goo blog サービス終了のお知らせ 

河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ヤマハの系譜

2025-03-09 06:10:41 | バイク
私がバイク大好きになったのは中学生の時でした。
1年生だったか2年生だったか・・?



その頃、最高に憧れ夢にまで見たのは、ホンダ・スポーツカブでした。
人生で初めて何かに憧れたのですから、本当に毎晩夢にまで見ると言っても過言ではありません。
私のホンダ(バイク)好きは、これが大きなきっかけでした。
当時のバイクは、殆どが2サイクルエンジンでしたが、
ホンダは4サイクルエンジンだったという点も大きかった。

メカ的に4サイクルエンジンは、2サイクルに比べて大型で、
エンジンブレーキの効きが良いという点も好きでした。
また2サイクルより排気煙が少ない点も好きでした。
あの頃の2サイクルエンジンは排気煙がかなり凄かった。



なので、初めて買ったバイクも、ホンダC-72という250ccの実用車で、
ただ、シートだけは二人乗りのダブルシートにして粋がった物でしたが。

そういった私のホンダ好きの時代に、
ライバルとして頑張っていたのが、ヤマハでした。



初めてヤマハを意識したのは、確かYCー175(cc)というバイクでした。
近所にこれでよく乗り付けて来る男がいたのです。
そいつは、これを実にカッコイイ服装で乗り付け、
中学生の私からは、「あいつ凄くカッコいい」と映ったのです。



また近所の酒屋の道楽息子がこれを乗り回していました。
ヤマハYD-1(250cc)
これは実用車ながら後にして思うと、かなりスポーツタイプのデザインなんです。



これの後継車として登場したのがYD-2でしたが、
あまりにも実用車然として、カッコ悪くなってしまった。
これだったら前のYD-1の方が良かったのに・・・

「モーターサイクリスト誌」主催のラリーに参加した事があります。
多摩川にかかる日野橋にバイクファンが集まり、
富士スピードウェーまでのラリーを楽しみ、
スピードウェーを走ったと思うのですが、
スピードウェイを走った記憶が無い(涙)のです。



そんな中でひときわ目立っていたのが、ヤマハYAー1(125cc)
通称、赤トンボと呼ばれた名車でした。
オーナーはこれのハンドルをアップタイプとローハンドルという、
上下2本のハンドルにして、ぶっ飛ばす時は、ローハンドルを使うという、
前代未聞、奇想天外の改造車を得意気に乗って、みんなの注目を浴びていました。



また、ライラック(今は無き丸正自動車)の500ccもいました。
左隣には、ライラック・ランサーマークV(250cc)が在りますが、
そのスタイルの良さに、一度は乗ってみたいというバイクでした。
ライラックはドイツのBMWと同じで、
チェーンではなく、シャフトドライブ駆動という点が珍しかった。

そういった時代にホンダは在ったし、ヤマハも輝いていたのです。
私は結局ヤマハに乗る事は無かったのですが、
好きなホンダのライバルとして、その存在感は強烈で認めざるを得なかった。



ホンダを卒業した私はその後、
英国製、バーチカルツインの、トライアンフ・ボンネヴィルへ行ってしまったのでした。
もう二度と乗る事は無いバイクですが、
トライアンフ・ボンネヴィルほど、永遠の憧れのままのバイクはありません。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄光のホンダCB92

2024-09-08 07:18:52 | バイク


ホンダ、CB92は1959年、125ccバイクです。
125ccという事は、第二種原動機付自転車。



フェンダー後部にはこんなマークが書かれていました。
原動機付自転車・・あまりの時代錯誤は、もうお笑いですね。

ホンダ(本田技術研究所)は、本田宗一郎が築いた企業です。
本田宗一郎は、ホンダブランドを世界一にするんだという固い思いを持っていました。
ホンダという名前を世界中に知ってもらう最短距離は、
世界的なオートバイレースで優勝する事です。



その最高峰のレースが、イギリスで行われる、マン島TTレースです。
ホンダはマン島TTレース出場を宣言したのでした。
と言っても昨日今日の新参者ホンダがいきなり勝てる筈はありません。

ホンダはまず1954年の国際オートレースに出場します。
これは欧州メーカーに全く歯が立たずでした。

次は翌1955年の国内レース、浅間火山レースに出場します。
浅間火山レースは、創成期のオートバイ界でトップに位置するレースでした。
ホンダは期待されながらも、ヤマハに敗れました。

1957年に第2回全日本オートバイ耐久レースに出場しますが、勝てませんでした。
1958年の全日本は中止。
1959年に、第3回全日本オートバイ耐久レースに出場。



       そしてやっと優勝の栄冠を勝ち取る事が出来たのです。
       これの為に開発されたのが、CB92だったのです。

当時、日本のバイクは125ccか、250cc全盛の時代で、
大型バイクというと白バイの750ccくらいしか見かけませんでした。
ホンダは125ccをベンリイ号(便利から採った)
250ccはドリーム(夢)と名付けていました。

そしてCB92の、CBはその後、ホンダのスポーツバイクの名前として継承されていき、
初めてCBを付けたのは、このCB92からでした。

ホンダ初のスーパースポーツとかも言われるみたいですが、



基本は普通バイクのC92と同じ、神社仏閣と言われたプレスフレームだし、



フロントフォークは、真のスポーツとは言えないボトムリンクでした。



本当の意味での本格スーパースポーツは、
翌1960年11月の、ドリームCB72と言えるでしょう。



とは言っても、私も数回見かけましたが、
あの深紅のフレームに角ばった燃料タンクは、凄いインパクトがありシビレました。
今、このバイクを駆って東名高速を走り、
サービスエリアにこいつを停めたら、きっと人だかりがするでしょう。
今更1300ccだ2500ccだなんて珍しくもない。
たった125ccの、この美しいバイクはそれとは次元が違うのです。
あの、本田宗一郎の(夢)が見えるのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原付とは

2024-06-13 10:10:48 | バイク
ゲンツキと言えば、ゲンツキバイクの事だと多くの人が知っていると思います。
またゲンツキを漢字で書くと「原付」と知っている方も多いと思います。
でも原付ってそもそも何の事なんでしょうか。
原動機付自転車がその正式な名称です。

しかし、今どき原動機なんて普通は言いません、エンジンって言います。
つまり原動機付自転車は、いわばエンジン付き自転車の事なのです。



最初に登場したのは、普通の自転車に無理やりエンジンを取り付けた物でした。



そのエンジンのパワーをプーリーベルトというゴムベルトで、
後の車輪を回していたのです。
先達たちは、人力自転車を何とかラクチンに乗りたいと、涙ぐましい努力をしていたのです。



そんな原付の中でもヒット商品となったのが、ホンダのカブ号でした。
これが後に世界的大企業となった、本田技研工業の記念すべき第一歩でした。
私がバイク好きになったのは中学1年、13歳の時でした。
学校には私以外にもバイク好きの奴は数人いました。



その中の一人が乗っていたのは、こんな形の物でしたが、
それでも自転車ではなくエンジンが付いているという事で、羨ましくて仕方がなかった。
そいつは、勉強の出来は特別出来たとかいう噂は聞かなかったのですが、
ただひとつ、英語だけには情熱を燃やしている男だったそうです。

そこが私と正反対。
子供の頃、アメリカ人やフランス人の子供らとよく遊んでいた私は、
彼等が貧乏な日本人の子供を内心バカにしているのを感じ、
それ故に「こんな勉強なんかやってられるか」と徹底的に、英語をやらなかったのです。
皆が9科目で試験していたのに、私は8科目でやっていたのです。

ちなみに私の誕生日は12月16日。
その年の12月20日までが、14歳で許可証と言われる免許が取れる最後でした。
12月21日以降からは14歳が永久に無くなり16歳からとなったのです。
ま、許可証なんて持ってない13歳から、
私は友人の原付を無許可で乗り回していたんですけどね。
14歳になると工事現場の大型ブルトーザーなんかも勝手に動かしていたし。

ホンダの初ヒット原付カブ号はその後、画期的なバイクを造りました。



それが1958年に誕生したスーパーカブです。
それから56年経った現在でも、スーパーカブは世界中を走り回っています。
私達、日本人が一旦家から外出すると、スーパーカブを見ない日はありません。
その存在はまるで(空気)存在している事も気づかずに、
しかし、絶対にその存在を見ているバイク、こんな物凄い車はありません。
2輪4輪を含めて圧倒的な生産台数、このバイクを超えられる車など永久に出ないでしょう。
でも法律用語で言えば、原動機付自転車なんですね。

何か変だと思いますよね、原動機付自転車なんて・・
法律ももっと柔軟に現在を見た方がいいと、思うのは私だけではないでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘルメット不要のバイク

2023-04-21 07:46:07 | バイク
ノーヘル(ヘルメットを被らなくてもいい)バイクがある事をご存じでしょうか。
それは、ひと言で言うと、3輪のバイクです。





昔の日本には、こういった3輪車がたくさん走り回っていました。
それは、日本がまだまだ貧乏で、本格的な4輪自動車に手が届かなかった時代の、
いわゆる自動車もどきの様な代物でした。
あの頃にはまだ自動車専用の、高速道路が無かったので、まだ良かったのですが、
急ハンドルを切ると、たちまち横転してしまう3輪車で、高速道路を走るのは自殺行為でした。

3輪車が姿を消した現代になって、再び3輪車が現れる様になりました。
3輪バイクと呼ばれる代物です。
昔の3輪車は、4輪の内のひとつを取り払ったスタイルで、
外形的には4輪自動車でしたから、ヘルメットなど被らなくていいのは当然でした。

しかし、最近出始めてきた3輪車は、
そういった昔の4輪自動車とは次元の違う、
2輪バイクと同じスタイルをしていながら、ヘルメットは要らないのです。
これって、何か変じゃない。どこかおかしいと思わない。
そういった感をお持ちな方は多いと思います。
というか、3輪バイクにヘルメット着用義務が無いなんて知らないという方が殆どだと思います。



例えば(宅配ピザ)のバイク。
あれなど、ノーヘルで普通に乗っていますね。
バイクなのに、ヘルメットを被っていないと目くじらを立てる人もいるでしょう。
でも、彼等は法律違反はしてないのです。

警察官にもこれを知らなくて、違反だと反則切符を切ってしまった失敗などあるそうです。
これは運転者が訴えを起こし、認められた事もあります。





3輪車には、トライクと呼ばれる後輪が2つのバイクと、



前輪が2つのバイクがあり、法的な違いがあるのです。

後部が2輪のトライクはノーヘルでも良いのですが、
前部が2輪のバイクは、ヘルメット着用となります。
これは前部2輪は車輪、及び車体全体が傾くためだそうです。

ただしトライク(50cc以上)を運転するには、普通免許が必要であり、
二人乗りも認められます。

基本的には50cc以下と、50cc以上の2つに大きく分類されます。

50cc以下・・・
〇 原付に分類されるものは、
  原付免許、2輪免許、普通免許がある。
〇 ミニカーに分類されるものは、普通免許。

50cc以上
〇 2輪に分類されるもの(2輪免許)
〇 普通自動車に分類されるもの(普通免許)
  (トレッド幅によって2輪か、普通かに分類される)
   トレッドとは左右の車輪の幅

トライクは、ノーヘルで良い。



サイドカーはヘルメット着用。

うん、凄くわかり易い解説ですね。
って、どこがわかり易いんじゃ、全然わからないじゃんか、という方が殆どだと思います。
現職警察官すら間違うのですから、バイクに乗らない人に解る訳がありませんね。

結局、運転者の自覚で、
3輪だろうが、ノーヘルだろうが、これはバイクなんだ、
倒れる危険性、ほっぽり出される危険性が大きいんだから、
ヘルメットは被るべきだという自覚が大切と言えるのだと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハングオン

2023-03-10 07:51:58 | バイク
MotoGPスライディング、スローモーションで見るとやばい事になっていた!


現在のバイクレースでは、カーブを曲がる時に、ハングオンというスタイルになっています。
ハングオンというのは、正式にはハングオフと言うらしいのですが、
日本では誤ってハングオンという名称に変わってしまいました。

ハングオフというのは、しがみつく、掴むという意味だそうです。
それに対してハングオンは、中吊り、ぶら下がるという意味なので、
そういった意味から言えば、ハングオンもあながち間違いとは言えないのかも知れません。



バイクでの曲がり方には車体より内側に体を傾ける(リーンイン)
体と車体とが同じ(リーンウィズ)
体を車体の外側に持って行く(リーンアウト)の3種類がありますが、
ハングオンはリーンインの究極版とでもいいましょうか。
ハングオンが出始めた時代のバイクは、バンク角(バイクを傾ける角度)が浅く、
タイヤも限界性能が低かった為に、なるべく車体を傾けない様にしていた。
そういった背景があったのでハングオンをする様になったのかも知れません。



ヤーノ・サーリネン
フィンランド。1945年~1973年(27歳でレース中に事故死)
ハングオンスタイルを最初に持ち込んだのは、彼とも言われています。



ケニー・ロバーツ。1951年~ アメリカ。
ハングオンを世界的な知名度にしたのは、彼だというのが定説になっているみたいです。
1980年代初頭からでした。



それ以前は、レースと言えど、こういったリーンウィズで走るのが普通でしたけどね。



ハングオンがレース界で使われ始めると、みなそれを真似し始めました。
膝を路面に擦りつけて走るバイクの姿は、衝撃的かつ魅力的でしたからね。
大してスピードも速くないのに、真似をし過ぎて膝を擦りつけ、転倒するなんてお笑いもありました。
あれを使いこなすのは、相当の熟達者でないと無理があります。
普通にリーンウィズでも、熟達者は速く走れますから、
中途半端な恰好ばかりの真似はしない方がいいでしょうね。

それにしても、凄い人たちは居るもんです。
彼らを人間と思ったら大間違い、彼等はもう人間の域をとっくに超越しています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする