河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

今更ながら・荒木栄

2016-03-31 15:54:13 | 歌声喫茶
10.12.28.さんたま屋・この勝利ひびけ轟け


私が、荒木栄という労働者・作曲家を知ったのは、歌声喫茶を知ってからでした。

1924(大正13年)生まれ、
1962(昭和37年)38歳の若さで胃がんにより亡くなりました。
もし生きていれば、現在92歳になっていたんですね。

歌声喫茶を知って間もなく、
2009年9月12日、現在の(町田のうたごえ広場)が開催されている、
町田教育会館で映画「荒木栄の歌が聞こえる」の上映会がありました。
その日が(町田うたごえ広場)の第一回歌声だったと思うのですが・・?
まだ、歌声喫茶の西も東も分からないままに、
ただ、荒木栄という名前は、何処からともなく入っていたので、
そんな流れだけで、映画を観に行ったのです。

まだよく理解できていない内の映画だったので、
何が何やら分からないといった感じでの映画鑑賞だった気がします。

世間一般の殆どの人が知らない作曲家。荒木栄。
私は、どうせ井の中の蛙的な、
ごく一部の人達だけの中で偶像化されている作曲家。
大した才能も無いのに、持てはやされている作曲家。
そんなイメージがありました。

しかし、歌声喫茶に通う様になっている内に、
荒木栄の歌が実に(いい歌)が多く、また、その数も実に多い事を知り、
この人の才能は、私が思っていた(井の中の蛙)どころか、
労働の中での作曲とは無縁であったならば、
それが流行歌などを手掛けていたら、かなりな有名作曲家になっていただろうと、、
その認識を変えざるを得ませんでした。

荒木栄は、作曲家として身を立てたかったみたいですが、
勿体ない運命で終わってしまいましたね。

「がんばろう」「仲間のうた」「花をおくろう」「心はいつも夜明けだ」
「地底の歌」「この勝利ひびけ轟け」「沖縄を返せ」「星よおまえは」

歌声喫茶で彼の作った歌を唄うと元気が出てきます。
他の人達もやっぱり、そんな歌が好きな人が多く、
みんな前に出て唄いたがりますね。

荒木栄は、その当時の時代の流れ、
自分の置かれた立場、そういったシガラミから逃れる事は叶わず、
(労働)という時代の流れの中に埋没したままで逝ってしまいました。
きっと大きく羽ばたきたかったと、無念だったと思います。
病魔に侵されなかったら、きっとまるで別の人生が彼にはあったと思うのです。

本当に勿体なかった。
生きていたら、どんなにか(いい歌)を作っていたんでしょうね。
38歳・・合掌。

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バカヤロー横綱

2016-03-29 08:20:28 | 相撲
あの横綱・白鵬が36回目の優勝を果たしました。

その千秋楽、横綱同士の一番の決まり手が、なんと、変わり身!!
私が子供時代から見てきた、千秋楽・横綱同士の取り組みで、
(変わり身)なんて姑息な手を見たのは、生まれて初めてです。

こんな決まり手など見たくもなかったし、あって欲しくなかった。
これは、もう詐欺であり、卑怯者のする事でしかありません。

変わり身という手は許される手です。
ただ、それはどうにも勝てない上位力士に対し、下位力士がする事は許されます。
やけっぱちの一手といった意味で許される手ではあります。
ですが、千秋楽に横綱同士となると、
それはもう言語道断、絶対にあってはならない事です。
これほどの(優勝回数を誇る)横綱が、こんな姑息な手で優勝する。
日本古来の相撲を汚す冒涜行為だと私は思っています。
それは、つまり日本人に対する冒とく行為だとも言えます。

白鵬という力士は、
今までもその品性の無さが露骨に感じられる力士であり、
今場所に限っても、(ダメ押し)を2回もしました。
もう既に勝負のついている相手に対し、
ダメ押しをして、土俵から追い落とす行為をする卑怯な力士です。
その為に、土俵下にいた検査役の井筒審判長(元・逆鉾)を骨折させてしまいました。
また、最近には(猫だまし)などという横綱のする技ではない手を使いました。

変わり身といい、猫だましといい、
そんな技は、横綱のする行為ではないのです。
横綱という地位にある人は、そんな事はやってはならない行為なのです。

勝ちさえすれば何をやったっていいんじゃないの?
といった事を言う(特に若い人)も居ます。
それは理屈であり、理屈が合ってればいい、というものでは相撲はないんです。
それが(相撲道・すもうどう)なんであり、
外国人には、そして若い人には分からない理論なのかも知れません。
でも、相撲を本当に知りたい、理解したいのであれば、
相撲道を理解できなければ永遠に、相撲は理解できないのですね。

相撲道なんて言ったって、そんなに難しい事は何もありません。
要するに、人として恥じる事のない様にというのが、基本でしょうか。
変わり身・・恥ずかしいですよね。
それは、相撲道なんかではないですね。

白鵬の前には、朝青龍というやはりモンゴル人の横綱が居ましたね。
彼は、相撲の世界にプロレスを持ち込んだA級戦犯でした。
もっと言えば、相撲の世界に(喧嘩)を持ち込んだ、もう、どうし様もない奴でした。
そんなに勝敗にだけにこだわるのであれば、
何が何でも勝ちたいのであれば、何でもありのプロレスに行けば良かったのです。
プロレスにはプロレスの良さがあり、独自の世界があります。
朝青龍は、そっちの世界に向いている人でした。
それを、そのまま相撲に持ち込んだから、嫌われ者になってしまったのですね。

しかし、朝青龍といい、白鵬といい、
その品性の無さ(皆無)には、もう日本人としてウンザリします。
そのウンザリ力士が、日本古来の相撲の歴史を全て塗り替えてしまいました。
残るひとつだけが、
双葉山の持つ、69連勝だけだなんて、ああ悲しい。
この鉄壁の牙城だけは、何としても品性欠如の外国人などに渡してなるものかッ!

先日の日曜日・朝のTBS(サンデーモーニング)で、
プロ野球の張本氏が、先場所優勝した琴奨菊に対し、
優勝したからと言って、浮かれて稽古を怠っていてはダメだとか言っていましたが、
私はそうは思いません。
琴奨菊よ、どうぞいくらでも取り巻きのファン達と浮かれまくって下さい。
32歳の、がぶり寄りしか技の無い貴方に横綱なんてあり得ません。
貴方の優勝はたった一度の夢なのです。
どうぞ、死ぬまで浮かれまくっていていいんですよ。貴方は。
もう一回なんて、横綱なんて絶対に無いのですから。

それは、毎回日本人の夢を打ち砕く事しか出来ない、稀勢の里にも言えます。
貴方も同じ、出稽古嫌いの力士に横綱なんて無いんですね。
永遠に貴方は横綱とは無縁のつまらない力士です。

さてと、現実に立ち戻ると、視界に飛び込むのは、モンゴル相撲、日本場所。
こんな事態になる事を読めなかった過去の相撲協会の先達たちよ。
本当のA級戦犯は、貴方たちなんですね。

この現実をどうするの?
こんな事態になってしまった大相撲は、もう本来の姿には戻せない・・の?
品性も何もない力士たちの相撲なんて、私はイヤなんだけどね。


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困った時は、鍋料理

2016-03-27 04:47:21 | グルメ




私の家では、「今日は何にしようか?」なんて時には、
迷わずに(鍋料理)にする事にしています。
と言っても、これは比較的最近になって始めた事なのですが・・・

一口に鍋と言っても、寄せ鍋、牡蠣鍋、ちゃんこ鍋など、
沢山あり過ぎるほどの種類があるのですが、
そんな七面倒な事などではなく、要するに適当に野菜を入れて、
あとは鶏肉だったり牡蠣だったりをその時その時に応じて入れるだけ。

メインとなる野菜はほぼ白菜な事が多いですね。
あとは、春菊・エノキ・椎茸・豆腐・牡蠣・肉・長ネギ・しらたき・
そんな物を適当にカットしてぶっこむだけ。
これだったら、私にも簡単に出来るし、美味しいし、私達の世代には、良い事づくめ。
野菜がメインというのは、実に身体にいいですしね。

味付けは簡単に味ポンで食べますが、こんなもんでも充分に美味しい。
最後にウドンを入れてもいいし、
残ったら翌日の味噌汁にしてもいい。
スーパーに行くと、色々な鍋用の汁を売っていますが、
これは、あまりやった事がありません。
何だか味ポンの方が簡単でかつ美味しいと感じるのです。

鍋は夕食にもなるし、酒を飲みながらでも良いし、
全くの優れもの料理だと思います。

来月、私達は仙台バラライカのお花見に行きます(4月24日)
仙台名物で有名なのに(タン)があり、駅ビルにはそんな店がひしめいていますが、
更にネットで調べたら、(せり鍋)が名物でもあるらしいのです。
いつも仙台に行ったら必ず食べる物に(生牡蠣)がありますが、
今回は是非(せり鍋)を食べてこようと企んでいるんですね。

駅周辺の(せり鍋)の店も調べたので、
あとは行って食ってくるのみ。

仙台では去年の年末には、
松島海岸で焼き牡蠣2000円で食べ放題に行って、
もう当分は牡蠣は見るのもイヤという位に食べたし、
毎年必ず、生牡蠣の美味しいのを食べるのが最大の楽しみでもあります。

今年は(せり鍋)か~、楽しみにしてるんですね~。


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あこがれの酒場放浪記

2016-03-22 07:03:03 | 日記
吉田類の酒場放浪記 武蔵境駅 「たけちゃん」


吉田類の「酒場放浪記」というのを知ったのは、ユーチューブでした。
それでテレビでも観てみましたが、
確かBSだったかな?で放送されていました。

でも、私はテレビは殆どと言っていいくらいに観ないので、
酒場放浪記は、私はもっぱらパソコンで観ています。

イヤー、いいですね~。
この吉田類という男、親しみやすく、人間性が感じられていいですね~。

私もこんな風に、あちこちの居酒屋を飲み歩いてみたいという、
一種の(あこがれ)みたいな思いがあります。
勝手に行けば・・そうなんですが、
もう今更、この歳で「イヤー、みなさん始めましてカンパーイ」でもないし。

若い頃、生意気に薄汚いあごひげなんぞ生やして、
首からは愛機(ニコンF)なぞぶら下げて、
如何にも食えないカメラマン丸出しで、逆にそれを粋がって・・
そういった時代に、こんな風に居酒屋を飲み歩きたかったと思うんですが、
如何んせん、その時代の私は酒を全然飲まなかったんですね。

友人たちとの付き合いで、時々ビールくらい飲むのが関の山。
あんな不味い物の何が美味しいの?と不思議だったんですから。
(今にすれば、誰しもが信じられらんな~い)と言いますけどね。

友人にYという寅さん大好き男が居ましたが。
ある日、そいつと一緒に、洗足池にボート乗りに行きました。
そこで、今で言う(ホームレス)の汚い男が話しかけてきました。
「にいちゃんよ~、煙草ないか~い」
するとYはこう言ったのです。
「煙草ですか、ハイハイありますからね」と言って、
ホームレスに一本差し出し、ライターで火を点けて、
更にこうも言ったのです。
「煙草切らした時はお互いさまですからね」と。

私はビックリして口をあんぐりと開け、Yの顔をつくづくと眺めたものです。
こいつって一体どんな男なんだろうか?

そいつとは何度か居酒屋に行った事がありますが、
そんな人間性だし、親しみ易く気さくに話しかけられる顔をしていたので、
見ず知らずの人ともすぐに仲良しになるという特技がありました。

それに比べて私は、酒も殆ど飲めないし、
第一、他人から見れば取っ付きにくい、怖い顔な男ですから、
彼のおこぼれで他人と話すくらいしか出来ませんでした。

そういった意味では、吉田類みたいに、
見ず知らずの居酒屋巡りといっても、きっとぎこちないと思うし、
もう妻帯者となってしまった今では、そんな風来坊にもなれず、
「いいな~」っと憧れてしまいます。

こういった下町情緒の、いわゆる小汚い居酒屋では、
男っ気ばかりの方がいいし、
逆になまじっか女っ気など無い方が全然いいんですね。

家に帰っても古女房から邪険にされているのか?
まるで女にモテないので、「女なんて要るか」と開き直っているのか?
純粋に男同士で飲んで話すのが好きなのか?
そういった事ではなく、とにかく居酒屋というムードが好きなのか?
酒の肴が食べたくて来るのか?
なんか、居酒屋っていいんですね~。

自分ちのご近所にそんな居酒屋があったら・・・
すぐに財布の底がついちゃいそ~だけどね。
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チャンネルダッシュ

2016-03-21 07:48:43 | 軍艦
フランスとの戦争に勝利していたドイツ軍は、
敗戦国であるフランスのブレスト軍港に、戦艦シャルンホルスト。
姉妹艦グナイゼナウ。重巡洋艦プリンツ・オイゲンを停泊させていました。
ドイツの軍港に居るより、その方が大西洋に出撃するには、距離的にも都合が良かったからです。

しかし、戦争の進行によって
イギリス軍からブレスト軍港への空襲が段々と激しくなってきす。
うかうか出来なくなってきたドイツ軍は、
2隻の戦艦と1隻の重巡洋艦をドイツ本国へ戻す事にします。
ドイツへ戻る最短距離は、イギリス~フランス間のドーバー海峡を通過するコースです。



ドーバー海峡は最も狭い場所が40キロしかありません。

そこを通過するという事は、イギリス軍が、
敵艦が通過できない様に、軍艦を常駐させていたり、
沿岸砲で固めていたり、機雷を敷設していたりと、殆ど不可能と思える海域です。



機雷というのは、直径が1メートルくらいの鉄の塊りで、
中には爆薬が詰まっていて、通過する軍艦がそれに触れると大爆発を起こします。
過去には、それに触れて沈没した戦艦など多数の被害をもたらした、
恐ろしくも、静かなる、沈黙の兵器です。

機雷源といって、それを集中して敷設した海域があります。
そこを軍艦が突破する事など、まず考えられません。
闇夜を手探りで歩くのと同じで、まるで何が起こるか分からないのですから。

しかし、その恐るべき機雷を排除する軍艦があります。
掃海艇といいます。
機雷という兵器は、殆どが磁気機雷であり、
通りかかる軍艦の船体に、磁気によって反応するのです。
ですから掃海艇という船は、ほぼ木で出来ていて、磁気には反応しない様になっています。

さて、ドイツ本国への帰還を決定したドイツ海軍でしたが、
勿論、危険すぎるドーバー海峡突破などは問題外で、
イギリス島の外側を大きく迂回するコースを行く筈でした。
しかし、ヒトラーの鶴の一声で、最短距離のドーバー海峡突破が決定します。
ドイツ軍からいうツェルベルス作戦。
連合軍からは「チャンネルダッシュ」と言われた有名な作戦というか出来事です。

ヒトラーはイギリスは、臨機応変な対処ができない国。
ドーバー海峡は突破できると踏んだのです。



1942年(昭和17年)2月11日、深夜。
2隻の戦艦、32000トンのシャルンホルストと、その姉妹艦グナイゼナウ。



1隻の重巡洋艦プリンツ・オイゲン(15000トン)は、
6隻の駆逐艦を従えてフランスのブレスト港を出港します。
深夜の出撃は、それをイギリス軍に悟られたくなかったからです。
それは良いのですが、という事は、最も危険なドーバー海峡を真昼間に通過するという事になります。

ドイツ艦隊は、3隻の軍艦の高速性、32ノット(時速約60キロ)で、
ドーバー目指して突進します。
イギリス軍は、ヒトラーの睨んだ通りで融通性の欠ける行動しか取れません。
おまけに無線使用に制限があった事が裏目に出て、横の連絡もままならなかったのです。

ドイツ艦隊がドーバー目指して突進している事に気付いた部隊も居たのですが、
ごく限られた散発的な軍事行動しかとれず、
組織だった攻撃は、ついに一度も出来ずに終わってしまいました。

その間、シャルンホルストは2回、グナイゼナウは1回。
それぞれ触雷(機雷に接触)しますが、大事には至らず応急修理で事なきを得ます。
ドーバー海峡の最狭部を高速で突破する3隻の大型艦を、
イギリス軍の一部の部隊は、地団駄する思いで見守るしかありません。

フランスのブレスト港を出港してから、21時間後に
3隻のドイツ艦隊は6隻の駆逐艦と共にドイツに帰国します。

真昼間にドーバー海峡という鉄壁の守りと言われ、
そこを突破するなど全くあり得ないと言われた海峡通過をむざむざと許してしまったイギリス軍の面目はまる潰れ。
チャーチル首相は、あまりの事態に激怒しますが、全ては後の祭りでした。

イギリス軍は、面目を取り戻そうと、
ドイツ艦隊に攻撃をしかけ生き残った軍人に勲章を与えたりしますが、
殆ど無意味な、悔しまぎれの行為としか映らずに、
この作戦は、ヒトラーの完勝となったのです。

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