河童の歌声

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メグロK3・バーチカルサウンド復活

2021-02-25 21:29:49 | バイク
2021 MEGURO K3


オートバイメーカーのカワサキから、
メグロを名乗る、メグロK3が復活しました。

メグロとは、今はカワサキに吸収されて消滅した往年のバイクです。
メグロ製作所は、1924年(大正13年)創業。
1964年(昭和39年)にカワサキに吸収され、その歴史に幕を降ろしました。

私の中学校の近く(山手通りが東海道本線の下をくぐる)
そのそばにメグロ製作所があった事を薄々覚えています。
最初は目黒のかむろ坂の辺りにあったみたいですが、
品川区に在ったのは、もう会社が晩年の頃だったのでしょう。



元々は、こういった500CCくらいの大型バイクを売りにしていて、
陸王の後釜として白バイによく使われていました。
シリンダーの横に2本のパイプが直立して在りますが、
当時はまだOHVのバルブでしたので、
そのバルブを上下動させる為の軸がそこを通っていました。



今はOHV(オーバーヘッドバルブ)から
OHC(オーバーヘッドカム)になっていますので、
垂直軸は1本で、その中の軸は上下動ではなく回転運動で、
シリンダー上部のカムに動力を伝達しています。



さて今回、カワサキはその伝統のブランド名・メグロの復刻版を、
新しく造り上げてきました。
それが、メグロK3です。
排気量800CC。52馬力。価格は127万6000円。
既に予約がかなり入っているとか。
その多くが40歳以上のオヤジライダーなんだそうです。



ガソリンタンクには、晴れ晴れしく、メグロのエンブレム。
コンチクショー、憎いね。





こういったヨーロッパスタイルを支持する人がいる反面、
アメリカ型の典型として、ハーレーダヴィットソンがあります。
でも、私はハーレーというバイクのメカニズムは好きなんですが、
如何にも(チョイ悪るオヤジ)などと言われて得意になっている輩の、
あのギンギラギンの集団走行には辟易してしまいます。



過去にも言ってますが、
私が最も好きなバイクはイギリスのトライアンフ。
これこそバイクの神髄くらいに思っています。



カワサキには以前にW800だったか、
こういった、カフェレーサースタイル版がありました。
今回のK3をこういったカフェレーサーに改造して、
自分好みのバイクに仕立てあげたら、それは最高でしょうね。

カワサキの・・メグロのバーチカル(垂直)ツインエンジンは、
あの排気音が最大の魅力だと思っています。
それはトライアンフも同じで、
今はむしろ、この日本製のメグロを買った方がいいかも知れませんね。

あゝ、若かったらな~。
悔しいけど、私がこれに乗る事は絶対にありません。
しかし、あの最高のバイクで駆け抜ける悦びを私は知っているのです。
だからこそ、、ま、いいか~。
お前らはこのバイクを買って、そして日本中を駆け回り走りまくってくれよな。




コメント (4)
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桜木町事件

2021-02-22 07:06:25 | 事件・事故


私は以前、横浜に長く住んでいましたので、
桜木町事件という電車の火災事故で多くの人が亡くなった事件を知っていました。
その場所は、横浜駅から桜木町駅の間の高架になっている場所です。



高架になっている下は、この様な無機質で半分暗渠みたいな道で、
まるで面白味の無い直線が1キロも続くのです。
私はそこを3回くらいは歩いた事があります。
そこを歩くと「この真上の線路で、あの桜木町事件があったのだな」と、
思わずにはおられませんでした。



事件は1951年(昭和26年)4月24日、午後1時38分頃に起きました。



国鉄・桜木町駅から200メートルくらい横浜駅寄りの上り線で、
架線工事をしていた作業員が工具のスパナを誤って落としてしまったのです。
その為に架線がワイヤーに接触しショート、ワイヤーが断線しました。
断線して架線が垂れ下がってしまったので、
作業員たちは上り線の列車を進入させない様に手配をしましたが、
下り線に対しては措置を取らずに、通常通り運行できると判断したのでした。



その時、横浜駅方面から下り電車が進入して来ました。
運転手は架線が垂れ下がっているのに気づかずにそのまま時速35キロで進入。
その時、垂れ下がっていた架線がパンタグラフに絡まってしまったのです。
運転手は急いでパンタグラフを降ろそうとしたのですが、
パンタグラフは破損し電車の車体と接触しショートしてしまいます。
電車の屋根の部分から発火し、火は瞬く間に車体へと燃え移ってゆきました。

先頭車両は瞬く間に燃え広がり、火は2両目にも移ってゆきました。
先頭車両は10分間で全焼、2両目は半焼したのでした。
この火災で死者106人、重軽傷者92人を出す大惨事となってしまいました。



事故車両の窓は3段構造になっていました。
上の段と下の段は上下動させて開きますが、真ん中の窓は固定式で動きません。
上下の窓の隙間は、29センチでした。
その隙間からの脱出は火災の中では殆ど不可能でした。
自動扉を開けようにも電流のショートにより開けられず、
乗客たちは非常用コックの位置など分かる筈もなく、
車両と車両を連結する通路のドアは外部から鍵がかけられていて開く事は出来ませんでした。
かろうじて1両目と2両目の間のドアは開けられる筈でしたが、
そのドアは左右にスライドさせる形式ではなく、
取っ手を引っ張って開ける形式だった為に、
脱出しようと必死で押し寄せる乗客の圧力で開く事が出来なかったのです。
更に事故現場が高架路線だった為に消火活動も殆ど出来ずに、
外の人々は、乗客達が助けを求めながら焼け死んでゆく姿をただ見ているしかないという、
地獄絵を産んだのでした。

この当時の電車は戦後の、まだ未成熟で不完全な車両で、
極めて燃えやすい材料やペンキで覆われていたのです。
乗っていた客たちは逃げ場の無い密室で焼け死ぬしかなかったのでした。



この事件を機に、車両は進歩して行きましたが、
人間は生まれてくる時代を選ぶ事は出来ずに、
「こんな理不尽な死に方があるか」と思っても、どうにもならないのです。
電車の中に居たか、外に居たかで、天国と地獄。
時代とは言え、本当に気の毒な事件でした。


コメント (5)
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応援歌、どっちもどっち

2021-02-22 06:13:20 | 音楽
巨人軍~闘魂こめて~


この歌の作詞者は、佐藤惣之助。
プロ野球のライバル球団として有名な、
読売巨人軍(ジャイアンツ)と、阪神タイガースには、
それぞれ球団歌というか応援歌があります。

面白いのは、どちらの歌も作曲者が同じ古関裕而だという事です。
作られたのは阪神タイガースが1936年(昭和11年)
その当時は阪神ではなく、大阪タイガースという球団名で、
阪神と改題したのは1961年(昭和36年)
この歌は12球団の球団歌として最古の歌です。

一方のジャイアンツ「闘魂こめて」の作詞者は、
椿三平(彼は「広島カープの歌」の作詞者、池田真琴と同一人物です)
この歌が出来たのは1962年(昭和37年)でした。
阪神タイガースの歌「六甲おろし」の方がずっと早いんですね。

ジャイアンツの「闘魂こめて」は、
1番は、守屋浩。2番は、三鷹淳。3番は、若山彰が唄っています。
2006年からは水道橋駅の発車メロディーとなっています。

「闘魂こめて」

1 闘魂こめて大空へ 球は飛ぶ飛ぶ 炎と燃えて
  おおジャイアンツ その名を担い(にない)てグランドを
  照らすプレーのたくましさ
  ジャイアンツ ジャイアンツ
  ゆけゆけ それゆけ巨人軍
2 嵐を雲をつんざいて 球は呼ぶ呼ぶ 勝利の星を
  おおジャイアンツ その名と共に 明日の日へ
  伸びるチームの勇ましさ
  ジャイアンツ ジャイアンツ
  ゆけゆけ それゆけ巨人軍
3 輝く歴史重ねつつ 球はゆくゆく 無敵の天地
  おおジャイアンツ その名を高く いや高く
  あげるナインの頼もしさ
  ジャイアンツ ジャイアンツ
  ゆけゆけ それゆけ巨人軍

阪神タイガースの歌(六甲おろし) 若山 彰(古関裕而 作曲・歌詞入り)


「六甲おろし」

1 六甲おろしに颯爽と 蒼天翔(か)ける日輪の
  青春の覇気 美(うるわ)しく
  輝く我が名ぞ阪神タイガース
  おう おう おうおう阪神タイガース
  フレ フレフレフレー
2 闘志溌剌(はつらつ)起(た)つや今 熱血既に敵を衝く(つく)
  獣王の意気 高らかに
  無敵の我らぞ阪神タイガース
  おう おう おうおう阪神タイガース
  フレ フレフレフレー
3 鉄腕強打 幾千度(いくちたび) 鍛えてここに甲子園
  勝利に燃ゆる栄冠は
  輝く我らぞ阪神タイガース
  おう おう おうおう阪神タイガース
  フレ フレフレフレー
  
巨人ファン、阪神ファン。
どちらも「俺んとこの応援歌の方が絶対いい」とか言ったって、
どっちの歌も作った人は同じなんだよ、古関裕而という事で、
そんなのね、どっちだっていいじゃんかよ~。
  
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揺れない船

2021-02-21 07:47:29 | 船舶
船舶の最大の欠点はなんでしょうか?
それは、沈没する事もあるという事です。
それは飛行機でも同じで、それは墜落するかも知れない事。
自動車も同じで衝突するかも知れない事。

では、そういった事故は考えずに、
船に対し人々が最も気になる事は・・船酔いですね。
私も本来あまり乗り物酔いに強い方ではなく、
その中でも船は一番恐れる乗り物なんです。

前妻は、乗り物酔いを経験した事がないという憎たらしい妻でした。
また現在の妻も同じで、ほぼ乗り物酔いの経験はないそうです。

以前の知り合いの男性で、
彼は船の部品の設計の仕事をしていて、
自分の設計した物の完成度を見る為に、船に乗る事があり、
それは荒れる事で有名な、九州の玄界灘に試験航海に出たりするのですが、
その日の海は過去に経験が無い程の大荒れで、
並みいる海の男たちも流石に船酔いをしていたのですが、
その彼は全く何の変化も感ぜずにシラーっとしていたそうです。

かと思えば、歌声喫茶で有名な男性は、
子供時代から乗り物酔いが激しく、
リヤカーに乗せられただけで車酔いをしてたそうです。
こういった人は現代社会では生きにくい人ですね。


さて、人々のこういった不安を解消すべく、
一人の男性が決定的な解決策を講じた船を造りました。

1860年にイギリスのベッセマーという人が、
画期的な「揺れない船」を提案しました。
彼が考案した原理は、
日本でも古くから使われていた照明器具の「ガンドウ」の原理です。



手に持ったガンドウが、どの様に動こうが、
内部のロウソクは水平に保たれているという構造を、
船に置き換えた物でした。



遊園地にある4人乗りのブランコ。
これは外側の4本足の支えが傾いても、
中の座席は水平を保っていられます。
この原理で試験船を造りました。
船体を二重構造にして、前後に支点を造り、
その支点にブランコを吊るして、遊園地のブランコと同じにしたのです。
外側の大きな船体がいくら揺れても中側に吊るした小さな船体は水平のまま。

そして客室や乗組員室、機関室などは全部、中側の船体に収めたのです。
ただ、この構造は船体の横揺れだけを考えたものであり、
縦揺れに対しては何の効果もないという事です。
つまり、船酔いは横揺れが全ての原因であるという前提でした。

ベッセマーの造った試験船の内部船体は130トンでした。
そこに人々は乗り組んで船は出発しました。
その船の横揺れは極めて少ない事が分かりました。

ところが一旦縦波を受けると、船は縦揺れを始め、
それと共に、内部船体は縦揺れと同時に横揺れを始めたのです。
そして横揺れは全く止まる事はなく、
まるで遊園地のブランコの様に揺れ続けたのでした。
そしてブランコを止めようとしても、それを止める方法がありません。

内殻船体の横揺れは縦揺れが起きる度に増幅され、
普通の船の横揺れとは全く違う激しいものとなったのです。
試験航海が終わって下船してきた人々の顔は蒼白だったそうです。
まさにこの世のものとは思われない恐怖を味わったのでした。

試験船は、大失敗でした。



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37ミリ連装機関砲

2021-02-18 05:42:58 | 軍事
The 40mm Machine Gun!!!


この動画は40ミリ単装機関砲です。
私は昔、中国に行った時に、37ミリ連装機関砲の台座に座った事があります。

機関銃と機関砲の違いは、
大体、弾丸の直径によって区別しているみたいです。
20ミリまでは機関銃。
30ミリとなると銃ではなく砲となるみたいで、
37ミリや40ミリになると、完全に砲として呼ばれる様です。
正式な区分けというのは無く、一般的にそういった区分けをしているみたいです。



40ミリの弾丸がこれです。
と言っても全部ではなく、右側の細い部分が弾丸で、
左側の太い部分は砲弾をぶっ放す為の火薬が詰まった薬莢(やっきょう)です。
弾丸の部分の重さは約900グラム。
全長は薬莢を含めると36センチ程度です。
射程距離は37ミリだと5キロ、40ミリだと7キロ。
大体そんな距離の範疇にある様です。





動画は現在の近代的な電気式40ミリ機関砲ですが、
私が座ったのは第二次世界大戦か、それより以前の旧式なタイプで、
写真は単装ですが、私のは2連装の形式でした。

鉄板で出来た丸い席に座ると、2つの丸いハンドルがあり、
台座を左右に旋回させたり、砲を上下動させたりできました。
そのスピードはかなり早く、軽々と動きました。

発射は足踏みペダルを踏む形式だった(?)気がします。
それを踏むと、弾丸が発射される訳です。
そこに座ると誰しもが思う事は、撃ってみたい、です。
しかし、その機関砲は勿論、戦争は終わったのですから発射される事はなく、
ただ、正午とかに近隣の住民に時刻を知らせる為に、空砲が発射されているとの事でした。

弾丸を見れば解かるように、こんな弾丸を受けたら、
人体などバラバラになってしまいます。
37ミリや40ミリ機関砲は対戦車砲としても使われたみたいですから、
例えば自動車に命中しても、一発でオシャカでしょうね。

中国ではあちこちに行ったので、あれは何処だったのかまるで分りません。
ただ、かなり田舎の村だった事だけは覚えています。
あれは今にして思うと、いい経験のひとつです。
でもね本音を言うと、やっぱり撃ちたかった。

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