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山小屋への郷愁

2024-08-28 08:59:41 | 登山


先日、本箱に無造作に置かれていた、裸状態のDVDを発見し、
それがかなり以前に買って1度観ただけの映画だった事をフェイスブックに書きました。
それは丁度10年前に封切られた映画で、北アルプスの山小屋を舞台にした作品でした。
映画ですから、こんなの違うよといった部分は勿論あるのですが、
昔、あちこちの山小屋を経験した私には、とても郷愁をそそる映画でした。

芸能界音痴の私には、何という名前の俳優とか、殆ど分からないのでした。
でも、山小屋が舞台の映画というのは、それだけで見応えがあります。
何で昔は一度しか観ずに、今になって繰り返して観るのでしょうか?
それは、もう登山の世界から遠ざかってしまったからこその、つのる想いなのでしょう。
山小屋、山に対する想い、そういった言葉が浮かぶだけで、
昔のあの頃の純粋な想いが走馬灯の様に胸を駆け巡るのです。

本当に純粋だった。
ただひたすら山を歩く事、それだけに酔っていた。
たった独りで、真夏の盛りの暑いだけの低山、丹沢山塊を歩き廻っていた。
他の登山者たちはそんな地獄の暑さの丹沢など見向きもせず、
涼しい北アルプス、南アルプス、八ヶ岳に行ってる事すら知らなかった。
それでも疑問など感じる事もなく、ヒーヒー言いながら登っていた。
全登山道の70%を踏破した。
歩いたコースを赤鉛筆でなぞる、つまり赤線病だった。
丹沢の地図は、ほとんどまっ赤かになった。

そういった合間に別の山に行く事も、少しはあった。
段々と目が他の山へと向き始め、
当時、所属していた小さな山岳会の人と二人で行った初めての北アルプス。
それは白馬岳でした。
猿倉から林道を歩いて行くと(多分)それが目に飛び込んできた。
それは、北アルプスという丹沢とはまるで違う山岳だった。
そのスケールの巨大さに、丹沢とは全線違うスケールに、
私はただただ茫然として鳥肌が立った。
それからだったのかも知れない。
私は丹沢以外の山へと足を運ぶ様になったのです。

山そのものへの想いも勿論ありますが、
そこで泊まった山小屋への想い、これがかなり強く思い出となって残っています。
あちこちの山に行き、その時はメモもあったのでしょうが、
今では、そういった記録というのが皆無と言っていいくらい残っていないのです。
ですから山小屋といっても記憶にあったり無かったり。



丹沢、最高峰の蛭ヶ岳山荘。
平日の天候が不安定な日に行ったので、登山客は私一人だけ。
若い管理人の男性二人は、やるべき事を終えると、
さっさと自分達だけの部屋に行ってしまいました。
そこで小屋の外に出た私は、最初で最後の凄い光景を見たのです。
「滝雲」です、それはもう圧巻としか言いようがありませんでした。
それを見ていたのは、たった一人、私だけだったのです。
その夜は雷鳴轟く夜で、独りっきりの私は心細くなりました。



雲の平山荘。
日本最後の秘境(2日がかりで歩いて行くしか方法が無い)
やはり雲の平は遠かった。
でも、北アルプスの最奥を歩く感動と、
アルプスのど真ん中に真っ平で広大な地形が在る事が不思議だった。



奥秩父の将監小屋。
近代的な山小屋から程遠い山小屋。
そういった小屋は、登山客同士の語らい、
小屋のあるじとの話らいに味があるのです。



奥秩父・十文字小屋。
泊り客は私だけで、小屋主の中年女性と長い時間語らったのを覚えています。
一体なにをそんなに話したのか?
本当に何だったんでしょ?知りたくなります。



北八ヶ岳、高見石小屋。
天体望遠鏡で星空が見られる小屋。
この小屋から少し下ると、神秘の湖と呼ばれる白駒池があり、
また別ルートを行くと、麦草ヒュッテがあります。
そこで加藤登紀子コンサートがあり、丹沢の山仲間たちと私の車で行ったのでした。
遠い昔の話です。

飯豊連峰縦走に行ったら、台風が接近してしまい、
ある避難小屋に2泊した事があります。
1泊目は他の登山者たちと一緒だったのですが、
翌朝、みな台風接近で大荒れの中を行ってしまい、
残された私はたった一人、電気もなく、ラジオも持っていなく、読む本も無く、
真っ暗な避難小屋で更に1泊した時は、流石に時間が長く、つらかった。





奥穂高山荘。
山荘前からのモルゲンロート(朝焼け)の素晴らしさは天下一品。
早朝4時前、西穂高から12時間歩いて夕方4時にこの山小屋に辿り着いた時は、
精も根も尽き果てテーブルの上にぶっ倒れて15分間、全く動けなかった。
懐かしいテーブルです。

友人と二人で行った時、その友人はよほど嬉しかったみたいで酔いつぶれてしまった。
翌日、その友人を奥穂高山頂に残し、私は単独であの怪峰ジャンダルムへ。
やはり(馬の背)の難所は凄かった。落ちたら200メートル。

山荘のロビーでは、あちこちから登って来た登山者たちとの会話が楽しかった。
ここで、明日は西穂高へ行くと言っていた方を、
その若い女性は「私も行きたい」と言いながら、
自分にはその力量が無い事を知っているので口惜しがっていた。
私も全く彼女と同じだったのですが、
それから10年くらい経った時だったのか、
私は遂に、その北アルプス最難関ルートを踏破したのでした。



北八ヶ岳に、しらびそ小屋という大好きな山小屋があります。
多分、2度行ったと思います。
実にムード溢れる静かで素敵な山小屋です。
八ヶ岳登山を終えた私は、そこで1泊。
翌日しらびそ小屋からバス停のある稲子湯へ。
バス停までの道で、私は何度も何度も後ろを振り返り、
「まだ山に居たい、帰りたくない」と後ろ髪引かれる想いでした。

一体何ヶ所の山小屋の行ったのか、泊まったのか?
もうまるで分からないのですが、
山に対する想い、山小屋を懐かしむ想い。
そういった「山ごころ」は何ものにも代えられないものです。

映画や、テレビでの映像を観ると、
そういった懐かしさ、憧れ、思い出、などが交錯し、
鳥肌が立って涙ぐむ事も一度や二度ではありません。
山は良かった、本当に素晴らしかった。



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