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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ハイサイおじさん・・沖縄を変えた歌

2016-02-28 20:11:59 | 音楽
ハイサイおじさん


「ハイサイおじさん」は、
歌声喫茶でもお馴染みの「花」を作曲した喜納昌吉の歌です。

喜納昌吉は1948年に、
琉球民謡の第一人者・喜納昌永の4男として生まれました。

昌吉は高校時代には、賭博で大儲けをして金持ちになり、
外人のガールフレンドをはべらせたりする、破天荒、型破りな人生を送っていました。
その挙句、覚せい剤で逮捕され、数年間の牢獄生活をしました。

そんな昌吉が高校生の時に作ったのが、この「ハイサイおじさん」です。
ハイサイというのは「こんにちは」の意味です。
彼の家の隣に、酒浸りのおじさんが住んでいました。
そのおじさんは、家族に猟奇的な事件があって崩壊し、
それからだったのでしょうか?酒浸りになったみたいです。

しかし、世間から見捨てられたそのおじさんを、
昌吉は優しく見守り、おじさんの事を歌にしたのが、この歌でした。

○ ハイサイおじさん ハイサイおじさん
  昨夜(ゆうび)ぬ 三合瓶小(ぐゎ)残(ぬく)とんな
  残(ぬく)とら我(わ)んに 分(わ)きらんば
ありあり童(わらば) いえー童(わらば)
三合瓶ぬあたいし 我(わ)んにんかい
あんせおじさん 三合瓶し不足(ふずぐ)やみせぇーら
一升(いっす)ビン 我(わ)んに呉(くぃ)みせーみ

● コンニチハおじさん コンニチハおじさん
  夕べ飲んでいた酒は残っているかい
  残っているなら俺に分けてくれ
  おいおい小僧 やい小僧
  三合瓶程度の酒で この俺に
  残っているかと訊いているのかい やい小僧
  それならおじさん
  三合瓶で不足というなら
  一升瓶を俺にくれると言うのかい

昌吉は、そのおじさんが好きだったんでしょうね。きっと。

この歌は30万枚を売る、ヒット曲となりました。
1976年発売という事なのですが、
これが、どうにも納得できないのです。
私が、この歌を聴いたのは、写真学校の合宿で沖縄に行った時。
その時は、1974年くらいだった筈なんですから。
沖縄本島が最も狭まった場所にあるのが、仲泊。
島の向こう側までは3キロ弱という場所に、その民宿はありました。
「南国荘」

その民宿には今では珍しくなった(ジュークボックス)があり、
学生たちは、よくそれで音楽をかけていました。
ほどなく学生たちは、ある曲ばかりをかける様になりました。
それが「ハイサイおじさん」
みんなが、その歌に夢中になってしまったのです。

この30万枚の大ヒットは、沖縄の人達を驚愕させました。
沖縄の人達は、自分たちの沖縄音楽が、
本土(つまり日本)で流行るなんて誰しも考えもしなかったのです。
沖縄言葉(ウチナーグチ)は日本人には理解できないのは解っています。
ですから、そんな歌が本土の人に受け入れられるなど誰も思わなかったのです。

それが、青天の霹靂の大ヒット。
これを境に沖縄は日本はおろか世界に羽ばたいていきました。
沖縄独特の(レとラ)の無い、いわゆる2,6抜き。
ドミファソシドという音階の魅力を知った海外の人達にも、
沖縄音楽の虜になる人も出る様になっていきました。

それもこれも「ハイサイおじさん」から始まったのですね。
その後には勢いのいいサウンドでの再録音バージョンになりますが、
私たち学生がジュークボックスで夢中になったのは、
この細々として、まだか弱い初期のこの歌でした。

その後の喜納昌吉は「チャンプルーズ」として、
広く羽ばたいていったのですね。
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私、めん類が大好きなんです

2016-02-26 04:24:19 | エリカの日記
私は子供の頃からめん類が大好物でした。

特にうどんが・・・

高校生だった頃、私が通っていた高校には定時制があったので食堂があり、
全日制の我々も昼食として利用できたのです。
もちろん弁当を持ってくる人達もいましたが、
食堂で食事をする人も多数いました。

メニューは日替わりの定食、カレーライスと蕎麦うどんとありました。
定食のおかずだけでも提供してくれたので、
うどんと、おかずという食事がほとんど毎日でした。
時には家に帰ると家でも、煮込みうどんが大鍋で作られていて、
それもお腹いっぱい食べ、更に翌朝残っていると、それを食べてまた学校でも・・・
そんな事をよくしていました。

そんな頃、学校ではクラブ活動として、
ソフトボールをやっていたので、学校が休みの日にも練習があったり、
時々は試合があったりして出掛ける事が多く、
昼食にはよくラーメン屋さんに行ってました。
そこで食べるタンメンが、とても美味しかったのです。

当時、食べたタンメンは太麺でシコシコしていたのですが、
青梅に住む様になってからは、ラーメン屋さんでタンメンを食べたくて注文しても、
細麺で、美味しいとは思わなかったのです。
タンメンと違って、うどんやラーメンにはそれ程こだわりを持つ事はなく、
味が良ければ、まァ、いいか~といった思いです。

それが河童さんとたまたま立ち寄った登戸駅前のラーメン屋さんで、
昔食べた懐かしいタンメンに出会った時の感激!!
それからは登戸に行く度に、大好きなタンメンが食べられる、
と思うと、もう嬉しくて嬉しくて・・・

後は、久留里の歌声に行った時には、
いつものラーメン屋さんで頼むのは、五目焼きソバ。
これも又いいのです。

博多ラーメンは、九州で何度となく食べた豚骨スープに出会う事が無く、
美味しいと言う店に中々出会えません。

先日テレビを観ていたら、島原半島を鉄道で途中下車しながら、
綺麗な景色を発見したり、地元の人に訊きながら、美味しい物を探すのですが、
その時食べていたのが、長崎チャンポンと皿うどん・・・
それも、ごく普通のそば、うどんの看板の店でした。

チャンポンも好きですが、皿うどんには痛い思い出があります。
ソーメンの様に細い麺を油で揚げてあり、
それに、肉、シーフード、野菜を炒めてあんかけにしてあるのですが、
その細い麺がパリパリとしているので、
口に入れた時に上あごに刺さってしまったのです。
それでも、美味しい美味しいと食べてしまいましたが、幾度となく・・・
時々、無性に食べたくなってしまうので、
最近は太麺皿うどんというのが有る店に行ってます。


これからも、まだまだ飽きる事なくめん類を食べ続けていく事でしょう。

本当に、美味しいのよね~!


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三国連太郎と叔母さん

2016-02-24 08:36:08 | 日記
三国連太郎は1923年(大正12年)生まれ。
2013年に90歳で亡くなりました。
私の母より7歳年下です。

母は7人姉弟でしたが、下から2番目に妹がいました。
その妹は、他の姉妹たちとはまるで違った毛色の妹で、
勝手気ままでわがままで、他の姉妹たちからは色眼鏡で見られていました。

153センチだった母より小柄だったので、
おそらく150センチあったかどうか?ですが、
とに角、美人で男どもが目を見張る程の凄いグラマーでした。

男出入りは、かなり激しかった様です。
時代が時代だけに、今ほどの事はなかったと思いますが、
当時としては、激しい男性関係だったみたいです。

叔母さんは、自分が美人でグラマーなので、、
彼女を目当てに言い寄って来る男には困らなかったのでしょう。
生来のわがままぶりを、更に増長させていったのだと思います。

結局は、他人の家庭のご主人を奪って結婚し、あまり幸せな家庭とはなりませんでした。
私はその旦那の連れ子に、同情みたいな気持ちを持っていました。
私の叔母に、家庭を奪われてしまったのですから。

その叔母は、若い頃、ある店で働いていたそうです。
お酒を飲ませる店。
今で言う、クラブといった店だったのでしょう。
ある日、その店に入って来たのが、三国連太郎。



三国連太郎は、当時どれほどの知名度があったのかは知りませんが、
なんせ、180センチ、75キロの偉丈夫。
そしてその風貌。

店内は騒然としたそうです。
その三国連太郎がダンスの相手にと指名したのが、叔母だったのです。
長身の三国に抱かれた小柄な叔母は、ポーっとして何も覚えていない、
といった状態だったと、後になって聞かされましたが、
その時の光景を話す叔母の目は、まさにウットリでした。

そんな事があったので、私は三国連太郎という俳優に興味を抱いていました。
日本俳優年鑑には、こんな事が書いてありました。
「ある日、電車に乗っていると、そこに乗って来たのが三国連太郎でした。
一種独特の異様なムードを漂わせ、とに角目立つのです」
みたいな事が書いてありました。



若い頃の三国連太郎は、晩年のヒット作「釣りバカ日誌」とはまるで違った役柄で、
その存在感は、圧倒的であったりもしましたね。
しかし、終わり良ければ全て良し。

若い頃に、異様なムードを漂わせ「俺のイメージに合わない役はやらない」
と言ったかどうかは知りませんが、
俳優人生の最後に、あれほどのヒット作に恵まれた事は、役者冥利に尽きるのでは・・

今から10年くらい前に、独りであるいている三国連太郎を見かけた事があります。
撮影所の近くでした。
若い頃とは違ったオッサンでしたが、あれがあの三国連太郎かと眺めいりました。

こういった独特の個性を持つ俳優は、私は大好きです。
波乱万丈の人生であった様ですが、ご冥福を祈ります。
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飲食禁止の歌声喫茶

2016-02-23 05:46:51 | 歌声喫茶
私が「歌声喫茶」なる不思議空間にはまってから、早や8年。
その間、ずい分と歌声喫茶は増えました。

しかし、そもそも(喫茶)という言葉が付いているのですから、
当然の如く(飲食)が付くが故に「歌声喫茶」なのだと思います。

・・と思った貴方は大間違い!
(喫茶)と言いながら、実は(飲食禁止)の歌声喫茶が増えたのです。

エッ?
例えば、喫茶店で飲食が無かったら・・それって何なの?でしょ。
飲食禁止の喫茶店って・・それ何なの?でしょ。

なのに、なのに、飲食禁止の歌声喫茶はあちこちに存在するんです。


はっきり言います。
歌声喫茶って、ただ唄ってりゃいいってもんじゃないんですね。
合唱団じゃあるまいし、そんなに鬼気迫る状態で、歌なんか唄ったって楽しくないでしょ~。
あのね、たかが「歌声喫茶」なんですよ。
何か勘違いしてないのかな~?

歌声喫茶ってのはね、ある種の井戸端会議空間なんざんすね。
飲めや唄えの空間・・っと言っては言い過ぎかも知れませんが、
飲み食いもせずに歌だけを純粋に楽しむだけの空間とは一味もふた味も違うんですね


それなのに、飲食禁止というのは、
要するに会場側の身勝手な、一方通行の言い分。

その論理は、ただただ会場を汚されたくない。これだけ。
あのね、会場というのは、
そこを使いたい人達に如何に楽しんでもらうか?でしょ。
会場ってのは、(使ってナンボ)の世界でしょ。

そんな根本的な事などお構いなしに、ただただ汚されたくない、ってこれ何なんだよッ!
それほど汚されたくないというなら、鼻から会場など造らなければいいのに。
会場を造ると言う事は、使用者達に楽しんでもらいたいという事でしょ。

一体、会場の管理者なんてのは、その根本的な事がまるで分っていない。
会場という物理的で優美な空間が出来上がった途端に、
もう、如何に会場を綺麗に保つかの頭しか無い。

違うでしょう。
会場という空間を如何に、そこを使う人達に楽しんでもらうか?でしょう~。

飲食禁止の歌声喫茶って、まるで興ざめ。
だから、飲食禁止の歌声喫茶は、最初から敬遠。

顔馴染みの仲間たちと、和気あいあいで唄える会場こそ(歌声喫茶)
飲んで食べて歌を唄って・・だからいいんですね、歌声喫茶なんですね。

新宿ともしび・・新宿・家路・・八王子ふるさと・・船橋ゴリ・・西新宿トミ・・
そういった常設の歌声喫茶では、当たり前ですが飲食自由・・自分のお金でね。
そういった店で飲み物をこぼして床を濡らせた。
そんな事はいつもある事です。
それに対し「この店は汚い」と文句を言った人が居ますか?
まず、そんな人など居ないと思います。

だったら、何処の会場でも、飲食自由にすればいいじゃないですか。
何をそんなに怖がっているのでしょう?
そういった取るに足らな事だけに怯える人達を・・小役人ふぜいと言います。

重箱の隅をほじくり、一般人をいたぶり、
ホンの一握りの、与えられた権力をさも偉そうにブン回すちっぽけな人。
それを世間一般に(小役人)と言います。

そういった(小役人)がのさばって、偉そうに飲食禁止とのたまう歌声喫茶に、
私は行こうとは思いませんね。
何を目的に会場を使おうとしているのか・・など無関係に、
ただ飲食禁止と言っている歌声喫茶・主催者よ・・
私は、行って楽しい歌声喫茶にしか行く気はゴザランよ。

皆で持ち寄った料理などつつき、好きな酒など飲みながらの歌声。
それこそが・・歌声喫茶。

飲食禁止などと言ってる歌声喫茶には・・私はあまり行きたくない。
どうせ歌声喫茶に行くからには、皆と楽しく飲み食いしながら唄いたいのですね。

歌声喫茶の主催者たちよ、飲食禁止は(歌声喫茶)じゃないよ。
そんなのはダメだよ、そんな事しちゃダメだと私は思ってます。

飲んで食べて唄うから、歌声喫茶って凄く楽しいんですよン。

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今度のカメラはいいぞ

2016-02-21 08:45:03 | 写真


数か月前の日記に、
稀代の欠陥カメラ・・ニコンD5300と書きました。
そのカメラは、腹立ちまぎれにニコンサービスセンターのごみ箱に叩き込むつもりでしたが、
思いとどまって家に持ち帰り、
丁度、私の甥が仕事でチョッとした写真を撮るというので彼にあげてしまいました。


ニコンを買う前はソニーのデジカメを使っていました。



このカメラで撮った写真・動画は本当に多くて、
私の歌声喫茶ライフにキャンプにと、大いに貢献してくれました。
しかし、不満な点もあったのです。

○ ファインダーが液晶画面のみで、昼間の屋外で画面が見えにくい。
○ 液晶ファインダーは、水平だと思っていても、斜めに傾いていたりする。
○ シャッターのタイムラグが大きい(つまり思った瞬間にシャッターが切れない)


それで、ソニーの後継機と思われるカメラ・α6000を買いました。



マウントは同じなので、以前のカメラのレンズがそのまま使えますが、
レンズもボディーに合わせて新品に替えました。

家に届いた箱を開けると、以前のレンズよりずっと小型化されたレンズで、
つまらない所でケチらなくて良かったと思いました。

さて、例の液晶画面も勿論ありますが、
片目で覗くファインダーが付いている点がなんとも嬉しい。
シャッターのタイムラグは大幅に改善されていて、思った瞬間にシャッターが切れる。

肝心の画質、動画撮影時の画面のゆがみ、フォーカスの即効性、音の出具合。
それもこれも、満足できるレベルであり、本当にホッとしました。
それにニコンに比べて小型であり、常に持ち歩く私にはありがたい事です。

これ見よがしに大型で、高価なカメラを見せびらかしたがる人も居ますが、
そういったのは、大体、写真が写らない人が多いですね。
カメラというのは小さくて性能が良いのが一番いい。

今では絶えず私のザックの中に常駐していて、私の片腕になっています。
ただ、デジカメというのは、フィルムカメラに比べて圧倒的に操作が複雑なので、
取り扱い説明書は必ず持ってあるくという面倒さがあるのがイマイマしい。

それでも、このカメラは本当にその良さを感じます。
カメラというのは、こうじゃなきゃね。
ニコンめ、アッカンベーだッ!
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