私がバイク大好きになったのは中学生の時でした。
1年生だったか2年生だったか・・?

その頃、最高に憧れ夢にまで見たのは、ホンダ・スポーツカブでした。
人生で初めて何かに憧れたのですから、本当に毎晩夢にまで見ると言っても過言ではありません。
私のホンダ(バイク)好きは、これが大きなきっかけでした。
当時のバイクは、殆どが2サイクルエンジンでしたが、
ホンダは4サイクルエンジンだったという点も大きかった。
メカ的に4サイクルエンジンは、2サイクルに比べて大型で、
エンジンブレーキの効きが良いという点も好きでした。
また2サイクルより排気煙が少ない点も好きでした。
あの頃の2サイクルエンジンは排気煙がかなり凄かった。

なので、初めて買ったバイクも、ホンダC-72という250ccの実用車で、
ただ、シートだけは二人乗りのダブルシートにして粋がった物でしたが。
そういった私のホンダ好きの時代に、
ライバルとして頑張っていたのが、ヤマハでした。

初めてヤマハを意識したのは、確かYCー175(cc)というバイクでした。
近所にこれでよく乗り付けて来る男がいたのです。
そいつは、これを実にカッコイイ服装で乗り付け、
中学生の私からは、「あいつ凄くカッコいい」と映ったのです。

また近所の酒屋の道楽息子がこれを乗り回していました。
ヤマハYD-1(250cc)
これは実用車ながら後にして思うと、かなりスポーツタイプのデザインなんです。

これの後継車として登場したのがYD-2でしたが、
あまりにも実用車然として、カッコ悪くなってしまった。
これだったら前のYD-1の方が良かったのに・・・
「モーターサイクリスト誌」主催のラリーに参加した事があります。
多摩川にかかる日野橋にバイクファンが集まり、
富士スピードウェーまでのラリーを楽しみ、
スピードウェーを走ったと思うのですが、
スピードウェイを走った記憶が無い(涙)のです。

そんな中でひときわ目立っていたのが、ヤマハYAー1(125cc)
通称、赤トンボと呼ばれた名車でした。
オーナーはこれのハンドルをアップタイプとローハンドルという、
上下2本のハンドルにして、ぶっ飛ばす時は、ローハンドルを使うという、
前代未聞、奇想天外の改造車を得意気に乗って、みんなの注目を浴びていました。

また、ライラック(今は無き丸正自動車)の500ccもいました。
左隣には、ライラック・ランサーマークV(250cc)が在りますが、
そのスタイルの良さに、一度は乗ってみたいというバイクでした。
ライラックはドイツのBMWと同じで、
チェーンではなく、シャフトドライブ駆動という点が珍しかった。
そういった時代にホンダは在ったし、ヤマハも輝いていたのです。
私は結局ヤマハに乗る事は無かったのですが、
好きなホンダのライバルとして、その存在感は強烈で認めざるを得なかった。

ホンダを卒業した私はその後、
英国製、バーチカルツインの、トライアンフ・ボンネヴィルへ行ってしまったのでした。
もう二度と乗る事は無いバイクですが、
トライアンフ・ボンネヴィルほど、永遠の憧れのままのバイクはありません。
1年生だったか2年生だったか・・?

その頃、最高に憧れ夢にまで見たのは、ホンダ・スポーツカブでした。
人生で初めて何かに憧れたのですから、本当に毎晩夢にまで見ると言っても過言ではありません。
私のホンダ(バイク)好きは、これが大きなきっかけでした。
当時のバイクは、殆どが2サイクルエンジンでしたが、
ホンダは4サイクルエンジンだったという点も大きかった。
メカ的に4サイクルエンジンは、2サイクルに比べて大型で、
エンジンブレーキの効きが良いという点も好きでした。
また2サイクルより排気煙が少ない点も好きでした。
あの頃の2サイクルエンジンは排気煙がかなり凄かった。

なので、初めて買ったバイクも、ホンダC-72という250ccの実用車で、
ただ、シートだけは二人乗りのダブルシートにして粋がった物でしたが。
そういった私のホンダ好きの時代に、
ライバルとして頑張っていたのが、ヤマハでした。

初めてヤマハを意識したのは、確かYCー175(cc)というバイクでした。
近所にこれでよく乗り付けて来る男がいたのです。
そいつは、これを実にカッコイイ服装で乗り付け、
中学生の私からは、「あいつ凄くカッコいい」と映ったのです。

また近所の酒屋の道楽息子がこれを乗り回していました。
ヤマハYD-1(250cc)
これは実用車ながら後にして思うと、かなりスポーツタイプのデザインなんです。

これの後継車として登場したのがYD-2でしたが、
あまりにも実用車然として、カッコ悪くなってしまった。
これだったら前のYD-1の方が良かったのに・・・
「モーターサイクリスト誌」主催のラリーに参加した事があります。
多摩川にかかる日野橋にバイクファンが集まり、
富士スピードウェーまでのラリーを楽しみ、
スピードウェーを走ったと思うのですが、
スピードウェイを走った記憶が無い(涙)のです。

そんな中でひときわ目立っていたのが、ヤマハYAー1(125cc)
通称、赤トンボと呼ばれた名車でした。
オーナーはこれのハンドルをアップタイプとローハンドルという、
上下2本のハンドルにして、ぶっ飛ばす時は、ローハンドルを使うという、
前代未聞、奇想天外の改造車を得意気に乗って、みんなの注目を浴びていました。

また、ライラック(今は無き丸正自動車)の500ccもいました。
左隣には、ライラック・ランサーマークV(250cc)が在りますが、
そのスタイルの良さに、一度は乗ってみたいというバイクでした。
ライラックはドイツのBMWと同じで、
チェーンではなく、シャフトドライブ駆動という点が珍しかった。
そういった時代にホンダは在ったし、ヤマハも輝いていたのです。
私は結局ヤマハに乗る事は無かったのですが、
好きなホンダのライバルとして、その存在感は強烈で認めざるを得なかった。

ホンダを卒業した私はその後、
英国製、バーチカルツインの、トライアンフ・ボンネヴィルへ行ってしまったのでした。
もう二度と乗る事は無いバイクですが、
トライアンフ・ボンネヴィルほど、永遠の憧れのままのバイクはありません。