河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ともしび・懐かしのレジェンドの歌声

2019-09-29 06:07:31 | 歌声喫茶
19.9.28.灯・ともしび懐かしのレジェンドの歌声


武蔵小金井・フラワーホールで17時から20時の3時間、
歌声喫茶・ともしびの創成期を支えてこられてきたレジェンド達の、
歌声にご一緒させて頂きました。

金城広子さん、加藤晴夫さん、佐山尚子さん、深代利定さん、金指修平さん、
瀬良尚郁・育子夫妻、南部敏郎さん・・・
4月6日に亡くなられた、ともしび社長・大野幸則氏が書かれた、
「うたごえ喫茶ともしび65年の歴史」に登場する方々の顔ぶれは、
私など新参者には及びもつかない歴史の重みを感じ、
そんな席にご一緒させて頂くのが、おこがましい思いがありました。

最初チケットを買う時に、
私達などの出る幕じゃないと思いましたが、
主催者である永井さんの売り方が上手くて、
つい買ってしまい、そして行ってしまったのです。

永井さんいわく「60人も集まればいいかな」だったのに、
80人の方々に来て頂きました、と。
40年前を知らない人は我々を含め大勢いましたが、
結果的に、その場にいた人達全員が、
凄い時間を凄い人達と一緒に唄える事を、
心から歓び、楽しむ事を共有できたのでした。



会場は、武蔵小金井のフラワーホール。
ここは、もう10年くらい前だったか?
エーちゃんと、丸ちゃんの(定年・還暦を祝う会)を行った会場で、
私はもう場所を忘れかけていました。





仙台からは歌声喫茶バラライカを主催する、
アコーディオンの天才・南部敏郎さんも駆けつけました。



記念写真は、
私としては、ともしび創成期を支えてきたレジェンドだけで撮りたかったのですが、
会場の雰囲気などもあり、
私ごとき門外漢までもが参加する写真になってしまったのは、
ま、仕方ないのでしょう。

最初は、
「レジェンドでしょう、私など新参者には関係ない」と思って、
チケットを買うのも躊躇ったのですが、
でも、行って良かった、心に残ったイベントでした。

動画を撮ろうと待ち構えていた私でしたが、
大好きな「カチューシャ」がかかった途端、
カメラをぶん投げて、たった一人、大喜びで前に出て唄ってしまいました。アハハ。

歌声喫茶ともしび・・
いつまでもいつまでも永遠に皆んなで唄って行きたい・・・






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今日の一曲・朝露

2019-09-23 06:21:30 | 歌声喫茶
朝露 李政美


歌声喫茶で知った歌です。

地味で、派手さとは無縁の韓国の歌ですが、
何故か、心にジーンと響くのです。

以前、好きになった女性が、この歌が大好きで、
これを聴くと亡くなった母親を思い出すの、と言ってました。
その彼女も亡くなった母親の歳を越えてしまった。

最近、フェイスブック友達の女性が、
やはりこの歌が大好きで、
「聴くと涙が出てくる、この歌に出会えて良かった」
と書いてありました。

私も同感です。
とっても余韻が残る、いい歌ですね。

歌は・・音楽は・・
国境を人種を言語を時代を越え、
人の心に響くのです。



長い夜をあかし 草葉に宿る
真珠より美しい 朝露のように
心に悲しみが みちる時
朝の丘に立ち ほほえみを学ぶ

陽は墓地の上に 赤く昇り
真昼の暑さは 私の試練か

私は行く 荒れ果てた荒野へ
悲しみをふりすて 私は行く・・・



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今日の一曲・マルセリーノの歌

2019-09-21 20:33:27 | 音楽
汚れなき悪戯・マルセリーノの唄Cancion De Marcelino(1955年)


映画「汚れなき悪戯」を観たのは子供の頃だった。
母親に連れられて行ったのだろうが、それが何歳の時だったかの記憶はない。

ストーリーもよく覚えてはいないけれど、
あのメロディーはよく覚えている。
現在も時折耳にする名曲。

「みかんの花咲く丘」で涙する方もいらっしゃいますが、
私はこの曲「マルセリーノの歌」を聴くと、
どうしてなんでしょうか?自然に涙が流れます。

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料金前払い制のキャンプ場

2019-09-21 07:45:01 | キャンプ


9月21日~23日までは、
御殿場の(まるびオートキャンプ場)に行く筈でしたが、
またまたの台風に泣かされて、キャンセルしました。

このキャンプ場は過去に3回行っている、お気に入りのキャンプ場なのですが、
本当についてない。

最初は7月に行く筈だったのが、雨だったので取りやめ。
では8月にしようと申し込んだら、
お盆休みの時期だったので、予約が難しいと言われましたが、
でも、過去に3回行っている実績を買ってくれて、
最盛期の期間に、私達が指定したサイトを当てがってくれたのです。
しかしこの時も、あれは台風だったのか?
とに角天気が悪くて延期。
それで9月にとなっていたのです。

今年は本当にキャンプの天気には不運続きでくさっていたので、
そのキャンプには、大いに期待していたのです。

所が私達が行く、その日に限って、またまたの台風。
いくら何でも台風のさ中にキャンプする馬鹿はいません。
雨はともかく、キャンプでは強風は最悪なんです。

で、来月に延期しようとキャンセル電話をしたら、
前払い金は直前キャンセルという事で、全額(10800円)が、
キャンセル料となってしまったのです。

そ、そ、そんな~・・・・

キャンプ場の親父さんはとっても気さくでいい人なんですが、
その電話の時は、流石にむっとして機嫌が悪い事が察しられました。
これだけキャンセル続きだと、いくら何でもという気持ちなんでしょう。

最近は、一部の不心得者が、
あちこちのキャンプ場を予約しておいて、
いざ当日になると、本命以外を全てキャンセルするという事をするのです。
これでは、キャンプ場はたまったもんではありません。

その対抗策として、採ったのが、料金前払い制。
キャンプ料金を払い込んでしまうのですから、
ヤーメタとはいかないのです。
当日中止になった時は、後日、そのキャンプ場に行くしかないのです。

しかし、いくら行く気があっても、
キャンプというのは天気次第です。
雨の中を3日間もキャンプする人というのは、チョッといないでしょう。

今回の我々みたいに、いくら行く気があっても、
雨だ、台風だでは話になりません。

私は、お金は払っているんだから、
行く日をずらすだけなら何時でもいいんだと思っていたのですが、
前日キャンセルは、キャンプ場側から言わせるとルール違反。
で、全額キャンセル料として徴収されてしまったのです。

キャンプ場側では、
「弁護士を通しているので、キャンプ場側の言い分は通る」と言ってました。
いい親父さんだっただけに、その彼を怒らせてしまった事は残念です。
それもこれも全ては天気。



先日、15人でロッジを借り切った千葉県・久留里の、
(かずさオートキャンプ場)、ここも料金前払い制でした。
でもここは、テントを設営する訳でもなく、
ロッジという家に泊まるのですから、
それに久留里の歌声喫茶開催日は決まっているのですから、
雨が降ろうが関係なく行く気でした。

しかし、普通のキャンプ場で、料金前払い制は・・・
これからはチョッと二の足踏んでしまいますね。
(まるびオートキャンプ場)は、
何だか関係がこじれてしまった気がして、もう行かないかな??

キャンプも登山も、
アウトドアというのは天気次第で悩ましいんですね。




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戦艦陸奥、謎の爆沈

2019-09-15 16:05:47 | 軍艦




戦艦・陸奥(むつ)は、
戦艦・長門級の2番艦として、1920年(大正9年)に竣工した。
排水量39000トン。全長225メートル。

長門・陸奥は世界で初めて16インチ(40,6センチ)砲を採用した。
竣工時は世界最強の、高速戦艦でした。

これに脅威を覚えた列強は、
1921年、ワシントン軍縮条約を開催し、
戦艦保有の枠が取り決められます。

日本はこれに反発し、まだ未完成だった陸奥の保有を強固に主張します。
未完成の陸奥に医療室を設け、さも医療が普通に行われているといった偽装をします。
その甲斐あって陸奥は保有が認められましたが、
その代わりに、
アメリカは戦艦・コロラドとウェストヴァージニアの2隻。
イギリスはネルソン級2隻と、4隻の保有を建造します。

日本は陸奥の保有を強固に主張するあまり、
米英に4隻の保有を認める事となってしまった事は、果たして得策だったのか・・

これら日米英の16インチ主砲搭載艦は7隻あり、
ワシントン軍縮条約が解禁されるまでの、
いわゆる海軍休日(ネイバルホリデー)には、
世界のビッグ7と呼ばれていました。



陸奥は竣工時はこういったスタイルをしていましたが、
1923~1924年にかけて大改装されます。







最も顕著な改造は煙突の煙が鐘楼にかかるのを防ぐ為に、
煙突を後方に大きく湾曲させた事です。
これは諸外国からも「戦艦の威容を損ずる」といった非難もあった様です。
しかし、この独特の姿が、
長門・陸奥により一層の特徴的な艦容を与える事になります。

長門・陸奥の後には、
あの・・戦艦大和・武蔵の世界最大の戦艦が生まれますが、
大和・武蔵の存在を日本国民が知るのは戦後であり、
長門・陸奥は(国民の誇り)と謳われていたのです。
その時の姿が、この湾曲煙突のスタイルでした。





長く国民から親しまれた長門・陸奥は、
1934年に第2次大改装をして生まれ変わります。

2本煙突から1本煙突へ、
そして鐘楼はより近代化されます。
これが、長門・陸奥の最終的な姿となりました。

しかし、1943年(昭和18年)6月8日に大事件が起きてしまいました。

広島県の瀬戸内海・柱島に停泊中に、
3番主砲(後ろから2番目)付近から突然、大爆発を起こし、
船体が切断され沈没してしまったのです。
1473人中、1120人が死亡。
陸奥は、結局、戦局には何ら寄与する事なく沈んでしまいました。

海軍は死力を尽くして原因を調査しましたが、
海軍艦艇内で常態化していた陰湿なイジメに耐えかねた一水兵による、
放火という説が有力視されたのでした。
こういった事件は陸奥以前にも、装甲巡洋艦・日進にもあった事なのです。





戦艦陸奥の16インチ(40,6センチ)主砲は引き揚げられ、
呉の大和ミュージアムに展示されています。

それにしても、日本の軍隊にある、シゴキ・イジメ。
こういった体質は国民的な体質なのでしょうか?
現在の学校教育界からも無くならないし。
自衛隊は果たしてどうなんでしょうか?

いずれにしても、私が軍人になるとしても、
絶対に日本軍はお断りですね。
階級が違っても、人間として言いたい事は言う。
そして上もそれを認めるというアメリカ体質で軍人になりたいですね。

日本人には、どうしてそういう体質が生まれないのでしょう?










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