太平洋戦争が、日本軍のハワイ真珠湾攻撃(1941年12月)から始まって、
僅か半年後(1942年6月)、
日本軍は太平洋のミッドウェー島をめぐる攻防戦で歴史的大敗北を喫してしまいました。
その頃の日本軍は破竹の勢いで進撃中で、軍部も国民もその勢いに狂喜していました。
その最中に起こった信じられないミッドウェー海戦の大敗北。
海軍は色を失い、国民にはその敗北が知られない様にしました。
ミッドウェー海戦で、日本はその全てと言っても過言ではなかった、
正規空母4隻全部を失ってしまったのです。
「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」
この頃になると「戦艦」は期待する戦力とはならない事が明らかになり、
航空母艦こそ最大の戦力である事が海軍にも分かってきました。
その最大戦力の全部をいっぺんに失ってしまったのです。
これではとてもじゃないが、戦争を続ける事は出来ない。
海軍は正規空母(最初から空母として設計された本格的空母)を、
建艦する事しか、この難局を乗り切る事は出来ないと悟ります。
ミッドウェー敗戦時に存在した日本の空母は、
商船や客船を改造した様な、脆弱な空母しか無かったのです。
日本軍が計画したのが「大鳳」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4c/60b989e7d8fe47176131eee4ac2578b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/4e/509d34b264f05d418e5699c38e47bff6.jpg)
満載排水量37000トン。全長253メートル。全幅33,6メートル。
16万馬力で33ノット(時速61キロ)の高速力です。
そして、その最大の特徴は航空甲板に防御板を張った事です。
航空母艦というのは、言うまでもなく内部に航空機を抱え込み、
そして航空機が抱える爆弾、魚雷、航空燃料といった危険物を大量に載せています。
ですから、一旦敵から攻撃されると非常に危険だし、防御力は殆ど無かったのです。
自艦を護るには、自艦に在る航空機によって敵機を撃ち落とす事でした。
そういった最大の弱点、脆弱さから、これを回避する為に、
空母・大鳳は甲板に防御板を張りました。
しかし、10センチ近い厚い装甲板の重さは大変な重量です。
それは、つまり(頭でっかち)となって不安定で転覆しやすくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e9/3bece5edfab9c5ae4ee60e9a59ac2d06.jpg)
その為、大鳳は飛行甲板の中でも、
航空機が離発着する為に、最も重要な中心部分にだけ防御板を張りました。
と言ってもその重量にはまだまだ大変な重さがあります。
その重さの為に、防御板の無い空母だったら積めた筈の航空機の数は、
少なくなってしまいましたが我慢するしかありませんでした。
とに角、アメリカみたいに次から次にと建艦できる余裕は無いのですから、
絶対に沈まない空母を造るしか無かったのです。
そして、敵弾から内部を護る為にと、航空機格納庫や、
爆弾、魚雷といった危険物を火から護る為に、そういった部分を鉄板で覆ったのです。
しかし、その事が逆に大鳳の沈没を早めるという皮肉、アダとなってしまいました。
1944年(昭和19年)6月。
大鳳はマリアナ沖海戦に出撃しました。
この時、アメリカ潜水艦の放った1発の魚雷が大鳳の右舷前部に命中しました。
大鳳は1発の魚雷ごときで沈没する様なヤワな船体ではありません。
ところが前部に在った航空機の為のガソリンタンクからガソリン漏れが始まってしまいました。
大鳳の内部は敵弾攻撃から船体を護る為に防御鉄板が張ってあり、
ガソリンの気化ガスがその中に充満してきたのです。
それを外に逃がしたくても鉄板の覆いの為に外部に逃がす事が出来ないのです。
大鳳艦内では、絶対に火気を出すなと厳命し細心の注意を払っていましたが、
午前8時頃に魚雷が命中して、6時間後の午後2時ころ、
恐れていた最悪の事態が起こってしまいました。
気化ガスが艦内を覆い尽くした所に、何らかの火が点き、大爆発を起こしてしまったのです。
全艦火だるまの満身創痍となり、4時間後に手の施しようもなく沈没していったのでした。
日本海軍の期待を一身に受けた設計は、裏目に出てしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/91/f87fbf08e4a3f52690c0e91d3f9f789e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fa/b0bda3d93c1746b70e68e4ab8737702c.jpg)
その頃のアメリカの空母はオープンデッキ方式で、
艦内での火災は閉じこもる事なく、外部に噴出するので、
枠の中に囲われた爆発力が膨張の極致の挙句に爆発するという悲劇は起こりませんでした。
しかし、日本海軍の期待を一身に受けたからこその、クローズドデッキが、
逆効果になってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか。
日本海軍が期待を込めた航空母艦・大鳳は、
たった1本の魚雷で、あっ気なく沈んでしまったのでした。
僅か半年後(1942年6月)、
日本軍は太平洋のミッドウェー島をめぐる攻防戦で歴史的大敗北を喫してしまいました。
その頃の日本軍は破竹の勢いで進撃中で、軍部も国民もその勢いに狂喜していました。
その最中に起こった信じられないミッドウェー海戦の大敗北。
海軍は色を失い、国民にはその敗北が知られない様にしました。
ミッドウェー海戦で、日本はその全てと言っても過言ではなかった、
正規空母4隻全部を失ってしまったのです。
「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」
この頃になると「戦艦」は期待する戦力とはならない事が明らかになり、
航空母艦こそ最大の戦力である事が海軍にも分かってきました。
その最大戦力の全部をいっぺんに失ってしまったのです。
これではとてもじゃないが、戦争を続ける事は出来ない。
海軍は正規空母(最初から空母として設計された本格的空母)を、
建艦する事しか、この難局を乗り切る事は出来ないと悟ります。
ミッドウェー敗戦時に存在した日本の空母は、
商船や客船を改造した様な、脆弱な空母しか無かったのです。
日本軍が計画したのが「大鳳」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4c/60b989e7d8fe47176131eee4ac2578b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/4e/509d34b264f05d418e5699c38e47bff6.jpg)
満載排水量37000トン。全長253メートル。全幅33,6メートル。
16万馬力で33ノット(時速61キロ)の高速力です。
そして、その最大の特徴は航空甲板に防御板を張った事です。
航空母艦というのは、言うまでもなく内部に航空機を抱え込み、
そして航空機が抱える爆弾、魚雷、航空燃料といった危険物を大量に載せています。
ですから、一旦敵から攻撃されると非常に危険だし、防御力は殆ど無かったのです。
自艦を護るには、自艦に在る航空機によって敵機を撃ち落とす事でした。
そういった最大の弱点、脆弱さから、これを回避する為に、
空母・大鳳は甲板に防御板を張りました。
しかし、10センチ近い厚い装甲板の重さは大変な重量です。
それは、つまり(頭でっかち)となって不安定で転覆しやすくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e9/3bece5edfab9c5ae4ee60e9a59ac2d06.jpg)
その為、大鳳は飛行甲板の中でも、
航空機が離発着する為に、最も重要な中心部分にだけ防御板を張りました。
と言ってもその重量にはまだまだ大変な重さがあります。
その重さの為に、防御板の無い空母だったら積めた筈の航空機の数は、
少なくなってしまいましたが我慢するしかありませんでした。
とに角、アメリカみたいに次から次にと建艦できる余裕は無いのですから、
絶対に沈まない空母を造るしか無かったのです。
そして、敵弾から内部を護る為にと、航空機格納庫や、
爆弾、魚雷といった危険物を火から護る為に、そういった部分を鉄板で覆ったのです。
しかし、その事が逆に大鳳の沈没を早めるという皮肉、アダとなってしまいました。
1944年(昭和19年)6月。
大鳳はマリアナ沖海戦に出撃しました。
この時、アメリカ潜水艦の放った1発の魚雷が大鳳の右舷前部に命中しました。
大鳳は1発の魚雷ごときで沈没する様なヤワな船体ではありません。
ところが前部に在った航空機の為のガソリンタンクからガソリン漏れが始まってしまいました。
大鳳の内部は敵弾攻撃から船体を護る為に防御鉄板が張ってあり、
ガソリンの気化ガスがその中に充満してきたのです。
それを外に逃がしたくても鉄板の覆いの為に外部に逃がす事が出来ないのです。
大鳳艦内では、絶対に火気を出すなと厳命し細心の注意を払っていましたが、
午前8時頃に魚雷が命中して、6時間後の午後2時ころ、
恐れていた最悪の事態が起こってしまいました。
気化ガスが艦内を覆い尽くした所に、何らかの火が点き、大爆発を起こしてしまったのです。
全艦火だるまの満身創痍となり、4時間後に手の施しようもなく沈没していったのでした。
日本海軍の期待を一身に受けた設計は、裏目に出てしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/91/f87fbf08e4a3f52690c0e91d3f9f789e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fa/b0bda3d93c1746b70e68e4ab8737702c.jpg)
その頃のアメリカの空母はオープンデッキ方式で、
艦内での火災は閉じこもる事なく、外部に噴出するので、
枠の中に囲われた爆発力が膨張の極致の挙句に爆発するという悲劇は起こりませんでした。
しかし、日本海軍の期待を一身に受けたからこその、クローズドデッキが、
逆効果になってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか。
日本海軍が期待を込めた航空母艦・大鳳は、
たった1本の魚雷で、あっ気なく沈んでしまったのでした。