初のキャンプは何処にしようか・・?

勝手知ったるキャンプ場も味があっていいし、
見知らぬキャンプ場を開拓するのも、とても心躍るし・・・さてと
コメント (6)
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ここまで、とは言わないけどさ~

2015-10-22 21:18:06 | 歌声喫茶
資生堂の新CM 衝撃のラスト どの娘がお好み?


この資生堂のCMには、結構驚いたけど・・・

歌声喫茶に行くと、「もう少し何とかならないの?」
って女性は、かなり居るんだよね。

「貴女は仮にも女性なんでしょ」
「ひょっとして男だったり・・しないとは思うんだけど」
そんな女性たちが、少なからず居るんですね。

いつ見ても、スカートを穿いてるのを見た事が無い。
いつだってズボンばっかり。
化粧っ気なんてまるで無し。
いつも着る服は黒色の、まるでカラス状態。
ヘアースタイルと見れば、それでも女かよッ!

服装に化粧に・・まるでセンスの気配が無い。
センスというのは、お金をかければ出来るってモンじゃないんです。
お金などかけなくたって、センスというのは感じる事が出来るのです。
でも、それ以前にまず「女性である事を放棄している」
そんな女性が歌声の世界には、少なからずに居ますね~。

私は個人的には、少なくとも「女性」である事を意識している女性が好きです。
だって私は仮にも「男」なんですから、女性が嫌いな筈がありません。

男あっての女であり、女あっての男。
それが人間として普通、当たり前、当然の世界ですね。

男は女を好きになり、女は男を好きになる。
でも、そんな当たり前の事すら放棄している状態なんて・・・

歌声喫茶に来る女性は、趣味が共通なんですから好きな筈なんですが、
そこに水を差す女性。

あのね、も少し何とかならんモンかね~?
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二匹の猫の安楽死

2015-10-19 16:09:21 | 日記
仔猫ひろた


私は子供の頃から家ではずっと猫を飼っていました。
最初は、母の姉妹たちと同居をしていたので、
誰かしらが、捨て猫とかを拾ってきては飼っていたみたいです。

その中には皆んなが「貴婦人」と呼んでいた猫が居ました。
彼女は決して、そして最後まで住人達になつきませんでした。
食べ物を食べてしまうと、もう知らん顔で「孤高」の姿勢を崩しませんでした。
本当に色々な猫が私の家には沢山いたのです。

あれは藤沢に住んでいた時だったので、
私が14歳から7年間での出来事でした。
家に猫が居る習慣は、母が姉妹たちと別れて独立してからも続いていました。
7年間に一体何匹の猫を飼ったのかは記憶にありませんが、
その中の2匹の事ははっきりと覚えています。

その全部が多分、捨て猫の類だったと思います。
その中の一匹は完全に私の過失で、とんでもない状態になってしまいました。
その猫が、まだ子猫だった時に、
私は「木登りの練習だ」などと言って、その猫を木に掴まらせ様としていました。
何度やっても、その子猫は上手くいきません。
その内に木から転落(といっても高さ1メートルくらい)してしまいました。

ややぐったりしてしまった子猫を家に入れましたが、
その猫は、いわゆる(いざり)になってしまったのです。
もう二度と(オスかメスかは覚えていませんが)
立ち上がれなくなってしまったのです。
子猫は段々大人になっていきましたが、歩けない所か、
自力では寝返りも出来なくなってしまったのです。

座布団の上に猫を横たえて、寝返りも糞尿の始末も私達がしました。
時々は体を拭いて綺麗にしてあげました。
しかし、猫の哀れな姿は、同情と言うよりあまりにも残酷でした。
思い余った私達家族は「安楽死」の道を選びました。
何の苦痛も無く安らかに逝くとは聞いていましたが、
段々冷たく硬くなってゆく姿には、済まない気持ちがいっぱいで涙がこぼれました。
あれは、私が全部悪く、彼(彼女)を殺してしまったのです。


もう一匹の猫(これもオス・メスは覚えていません)は、
大人になってからでしたが、奇病にかかってしまったのです。
ある日、突然、苦し気なうなり声を発して、
そこら中を駆けずりまわり、グルグルと回転する様に走り回るのです。
そして、その発作が収まると、体力を使い果たした様にぐったりとしてしまうのです。

では日常はというと、かつての健康だった時とは違って、
もう殆ど寝たきり状態。
そんな状態ながら、時々というか、段々発作の回数は増えていったのです。
体の柔らかさは無くなり、硬い体になっていったのです。

発作の時の苦し気な様子は、見るに堪えなく、
あまりにも可哀想だったので、これも家族中で相談して安楽死を選びました。
逝きつつある猫の顔を見ながら、
「もう苦しまなくていいんだよ」と皆で話しかけ、
母も姉も私も涙ながらで見送りました。

たかが「猫」。
ですが、それもひとつの「命」
命が失われていくという事は、やはり悲しい事なんですね。

ペットという家族を飼う事は、命の大切さを学ぶ事でもあります。
最近は、ペット禁止という住宅が多くなっていますので、
動物虐待事件などが起こるのは、そんな事からでもあるのでしょうか。



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