河童の歌声

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私の登山デビュー記

2015-11-27 16:12:52 | 登山
私が初めて山らしい山に登ったのは、20代前半の頃だった。
20歳の頃に写真が好きになり、あちこちによく出かけては撮りまくっていた。
そういった中で、たまたま山へと足が向いたのだと思います。

小田急線の秦野駅からバスに乗って行った先が、ヤビツ峠。
そこは表丹沢の山に登る人が必ず行く終点駅。
ヤビツ峠行きのバスは日に数本しか無いので、
私はきっと、ある程度は調べてから行ったんだと思います。
季節は多分、春から夏にかけての頃だった様な・・・

ヤビツ峠バス停に降りると、そこは当然登山者ばっかりでした。
そこに行けば、きっと何らかの山岳風景が撮れるだろうと、私は思っていたのかも知れません。
その辺の記憶はいまいち、曖昧なんです。

さて、バスを降りたものの、そこは山岳風景などではなく、
それはそれでも良かったのですが、
登山者たちの姿を写真にしたかった私は、
そこから何処かに行かなければ写真にはならないなと思い、
多くの登山者たちに引きずられる様に、彼等の後を追いました。

ヤビツ峠のバス停からは舗装された車道を20分程歩きました。
そこは富士見橋という場所で、車道脇には「富士見山荘」という小屋があり、
ジュースの類を売っていた様な気がします。

そこから先がいよいよ本格的な山歩きとなるのです。
そこまで行った勢いで、私も多くの登山者たちの後にくっ付いて登り始めました。
ほぼ一時間で、ある山頂に登り着きました。
そこは(二の塔)というピークでした。
小さな山頂はやや開けて展望が利いていました。
しかし、何も無い山頂でした。

そこから、一旦下降し再び登り直した先にあるのが(三の塔)です。
そこまでの道のりは15分。
その山頂には山小屋らしき建物も見えます。
私は意を決してそのアップダウンを行きました。

だって、私は凄く喉が渇いて、水が飲みたくてもう死にそうだったのです。
何故か?

私の服装はと言えば、完全なる街着。
靴は街で履く普通の革靴。
荷物は、ショルダーバックの中にはあるのはカメラと、その付属品だけ。
つまり、要するに、登山とは何の縁も無い恰好だったという訳です。
飲み水など、持ってる筈もない。

でも、あの山頂(三の塔)に行けば、あの建物に行けば、
ジュースを売ってる、自動販売機だって、きっと有るんだろう。
山頂へ・・山頂へ・・

あそこに行けばジュースが飲めるぞ~ッ!


で、行った。

ガビ~ン!

登り着いた山頂の山小屋は、まるで無意味な無人小屋。
自動販売機どころかジュースも何も無いッ!
無いと言ったら無い。な~んも無かったんですね。

その時、私がどれ程気落ちしたか・・
貴方に判るでしょうか?


しかし、他の登山者たちは街着に革靴で、カメラだけ持って登ってる
この若者(バカ者)を見て、一体どう思っていたんでしょうね~???

でもね、いい勉強になりましたね。

山では会う人、会う人「コンニチハ」って挨拶するんですね~。
山に登るには、専用の靴を履くんですね~。
ザックもあった方が便利だし、やっぱり飲み水はあった方がいいんですね~。

それから数年後、27歳だかの私は、本格的な山男へと変身し、
丹沢山塊、全登山道の70パーセントを単独踏破し、
槍穂高全山縦走をするまでに成長したんですからね~。


でも、あの登山は、今にして思うと、相当のバカだったよな~。
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フェールベリン騎兵隊行進曲

2015-11-25 10:55:48 | 日記
ドイツ/8.フェールベリン騎兵隊行進曲


世界の3大行進曲とよく言われるのが、
アメリカの「星条旗よ永遠なれ」ドイツの「旧友」
そして我が日本の「軍艦行進曲」です。
何で3つに限定するのかは分かりませんけど・・・

ドイツは、この「旧友」という事なんですが、
私は「フェールベリン騎兵隊行進曲」の方をかいます。

ドイツ行進曲の特徴は、ファンファーレとティンパニーなんですが、
「フェールベリン騎兵隊行進曲」は、その特徴がよく出ています。

高らかに奏でられるトランペットのファンファーレ。
そして、太鼓では唯一、音階の高低が出来るティンパニー。



ドイツのお隣の国、フランス。
ドイツとフランスは隣国ながら、言語が対照的。
ドイツの硬い感じから、フランスはとても柔らかな感じ。
行進曲もその言語と同じで硬さと柔らかさ。

その硬さ故に、ヨーデルの歌も、ドイツ語向きですが、
フランス語のヨーデルは、やはり合わない感じがします。

この「フェールベリン騎兵隊行進曲」もドイツ的な特徴丸出しで、
如何にもお堅いドイツの行進曲だという事が誰にでも感じられますね。


でも私の好きな曲。とてもいい行進曲だと思います。
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八ヶ岳倶楽部へ行ってきました

2015-11-23 06:42:45 | 旅行

秋の八ヶ岳倶楽部


八ヶ岳倶楽部というのは、
俳優の柳生博さんが、山梨県の八ヶ岳南麓に、
家族と共に作り上げた庭園です。












そもそもは、1976年(柳生さんが39歳)の時に
八ヶ岳に入った事から始まりました。
その経緯については、まだよくは知らないのですが・・・

そこからは奥様や男の子2人と共に、樹木を伐採したり、
反対に木々を植えたりし、線路の枕木を置いたりして、
美ししくも自然さの感じられる庭園にと少しづつ作っていったのですね。

 

これは、八ヶ岳倶楽部の名物(フルーツティー)です。

奥様の考案だとかで、とても美味しかった。

柳生さんの長男である「柳生真吾」さんは、
NHK「趣味の園芸」の司会を8年間務めた園芸家としても有名でしたが、
今年5月に47歳の若さでガンで逝きました。

その事がきっかけとなって(八ヶ岳倶楽部に行きたい)と思ったのですが、
中々チャンスがなく数か月後になってから、ようやっと行けました。

まだまだ柳生博さんの心の傷は全然癒えてはいないと思います。
それどころか、最愛の息子さんに先立たれた悲しみは、
増しているのではないのでしょうか?

今から20年くらい前のテレビで、
柳生さんが他のスタッフ達と共に、山に登り御来光を見る、
といった番組があり、
一泊くらいしたのだったか、頂上に立ち御来光を眺める柳生さんは、
涙を流していたのを観て私は感動した事があります。

「あァ、この人って本当にいい人なんだな~」と。
それ以来、私は柳生博さんのファンになったのです。

庭園を散歩し、樹木の状態を確かめながらの柳生さんに
無理を言って一緒に写真に収まってもらいました。



私と同じ身長(175センチ)の筈の柳生さんは、
お歳のせいか、立ち位置の関係か、ずっと小柄に感じられました。

何か気の利いた言葉で話しかけたかったのですが、
まるで話らしい話も出来ずに、それでも一緒の写真を撮らせて頂いただけで感激しました。
きっと心の中では、息子さんの事で淋しさがいっぱいなんでしょうが・・・
本当に素敵な方ですね。



泊まりは私は、ほぼ20年ぶりのペンション。
清里駅から数キロにある「カスケード」という家でした。
エリカさんは、ペンション初体験でした。

天気予報を心配して、一日前倒しの旅となりましたが、雨にはならずに、
また、清里駅近くの「萌木の村オルゴール館」では、
重さ2トンもある、自動演奏オルゴールをバックに、
大森たつし、という方の素晴らしい演奏を聴く事ができ、
この演奏の素晴らしさは感動でした。
大森たつしさん身長に合わせて造られたという、重さ350キロの大きなマリンバ。
その低音部の音は、今まで聴いた事もない音色で、それは凄かった。







今週の土曜日の10時05分からNHKで、 38年前の「減点パパ」の番組を再放送するそうで、 この番組をきっかけに、八ヶ岳への移住が始まったそうです。
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実物大の戦艦大和を造れ!

2015-11-20 16:58:26 | 軍艦
私が実物大の「戦艦大和」を見に行ったのは、2006年だったか・・
それは、映画「男たちの大和」に使われた実物大セット。
場所は広島県・尾道市の造船所の空き地に造られたセットだった。

総工費6億円をかけて造られたセットは、
当時の尾道市長らの、「ロケセットを観光に使わせて欲しい」との申し出に、
映画関係者側も快諾し、一般公開となりました。

全長263メートルの内、190メートルの実物大セット。
艦橋などの高層物は建築基準法などの関係で造る事が出来ずにCGで映したそうですが、
その迫力は、まさに、度肝を抜かれました。
大和の舳先(へさき)に立つと、その大きさが実感され、
「こんなデッカイ船が沈む筈がない」と本当に思いました。

一般公開は、結果的に尾道市に莫大な経済効果(25億円)をもたらし、
近隣の市を羨ましがらせたそうです。
253日間で、のべ100万人の人々が押し寄せ、
日によっては観光バスが隊列を組んで押し掛け、
近辺の道路が動きが取れなくなったりしたそうです。

3月で取り壊しになる予定が、
あまりの人気で5月まで延長されましたが、
永久的な構造物では無い為に、そこまでが限界でした。


それにしても、日本人の戦艦大和にかける想いも凄いものなんですね。
私の様な(軍艦オタク)でもなくても、普通の女性までもが見に来るんですから。

それで私がいつも思うのは、
‘実物大の戦艦大和を造れ‘という事です。

世界の三大バカ・三大無用の長物。
(万里の長城・ピラミッド・戦艦大和)

お~お~、言ってくれるじゃんかッ!
でもね、アンタね~、
当時の日本の国家予算の何割かを使って造った、世界最大の軍艦なんですよ。
最新の技術の粋を集めて造った軍艦なんですよ。
それをまた、何をトチ狂ったか、3000人の若者の犬死と共に、
ぶっ壊してしまうなんて、アメリカ軍の、いい標的になるなんてバカな事を・・・
残しときゃ良かったんだよ。
もう二度と再び(戦艦)などという海の大海獣が生まれる事なんて絶対に無いんだから。
あの凄まじくも美しい、世界最大の兵器。
人類史上、最も大きく、最も美しい兵器よ。

今、それを造るには100億円~200億円くらいはかかるんでしょうね。
そして、かなりの大きな広場が無いと出来ませんね。

でも、一旦それを造ったら、今後何十年に渡ってお金を稼げる存在になるでしょう。
きっと、元は取れると思うのです。
それより何より、
この小っちゃい日本人が、世界最大の戦艦を造ったという胸のすく思い。
これこそ造る意義があると私は思うのです。



この写真は、
広島県・呉市にある「大和ミュージアム」の、
10分の1の戦艦大和です。
といっても、全長26,3メートルの巨大な模型です。
それでも、観光客は引きも切らずにやってきます。
(戦艦大和)という存在感は、圧倒的なんです。

私は、貧乏人ですから100億円はとても無理。
私は金持ちだと言う人よ、是非おやんなさい!
本当の金持ちって、そ~ゆ~もんでっせ。


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いつまで漫画を読むか

2015-11-18 06:45:16 | 日記


私は、さいとうたかお氏の漫画が大好きです。
今や日本人では、かなりの人がこの名前を知っていると思われる「ゴルゴ13」(ゴルゴ・サーティーン)
連載が始まったのが1968年というから、今年で37年という事になります。

ちなみに「ゴルゴ」という名前は、キリストが磔になったエルサレムの(ゴルゴダの丘)から来ていて、
「13」というのは西洋では不吉な数字という事で、
「ゴルゴ13」という名前は、まさに(不吉)極まりない名前みたいですね。
それも彼が世界的なスナイパー(狙撃手)なので、そう名付けられたみたいです。


そもそも、母子家庭だった私は、一人で昼食を採る事が多く、
その時は、当時流行っていた(貸し本屋)で借りた漫画を読みながら食事をする事が多かったのです。
私の漫画好きの原点はそこからなのです。

大人になる頃には、貸し本屋はもう無かったのかどうかは記憶にありませんが、
今になると、何処かで(さいとうたかお)の漫画は私の中にあった気がします。

基本的に、(絵が上手い人の漫画が好き)なので、
さいとうたかお氏以外の漫画はあまり読みませんでした。
大人になってからの私は「ゴルゴ13」さえあれば良かったのです。
あの世界を股にかけるストーリー、完璧とも思える絵の上手さ。
いくら読んでも(飽きる)という事はありません。
魅了されるばかりです。

そんな頃、32歳だった頃、同棲していた39歳の女性からこう言われたのです。
「貴方って、まだ漫画を見るのね」
その言葉は、(いい歳して、貴方はまだ子供なのね・・)そういう意味に感じました。
それは、私の心にずっと尾を引きました。「俺ってまだ子供なのかな?」

どっちかと言うと、コソコソと隠れ読んでいたかもしれない、そんな時、
ある時、元総理大臣だった麻生太郎氏が、「ゴルゴ13」の
熱烈な読者という事を知り、してやったりという胸のすく思いがしました。
「元総理だって漫画を読むんだ」
「いい歳して漫画を読むんだ」
それからの私は、心置きなく漫画を読める様になった事は言うまでもありません。

その後、さいとうたかお氏は時代劇漫画を世に出します。
「鬼平犯科帳」「仕掛け人・藤枝梅安」





これには私はビックリしました。
「ゴルゴ13」しか無かった時には、世界中の今、現在が舞台だったというのに、
いきなり江戸時代なんですから、何だか裏切られた思いがしたくらいです。

恐る恐る読んでみたら、
イヤー、その面白い事、面白い事・・・
まさに(目からウロコ)でした。

小説では分からない江戸時代の風景が鮮やかに描かれているのです。
武士の姿、商人の姿、その生き生きとした江戸が、そこにあるのです。
江戸時代の東京・青山村なんて見ると、現在の街並みを思い浮かべ、比較してしまいます。
私は、これらの漫画から、江戸時代というものにとても興味を感じる様になったのです。

コンビニにそれらの新刊が出ていると、つい買ってしまいます。
読み終わった漫画を束にして、団地の階段の下などに置いておくと、
それこそ、あっという間に誰かが持って行ってしまうのです。
やっぱり、漫画好きな大人って結構いるんですよね。

これからの私は、恐らく死ぬまで、いい歳こいても漫画好きのままで逝くんでしょうよ、きっと。




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