河童の歌声

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明後日はいよいよハロウィンですね

2016-10-29 20:09:16 | 日記
明後日はいよいよハロウィンですね。



でも今年は運悪く月曜日。
もうこうなると明日(日曜日)に振り替えてやるっきゃないでしょ~。
イヤー、この日の来るのを一年間私は、待ちに待っていたのです。



お祭り好きの私にとって、
これほど首を長くして待ちに待ったお祭りなどありませんね。
「ハロウィン」
その心地よい言葉のひびき。
何と素晴らしい、そのニュアンス。

世に何が楽しいって、ハロウィンくらい世界中の人達が、
恋い焦がれ、目を潤ませ、うっとりとした心境になれる日。
アナタね、そんな日って世界広しと言えども、何処にもないんですね。



どうでしょう?
皆さんは渋谷のゴールデン街あたりに行きますか?
それとも新宿・歌舞伎町にしますか?

まさか私の住んでる府中の街中で・・そりゃないよね(笑)



私は・・何処に行こうかな~?
やっぱり若い女性がいっぱい居るトコがいいな。
だって、一年に一回だけの大騒ぎなんだから、
いい歳こいて、とかの話じゃなく、時としてオオカミになったっていいじゃんかね~。

さァ~、みんな~!
思いっきり羽目を外してハロウィンを思い残す事なく楽しもうゼッ!
エイエイ・オーッ!!








で・・ハロウィンって一体なんなの?



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栄光のトヨタ・カローラ

2016-10-29 08:22:14 | 自動車
トヨタ・カローラが生産開始から50年を迎えたそうです。





初代カローラが誕生したのは1966年でした。
その少し前に、日産は大衆車サニーの販売を始めます。排気量は1000CCでした。
少し遅れて開発されたカローラはサニーを視野に入れて、
「プラス100CCの余裕」などというキャッチフレーズで販売します。
日産から見れば実にいやらしいフレーズでしたが、
結果は、カローラの勝利。

それ以後、サニーはいつもカローラの後塵を喫し、負け続け。
サニーはいつの日にか撤退して行きましたが、
カローラは現在11代目となって、売れ続けています。
トヨタという会社は、決してあきらめない、したたかな会社です。

若者からは「オジン車」と蔑まれ、嫌われても、
長年培った実績の重みには凄いものがあり、
確かに運転していて、面白くも可笑しくも無い中庸な車ですが、
買ったからには絶対に損はさせないというトヨタカラーは、本当に凄い。

カローラの累計販売台数は、何と4000万台だそうです。
これは4輪車としては、世界一の台数です、本当に凄い。

私は、どっちかと言われずとも昔からトヨタ派で、
若い頃乗っていた日産・スカイラインGTという車に関しては好きでしたが、
平均的な完成度となると、もうトヨタには敵わないのです。

日産も、社長がカルロス・ゴーンになってからは、
息を吹き返しましたが、
昔の、労働組合のボスが社長より偉い存在だなんて、
バカをやってた時代の日産は、不必要な自動車会社でしたね。


日産と言えば、世界一売れたスポーツカーは、
日産・フェアレデイーだそうです。





販売台数は、55万台だそうです。
フェアレディーが何で世界一になったのかと言うと、
それまでの常識であった「スポーツカーはラジオもヒーターも無い」
屋根はオープンで、帽子を被ってマフラーを首に巻いて寒さをしのぐ。
そんな常識を覆して、ヒーターもラジオも全部が付いている、
快適に運転できる、しかも高性能なスポーツカーが安価で買えたのです。
世界中がこのスポーツカーに飛びついたのです。
フェアレディーは以後、スポーツカーの常識を一変させてしまったのです。

ついでながら、
世界で最も売れたオープンカーは・・・
これもまた日本製なのです。





ユーノス・ロードスター(マツダ)ですね。
販売台数は90万台。

この車は世界中の自動車会社からは、まさに「目からウロコ」でした。
性能的に特に優れていた訳ではなく、単に小型車をオープンカーにしただけ。
これが、こんなにも車本来の面白さがあるものだという事を世間が気付き、
買いまくったのです。
世界中の自動車会社はビックリして、
そんなのだったらいつだって簡単に出来るよと、
BMWやポルシェなどが競って「真似っこ車」を売り出してきました。
何も難しく考える事なんてなかったのでした。

さて、4輪車として名前を挙げない訳にはいかないのが、
ヒトラーが造ったとも言われるドイツのフォルクス・ワーゲン。



つまり「カブトムシ」。
これは基本的なコンセプトは変えずに、恐らく70年くらい造っているのかな~?
その総生産台数は、2100万台とか・・・



バイクの世界では、
以前のブログにも書きましたが、
ホンダのスーパーカブは、総生産台数5000万台。
2輪・4輪を含めて、最大の生産台数が、このスーパーカブの5000万台です。
これは、まさにその存在が、まるで「空気」と言えます。
本当に凄いのひと言。

しかし、お気づきでしょうか?

ここに登場した車は、フォルクス・ワーゲン以外は、
全部が日本車なんです。

カローラといい、スーパーカブといい、
その凄さは圧倒的で、世界に冠たる日本車・・バンザーイですね~。

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未完成交響楽よ永遠に

2016-10-28 06:45:47 | 映画


「別れの曲」「狂乱のモンテカルロ」「会議は踊る」「制服の処女」
「格子なき牢獄」「たそがれのウィーン」「街の灯」「にんじん」
「望郷」「舞踏会の手帳」などなどドイツ映画、フランス映画など、
殆どの映画を観てきたが、
50年以上経っても忘れられず胸の中にうずいているのが
「未完成交響楽」です。

額の中の風景画がロザムンデ序曲の音楽と共に男性の背中でゆれる
質屋の場面のプロローグから、ボーイソプラノの「野ばら」。
ピアノ練習場面での「セレナード」
伯爵令嬢カロリーネ姫の笑い声で未完成に終わったとされる全編を流れる
「未完成交響曲」の静かなひびき、酒場でのチャルダッシュのざわめきの中、
「嘘でもいいから愛してると言って」と歌に託したカロリーネの切ない歌声、
そこに忘れて行ったネッカチーフを手に
「ディーフロイライン」と呼びかけるシューベルトと麦畑のシーンは
ポスターになって、長い間ファンの心に残りました。



初めから無理だった二人の間は破れ傷心のシューベルトは畑の中をさまよい、
聖母マリアの象の前に佇むうちに、
次第に心は浄化され神々しい程の表情に変わってゆきました。

バックに流れるアベマリアの音楽と共に静かに幕は降り、
感動の涙々の中、暫らくは席を立つことも出来ず、
二度、三度、とうとう十二回も観てしまいました。

シューベルトを演じる為だった様なハンス・ヤーライの早世に心を痛めたり、
マルタ・エガルトの心を込めた本格的な歌声に心から酔いしれ、
「野バラ」を夢中で原語でおぼえたり。

今は遠い昔となってしまった若かった頃の思い出です。
「青春再び還らず」そして、あれ程の映画全盛時代。
もうかえって来ない様な気がします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

これは「映画百年」に寄せて、ということで・・?(チョッと意味不明)
多分、当時70代の私の母が書いた文章です。

「未完成交響楽」がどんな映画かというと、シューベルトの失恋物語です。

映画のあらすじは・・・

貧しい作曲家シューベルトは、
上流階級のサロンでピアノ演奏を行ったのをきっかけに、
貴族の娘の家庭教師となります。
やがて二人は恋におちるが、親の妨害により娘は軍人と結婚する事になります。
結婚式でシューベルトはピアノ曲を演奏し、未完成の曲の譜面に、
「わが恋の成らざる如く、この恋もまた未完成なり」と記す。

そういった映画で、
これは1935年に日本では上映されたのですが、
1916年(大正5年)生まれの母はその時19歳でした。
私は母から、その映画を12回も観たという事は聞かされていました。
青春真っ盛りだった母にすれば、まさに夢を見る様な映画だったのでしょうね。

私とおんなじ顔をした、軍人意識丸出しで威張りくさっていた、
エラソーな連れ合いと見合い結婚をした母は、
父が嫌いだったので、尚更、若かりし頃の素敵な男性が憧れだったのでしょう。


しかし、母の心をそこまで打った映画だという事で、
10年くらい前だったかDVDを買って観ましたら・・・

時代という時間は、もうどうし様もないものなんです。
ズレてしまっているのです。
この感覚は修正など出来っこないのです。

一人の乙女の心をそこまで揺さぶったはずの映画が、
何とも色あせてしまって、心など揺さぶり様もなくなっていたのです。

その感覚は、以前のブログにも書きましたが、
世界文学全集の「赤と黒」「怒りの葡萄」を読み切れなかった、
以前の私の気持ちそのものなんです。

映画も、小説も時代に合っていてこそなんですね。
つまりタイムリーでなければ、中々難しいのです。

でも、もう一度だけこの映画をキチンと観直してみようかな・・・

それは、亡き母ともう一度、
話をしてみたいという、私の心なのかも知れません。



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役に立たなかったパソコン教室

2016-10-28 05:01:58 | 日記
8月4日の日記に、パソコン教室の事を書きました。

・・この5月からパソコン教室に通い始めた。
  月に10~15時間くらい通っている・・・

しかし、9月で辞めてしまいました。
何故なら、結局、何の役にも立たなかったからです。
本当に何ひとつ役に立たなかった。
時間と金をただ無駄に使っただけでした。
一旦払ったお金は戻ってこないので、2万円くらいは無駄にしたか?

私が教えて欲しかったのは、
写真・動画・パワーポイント・ブログが上手くなること・印刷やDVDの処理。
と、まあ趣味的な事ばかりなんですが、
教室側のやり方といえば、
ワードやエクセルを基本から教えようとするばかり。
私が「エクセルなどまるで必要ないので」と言ったので、
しぶしぶパワーポイントに入りましたが、
遅々とした歩みにウンザリしてやる気を無くしてしまったのです。

予習復習を殆ど家でやらなかった私にも非はありますが、
横浜の時にも少しだけ通った事のあるパソコン教室って、
何でどこでも同じ教え方なんでしょうかね~?

まあ、その答えは判っているのですけどね。
つまり長く通ってもらい、沢山お金を使ってもらう為。

なので、その人の知りたいポイントだけを教えていたら、
まるでお金にならないから。
と言うか、そういった事は訊かれても極力、教えない様にする。

パソコン教室というと、有名なのに(アビバ)とかがあります。
ですが、そういった所は、プロ養成講座みたいな感じですね。
私の様なロートルでプロを目指す人はまさか居ないでしょう。
皆さん、私と同じで趣味の為なんですね。
世のパソコン教室では、そういった人を対象にした教室は無いのです。

多分・・きっと無いんだと思います。
もしあればいいんですけど、それも身近に無ければ意味は無いし。

私の通った教室では、パソコンが20台くらいは並んでいたのかな・・
多い日は10人以上の人が習っていましたが、
皆さん、耳にイヤホーンを押し当て、ただ黙ってひたすらパソコンとにらめっこ。
時々、分らない所があると手を上げ、するとインストラクターさんが、
そこに行って何やら教えてくれるのです。

時間がくると、皆さん何ひとつの会話も無く、黙って教室を後にする。
ですから、どういった顔が来ているのかも把握できず、
会員同士の会話、コミュニケーションは一切あり得ないのです。
パソコンが上手くなりたいといった意思は皆さん共通であり、
そういった仲間達が集まっているのに、
会話の類はインストラクターとの事務的な話だけ。

これって、何だか空しい気がするのですね。
レベルの違っている会員同士でも、会話があれば、
自分の判らない点がどれだけ分かり易くなるでしょうね。
でも、教室側ではそういった事は怖いのです。
自分たちだけからの知識でしか上達する事はあってはならないのです。

そうではなく、もっと開けたやり方、
旧来のパソコン教室とは一線を画したパソコン教室は現れないのでしょうか?
何処に通っても同じスタイルではロートルはね~。
こんなんだったら、
パソコン・コミュニケーション・居酒屋でもやってくれた方がいいよ。
まあ、パソコンは酒が嫌いだから、それは無理だけど、
パソコン和気あいあい教室・・誰かやんなさいね。

旧態然としたパソコン教室なんて行くだけ無駄。
時間と金の無駄・教室なんて・・意味ないよね。


 
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パナマ運河拡張工事が完成

2016-10-26 17:06:44 | 軍艦




パナマ運河の拡張工事が今年5月に完成したとの事です。
スエズ運河(全長193キロ)が1869年に完成し、
それから遅れる事45年・・パナマ運河(全長80キロ)は1914年に完成しました。

スエズ運河を造ったのは、有名なフランス人・レセップスです。
スエズ運河を完成させた彼はパナマ運河の完成も目指しましたが、
マラリアなどの病気とスエズ運河に比べてはるかに難工事で挫折し、
以後、工事は中々進展する事なく、完成は遅れに遅れました。

スエズ運河は大西洋(地中海)と紅海を繋ぐルートで、
両方の海の海面の高さは変わりません(厳密には少し違うとか)
しかし、パナマ運河を繋ぐ太平洋と大西洋(カリブ海)とは海の高さが違うのです。
(私はそれを母から聞いていたのですが、母はまるで解っていなかったのです)

太平洋と大西洋の海面の高さが違うのではなく、
パナマ地峡の真ん中に標高26メートルにガトゥン湖という湖があるのです。

この湖を利用しない手はありません。
ですが、標高26メートルまでどうやって船を持ち上げるのか?
それは閘門(こうもん)というゲートによって、船を一時プール状の囲いに閉じ込め、
プールの中の水を増やして持ち上げ、隣のプールの水位と同じ高さになったら、
ゲートを開けて前進させ、それを何度か繰り返して26メートル持ち上げるのです。

そうやって、そろそろ這いずりながら船は移動を繰り返して前進。
今度は26メートルから0メートルまで徐々に下げて行くのです。
何も、太平洋と大西洋の海面の高さが違っているのではないのです。



さて、拡張工事以前のパナマ運河は、現在の様な超大型船は通る事が不可能でした。
最大幅が33メートル以上の船は無理だったのです。



上の写真、アメリカ最大にして最後の戦艦「ニュージャージー級」は、
排水量45000トン、全長は、世界最大の戦艦である大和を7メートル上回る270メートル。
しかし、横幅は33メートルで造るしかありません。
ですから長細い船体になってしまいました。

アメリカという国は敵対国が太平洋側にも大西洋側にも居るのですから、
パナマ運河を通る事は絶対条件だったのです。
ですから船体幅が細くても我慢しなければならなかったのです。
これは、どうし様もない事でした。





さて、ここで結論である、世界最大・史上最大である戦艦・大和が登場してくるのです。

戦艦大和は世界最大にして、空前絶後の戦艦でした。
絶後というのは、今後、戦艦などという艦種が再登場してくるなどとは、
凡そ考えられない、あり得ないからです。

33メートル幅の戦艦が載せられる大砲の口径は、16インチ(40.6センチ)が限界。
世界の海軍条約によって、沢山の戦艦を造る事は出来ない日本が、
アメリカの戦艦に対抗する為には、ひとつの戦艦をアメリカより強力にするしかありません。
それには、アメリカを越える大砲18インチ(46センチ)砲を載せるしかありません。

その結果が、64000トン、全長263メートル、幅38.9メートルの
史上最大の戦艦「大和」となったのです。





この日米最大の戦艦同士が戦ったらどっちが強いか?は、
各国の戦艦ファンの話題となります。

これは専門家たちの話題にもなります。
結論を言いますと、
視界が良好だったら「大和」
視界が悪く、目視が不可能だったら「ニュージャージー」という所みたいです。
これはつまり、レーダー能力の差なんですね。

アメリカの海軍にも自国の誇る新鋭戦艦を、
日本の新鋭戦艦(それが18インチ砲搭載とはまだ知らなかった)と、
戦わしたいと願った司令官も居ましたが、
そんな戦国時代的な戦闘が許される状況は、あの戦争下では無理でしたね。

もし、パナマ運河が最初から拡張後の最大幅49メートルだったら、
世界最大の戦艦「大和」が出現する事はまず無かったでしょうね。
最大幅49メートルの軍艦など、その当時はあり得なかったのですから。







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