鼓童ワン・アース・ツアー「道」/ Kodo One Earth Tour: Legacy
文京シビックホールへ「鼓童」のコンサートに行きました。
シビックホールは、去年、中国の神韻コンサートに行ったり、
今年も、ともしびオペレッタ劇団の「虎の恩返し」公演に行ったりで、
勝手知ったる会場です。
私は「鼓童」のコンサートは初めてですが、
40年くらい前、「鬼太鼓座」コンサートには2回行っています。
そこで買ってきた、空色のTシャツには、
前後に鬼太鼓座と黄色いロゴが凄く目立っていて、
私はそれを、よくあちこちの登山の時に着たものです。
鬼太鼓座と鼓童。
私はこの違いがよく判っていなかったので調べてみました。
そもそもは、田耕(でんたがやす氏)(本名、田尻耕三)の発案で、
1971年に創設した和太鼓集団であり、
佐渡を本拠地にして合宿、共同生活を始めたそうです。
組太鼓をコンサート形式で演奏するという新しい太鼓演奏スタイルを、
全国に広めた最初のグループ。
1975年に、ボストンマラソンに参加、
全員が完走後に、ゴール地点で大太鼓演奏を披露する、
パフォーマンスで衝撃的なデビューをしたそうです。
1981年に分裂し、鬼太鼓座は長崎に移り、
佐渡に残った団員により、鼓童が結成されたそうです。
ですので、現在、鼓童と鬼太鼓座は全然別のグループです。
40年前、鬼太鼓座のコンサートでは、
演奏中に観客が激しく拍手をするという場面が度々あり、
純粋に(音)を聴きたかった私は、それがイヤで仕方がなかったのですが、
今回の鼓童コンサートではそれが殆ど無く、
最終章が近くなると、やっと観客の拍手が聞こえてきましたが、
それは何だか拍子抜けするくらいの気持ちがしました。
40年前と現在と・・・
私が演者だったら、きっと「この場面だったら拍手のひとつくらいは欲しいよな」
だったと思うのです。
そうなんです、コンサートというのは、
決して演者だけがやってるものではなく、
演者と観客とが共同で作り上げて行く、共同作業なんですね。
そういった意味では、今回の観客は随分と静かでした。
外人客も多数居た割には大人しかった。
でも、最後が近くなると、
今まで拍手をする事で自分の感動を演者に伝えたかった人達が、
我慢できなくなっていよいよ拍手をし始めたのです。
勿論、私もでした。
太鼓という音階の無い楽器は、
人間の野生の本能といった部分を激しく揺さぶり、
身体が無条件に反応するんです。
これがコンサート会場ではなく屋外であったなら、
きっと観客たちはみんな体を揺さぶり動かし、野生に戻っているんでしょうね。
ただ、舞台が無意味に暗かったのが残念だった。
如何にも意味あり気なムードを漂わせたかったのかも知れませんが、
演者の鍛え抜かれた身体、表情は観客に見せるべきだと思いました。
今までも街中などで和太鼓の演奏を目にする事は何度かありましたが、
それはあくまでもアマチュア。
プロというのは素人とは絶対的に違うのです。
これほど違うのかというくらい、決定的に違うのです。
素人の和太鼓演奏を動画で撮った事がありますが、
それを観ると、明らかに左右の腕の動きが違います。
利き腕とそうでない腕との力のバランスが崩れています。
しかし、鼓童たちはプロ。
全員が左右の力加減が均等に出来上がっているのです。
それは、単調に小太鼓を叩き続ける、といった場面に顕著に表れます。
いつまでも、いつまでも均一なバランスを保ち続けられるのです。
これはやろうとしても絶対に出来ない作業です。
それは利き腕でない方(私で言えば左手)で、
箸を持ち、左手で書き物をし・・・
日常生活の一切を左手で行うという生活をしなければ完成できないのです。
それがプロとアマの決定的な差なんですね。
でも、良かった。
こういったコンサートは、お金を払う価値がある、
これからも、こういったコンサート、イベントには絶対に行こう。
文京シビックホールへ「鼓童」のコンサートに行きました。
シビックホールは、去年、中国の神韻コンサートに行ったり、
今年も、ともしびオペレッタ劇団の「虎の恩返し」公演に行ったりで、
勝手知ったる会場です。
私は「鼓童」のコンサートは初めてですが、
40年くらい前、「鬼太鼓座」コンサートには2回行っています。
そこで買ってきた、空色のTシャツには、
前後に鬼太鼓座と黄色いロゴが凄く目立っていて、
私はそれを、よくあちこちの登山の時に着たものです。
鬼太鼓座と鼓童。
私はこの違いがよく判っていなかったので調べてみました。
そもそもは、田耕(でんたがやす氏)(本名、田尻耕三)の発案で、
1971年に創設した和太鼓集団であり、
佐渡を本拠地にして合宿、共同生活を始めたそうです。
組太鼓をコンサート形式で演奏するという新しい太鼓演奏スタイルを、
全国に広めた最初のグループ。
1975年に、ボストンマラソンに参加、
全員が完走後に、ゴール地点で大太鼓演奏を披露する、
パフォーマンスで衝撃的なデビューをしたそうです。
1981年に分裂し、鬼太鼓座は長崎に移り、
佐渡に残った団員により、鼓童が結成されたそうです。
ですので、現在、鼓童と鬼太鼓座は全然別のグループです。
40年前、鬼太鼓座のコンサートでは、
演奏中に観客が激しく拍手をするという場面が度々あり、
純粋に(音)を聴きたかった私は、それがイヤで仕方がなかったのですが、
今回の鼓童コンサートではそれが殆ど無く、
最終章が近くなると、やっと観客の拍手が聞こえてきましたが、
それは何だか拍子抜けするくらいの気持ちがしました。
40年前と現在と・・・
私が演者だったら、きっと「この場面だったら拍手のひとつくらいは欲しいよな」
だったと思うのです。
そうなんです、コンサートというのは、
決して演者だけがやってるものではなく、
演者と観客とが共同で作り上げて行く、共同作業なんですね。
そういった意味では、今回の観客は随分と静かでした。
外人客も多数居た割には大人しかった。
でも、最後が近くなると、
今まで拍手をする事で自分の感動を演者に伝えたかった人達が、
我慢できなくなっていよいよ拍手をし始めたのです。
勿論、私もでした。
太鼓という音階の無い楽器は、
人間の野生の本能といった部分を激しく揺さぶり、
身体が無条件に反応するんです。
これがコンサート会場ではなく屋外であったなら、
きっと観客たちはみんな体を揺さぶり動かし、野生に戻っているんでしょうね。
ただ、舞台が無意味に暗かったのが残念だった。
如何にも意味あり気なムードを漂わせたかったのかも知れませんが、
演者の鍛え抜かれた身体、表情は観客に見せるべきだと思いました。
今までも街中などで和太鼓の演奏を目にする事は何度かありましたが、
それはあくまでもアマチュア。
プロというのは素人とは絶対的に違うのです。
これほど違うのかというくらい、決定的に違うのです。
素人の和太鼓演奏を動画で撮った事がありますが、
それを観ると、明らかに左右の腕の動きが違います。
利き腕とそうでない腕との力のバランスが崩れています。
しかし、鼓童たちはプロ。
全員が左右の力加減が均等に出来上がっているのです。
それは、単調に小太鼓を叩き続ける、といった場面に顕著に表れます。
いつまでも、いつまでも均一なバランスを保ち続けられるのです。
これはやろうとしても絶対に出来ない作業です。
それは利き腕でない方(私で言えば左手)で、
箸を持ち、左手で書き物をし・・・
日常生活の一切を左手で行うという生活をしなければ完成できないのです。
それがプロとアマの決定的な差なんですね。
でも、良かった。
こういったコンサートは、お金を払う価値がある、
これからも、こういったコンサート、イベントには絶対に行こう。