河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ともしび尽くし

2019-01-15 08:07:26 | 歌声喫茶
歌声喫茶・新宿ともしびは、日本を代表する歌声喫茶です。
私も歌声喫茶に一番通っているのは、ともしびになります。

1位・・ともしび・・265回
2位・・国立・・・・212回
やっぱり、ともしびは毎日やっているという強みがありますね。
そこでは、過去に何度も歌声友達との楽しい交歓がありました。



2017年6月11日(日)
これは佐野の歌声のメンバーと、千葉からの友人達と。



2017年10月18日(水)
栃木県・足利市から、ワカさんとたかちゃん。



2018年2月21日(水)
前田夫妻誕生会。



2018年12月1日(土)
吉原さんの誕生会。



2018年12月16日(日)
私(河童)の誕生会。



2018年12月24日(日)
山の歌特集を皆で参加。



2018年12月29日(土)
18年最後にともしびへ行った日。
参加招集をかけたのではなく、自然に一緒になった、
佐野の歌声のメンバーと吉原さん。



そして、昨日2019年1月14(月祭)は、
前田さん夫妻の誕生会。

これからも、楽しい歌声仲間たちとの交歓会。
気の合った仲間達と一緒に唄う楽しさを積み重ねて行くのでしょう。
ともしびさん、いつまでも楽しませてくださいね。












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カフェレーサー

2019-01-14 11:33:26 | 自動車
The official Royal Enfield Continental GT film - Ace Cafe to Madras Café


カフェレーサーという言葉があります。

1960年代にイギリスで生まれた言葉で、
ロックンロールに影響されたバイク好きの若者達が、
改造した自慢のバイクでカフェに集まり、
コインを一枚入れて、ジュークボックスの音楽が始まると、
一斉に飛び出して、曲が終わるまでにカフェに戻って来るという
遊びしていたのです。

その様な改造したバイクを、
カフェレーサーと言ったのです。



これこそ、私が一番惚れたバイクスタイル。
オートバイは、トライアンフ・BSA・ノートン・・
もう最高のスタイルでした。
私もトライアンフに乗っていましたが、
如何せん、お金も無い若い頃だったので、
改造も出来ず、ファッションにも金をかけられず、
貧しきトライアンフライダーをやっていました。



ただ、ゴーグル(メガネ)だけは、
高かったけど、こういったゼロ戦パイロット型のを買ったのですが、
東京の何処かの店まで買いに行って、
帰りの最寄り駅で、もう待ちきれずにケースを開けたら、
ホームにゴーグルを落っことしてしまったのです。
で・・ガラスにひびが入ってしまったのです。

もう、ホームに突っ伏して泣きたくなりました。
買い直すお金など有るはずもなく、
バイク趣味から足を洗うまで、ひび入りゴーグルをしてたんです(泣)





ヘルメットは絶対にクロムウェルでなければなりません。
ですが、これも買える金はなく、
仕方なく、安物のクロムウェルもどきのままでした(これも涙)







こういった、如何にもカフェレーサーといったバイクを見ると、
今でも胸がときめきます。
成金親父のデコレーション・ハーレー集団など見ると、
ヘドが出そう。
あぁいったスタイルは嫌ですね。
ハーレー・ダビットソンというバイクのメカニズムは、
まあ一応は好きだし、認めますけど、
あの成金趣味と徒党を組んでの、見せびらかし集団は、
とてもとても好きなどにはなれません。
イヤですね~、あ~ゆ~のって。

そう言えば、昔、横浜伊勢佐木町に、
カフェがあり、そこの名前がケンタウルスだったか?
あるいはその店によく来るバイク仲間の名前がケンタウルスだったか?
彼等がバイクを駈って走る映像を観た事があるのですが、
箱根新道を400CCのバイクで時速200キロ。
圧倒的な迫力に息を呑みました。

オートバイというのは前傾姿勢でというのが、私の好きなスタイル。
30年以上前に、何処かのサービスエリアで、
20代の若者が、完璧にカフェレーサーに改造したのを乗っていて、
あまりのカッコ良さに8ミリカメラ(当時はビデオじゃないよ)で、
写させてもらったのですが、
私の家に残っている8ミリフィルムに残っている筈なんですが、
如何せん、映写機が無いんですから、見たくても見られない。



いいね~。
カフェレーサーこそオートバイだ!
バイク乗りの神髄は、カフェレーサーにあり。
と言いたいけど、もう既に棺桶に片足オヤジの独り言だな(泣)




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ホンダCB-72とヤマハYDS-1

2019-01-13 06:31:21 | 自動車
Honda CB72 Supersport


ホンダ・ドリームCB-72と、
ヤマハ・YDS-1は1960年発売の、
日本初のスーパースポーツタイプのオートバイでした。

この2台のオートバイが、日本のバイクのスポーツタイプの、
先鞭をつけた、エポックメーキングとなったのです。
お互いはライバルでした。
販売台数では、ホンダに軍配は上がりましたが、
ヤマハYDS-1の存在感は大きかった。

今も健在!YDS1の勇姿


この2台のバイクには、決定的な差があります。
ホンダが4サイクルエンジンなのに対し、
ヤマハは2サイクルエンジンなのです。

この頃のバイクは皆、2サイクルエンジンというのが常識であり、
そこに4サイクルという複雑な構造を持ち込んだ、
ホンダという会社の凄さを感じます。
私個人は、4サイクルエンジンの持つ、
エンジンブレーキの制動力を買っていたのでホンダファンでした。
2サイクルエンジンというのは、アクセルをカットしても、
エンジンブレーキが殆ど効かないのです。



ホンダ・ドリームCB-72



ヤマハ・YDS-1

どちらも、本当に美しい姿ですね。
今でも、ホンダはごく稀に見かける事があります。
しかし、ヤマハは全く見かける事はありません。
その辺は販売台数の差なんでしょうか?

この2台は、私がオートバイを大好きになった、
中学生の時のバイクなので、本当に思い出・印象が深いのです。



家の前に、木型屋さん(木型を彫って、そこに溶けた鉄を流し込んで鋳物を作る)
があり、そこの若い職人さんがバイク好きだったのです。
彼が、ある日ホンダ・ドリームCB-72で通勤して来たのです。
そして、昼休みになると、
煙草を吹かしながら、買ったばかりの愛車を惚れ惚れとして眺めていたのです。
そして、仕事を終えて帰る時のバイクにまたがる姿が無茶苦茶カッコ良かった。

その彼とは、それから40年くらい経った日、
運転免許の書き換えに行った時に、試験場で見かけたのです。
「あッ、あの人だ」とすぐに分かりました。
彼は当時中学生だった私を認識できたかどうか?
でも、私は声をかけるという事が出来なかった。
よって、その彼とは永遠に、もう会う事は無いのです。
これは本当に後悔しています。

でも、ヤマハのYDS-1。
金茶色と言われ、ウォーンという独特の排気音を轟かせ、
走り去って行く姿は、強烈に思い出せるのです。

CB-72とYDS-1。
一世を風靡した忘れられないオートバイでした。





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吉田沙保里選手が引退

2019-01-12 08:28:33 | スポーツ
レスリング吉田沙保里選手が引退会見


霊長類最強と言われた、吉田沙保里選手が引退しました。

女性でありながら、こういったネームを与えられるのは、
どうでしょう・・・
やはり若干の抵抗感は無いと言えば嘘になるんでしょうね。
そのくらい彼女は強かった。

36歳で33年間のレスリング生活という事は、
わずか3歳からやっていたという事で、
まさにレスリング一筋、レスリングが人生の全てだったんですね。

本当にお疲れ様でした。
そして、貴女は私達に勇気を与えてくれました。
ありがとうと、心から感謝をしたいと思います。

36歳からの人生の再出発。
新しい人生、豊かな人生をこれからはおくって欲しいと、
心から願うばかりです。
やはり女性ですから、一人の女性としての普通の人生を、
おくって欲しいと私は個人的に思っています。



それにしても、引退会見の彼女はとっても素敵でしたね。
今までの人生で一番(いい顔)をしていたと思いました。







最強の女子には、今までに色々な顔がありました。
初めての負けを経験し、泣きじゃくる彼女もいました。
当然の如くの勝利で、喜ぶ顔は何度となく見てきました。





でも、引退会見の時の彼女は、素敵な一人の女性でしたね。

吉田沙保里さんには、本当に幸せになって欲しい。

女子プロレスラーでも、
幸せを掴んだ人が居るじゃないですか。
そうです、ジャガー横田です。



彼女も強い女でしたが、
何とも弱弱しい医者から見染められての結婚。

何も女の幸せは、結婚だけじゃないよ。
という女性も沢山いますが、



こうやって自分が生んだ子供と一緒の姿を見ると、
人間なんてごく自然でいいんだ。
ごく普通が一番いいんだと、私には思えるのです。

彼女にも、きっと、いい男性が現れて欲しいですね。
幸せになって欲しいですね。
心から願っています、応援しています。







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お正月が終わって

2019-01-11 20:31:25 | 日記
お正月の歌(歌詞付き)赤富士バージョン


平成最後のお正月も、終わってしまいましたね。
毎年思うのですが、
お正月のチョット前の日本の風景を華々しくさせるクリスマス。
あれに比べると、
日本の正月の淋しい事ったらありません。

特に思うのは、音楽・歌が無い事です。
世界中の芸能人などが新しいクリスマスソングを作曲しているのに、
日本の芸能人で、新しいお正月の歌を作曲する人など、
およそ聞いた事もありません。
だから、いつまで経ってもお正月ソングは無いままなのです。
これは実に淋しいし悲しいですね。

そして、年々薄れて行く、正月の習慣・行事。



年越しそば。
これは必ず毎年、家で手軽に作って食べています。



門松。
集合住宅が多くなるにつれて、門松を立てる戸建ての家も減りましたね。
主に、会社や大規模店が盛大に立てるくらいかな。



羽根つき。
これは絶滅と言ってもいいでしょう。
外からカーン・カーンという乾いた羽子板の音が聞こえる事は、
もう完全になくなってしまいました。



福笑い。
これは家族3人だった私の家庭でもやりましたが、
あまり、面白い遊びではありませんでした。



凧揚げ。
これは昔は戸外に出ると、必ずといっていいほど、
正月の青空に華を添えていましたが、ほぼ絶滅。



かるた遊び。
これはよくやった遊びでしたが、
今の子供達には受けないと思います。
今は、こんな素朴な遊びではなく、ファミコンがありますからね。



お年玉。
大家族時代の名残とでもいいましょうか、
核家族ともなると、あげる子供が居ないんでは、
あげたくてもあげられない。



おせち料理。
冷蔵庫など無かった昔では、
母親が何日も前から台所に立ちっぱなしで、よく作っていましたが、
冷蔵庫が有るとなると、それほど目の色変えて作る必要がなくなり、
また、美味しくもない物も多くて、
今ではポイントとして数品を作ったり、買ってきたりの手抜きですね。



ただ、お雑煮だけは絶対的に食べますね。
やはりこれを食べない事には正月が始まらない、そんな感じ。



鏡餅。
これはスーパーでパック詰めの小型のを買って、
いじらしくチョコンと飾りました。



正月飾り。
これもスーパーで小っちゃいのを買って、
いじけない程度に玄関にくくり付けたんです。かっわいい~。



初日の出。
私の家ではわざわざこれを見に行く習慣はありませんでしたが、
丹沢の山小屋の見晴茶屋で、毎年大晦日に開催する、
歌声喫茶に参加する様になってから、
山の上からの初日の出を何度か見る機会がありました。
また、今年は家から歩いて、初めて下界での初日の出を見に行きました。
(ただ雲が多くて、写真的なものにはなりませんでしたが)



初詣。
これは私の中では完全に定着しています。
横浜時代に比べ、遠くなってしまった鎌倉ですが、
この鶴岡八幡宮へ参拝すると、心が洗われる思いになります。



そして、初荷。
これこそ完璧に絶滅。
少なくとも私がこれを見た最後は一体どのくらい前でしょう?
誇らしげに(初荷)ののぼりをなびかせて走るトラックの姿。
とっても懐かしい気がします。

本当に、日本の極めて日本的だった正月。
外国人から見れば(お葬式)とも取られない日本の正月。
あれはあれで、悲しい世界と見られかねなくても、
私達の世代には、とっても静かであり愛おしくもあったのです。
何だか寂しいよね。
あれが、また良かったんだよね。










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