河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

私達のキャンプスタイル

2015-01-28 06:56:46 | キャンプ
私たちのキャンプスタイル。
ひとことで言うと(シンプル)これをモットーとして目指しています。





以前、あるキャンプ場で象徴的シーンがありました。
左隣のキャンパーは、ギンギラギンのトヨタ・ランドクルーザー。
見事にドレスアップで飾り立てています。
40代夫婦に中高生の女の子が二人。

さてテント設営が始まるのを何となく眺めていたら、
イヤ~、出てくる出てくる・・キャンプ道具のオンパレード。
まるで、新しいキャンプ道具のカタログみたい。
子供たちは携帯ゲームをするばかりで一切のお手伝いは無し。
夫婦二人での設営ですが、あまりにも道具が多くて時間のかかる事かかる事。
私たちのテント設営はいつも大体一時間くらいですが、
彼等はその2倍、2時間はかかってました。



そのキャンプ場のサイトはチョッと手狭だったのですが、
まるで身動きも出来ない程、キャンプグッズだらけ。
スクリーンタープの中もキャンプ道具で目いっぱい。



さてと、右隣のキャンパーはというと、
やはり40代と思われる夫婦に中学生くらいの女の子が一人。
車はごく普通の中型ワゴン車。
その彼等のテーブルには目を見張ってしまいました。
キャンプ場では初めて目にする光景だったのです。
つまり、テーブルの上には(何も無い)のです。
夫婦は二人して読書三昧。
女の子はなにやらお勉強。
後で訊いたら夏休みの宿題をやっていたそうです。

ギンギンのランドクルーザー氏達の食事は、勿論バーベキュー。
持ってきた道具を使いまくっている訳です。
片やシンプル氏達はレトルト食品。
要するにたかが一日二日程度だったら、特別な事をする必要は無いという訳ですね。

本当にこの対照的な二組には考えさせられました。

さて、私はというと、シンプルになる為にずい分物を捨てました。
ツーバーナーコンロ・・二人だけのキャンプでは二口コンロなど必要が無いのです。
家庭で使うカセットコンロがあれば充分。
ポリタンク・・小さくならずにかさ張って車に載せるには邪魔でしたが、
折り畳み式のタンクにし、車のルーフレールにロープをかけて吊り下げればいいのです。
その為にポリタンクを載せるパイプの台も要りません。
飯盒は一度も使う事なく捨てました。
レトルトご飯がありますからね。
飯盒でご飯を炊くなんて、子供に見せる為のセレモニーなんですね。

それでシンプルになった分、私たちは何をするかと言うと、
ラジカセの音楽と酒(これは殆ど私ですが)と焚火。
焚火を眺めながら歌を聴き、また歌を唄い酒を飲む。
焚火は一晩中なので、一夜で3束燃やしてしまう事もザラです。
マキだけで一晩に2000円以上を灰にしてしまう訳ですね。
そんな夜の素晴らしさは、やはりキャンプをする者にとって最高に幸せなシーンです。
そんな事を思うと・・あ~、早くキャンプに行きたいよ~ッ!



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キャンプでわくわく

2015-01-25 10:15:24 | キャンプ
私のキャンプライフは、おおむね4月から10月までの半年間になっています。
温暖な気候の地域では通年営業というキャンプ場もありますが、
大多数は4月から10月あるいは11月くらいの営業となっています。



さて、もうじき私たちの楽しいキャンプライフがまた始まります。
過去5年間の平均は・・一年に6回・18日間。
他人のキャンプを覗き見ていると、一泊キャンプという人が実に多い。
これは実に勿体ないというか、本当の意味での楽しいキャンプライフを送ってはいません。
何故なら、例えば2泊3日だと真ん中の一日はずっとキャンプ場で過ごす事となります。
その一日こそが(いい)のです。



これが1泊2日だと、初日はテントを設営して夜の食事だとかだけが(いい時間)になりますが、
翌日はそそくさと朝食を済ませば、直ちに撤収作業に入り、
キャンプを楽しむというムードではなくなってしまうのです。
キャンプというのは本来、昨日までの現実を離れるトコがいい時間なのですから、
たった一日であっても、現実を忘れる時間はやはり大切だと私は思っています。
それが2日あるいは3日有るキャンプライフだったら、どれほどいい事でしょう。







そのキャンプの楽しさワクワクは、まず計画する時から始まります。
いつ何処に行こうかと色々思いを巡らせます、ワクワクします。
計画が決まりキャンプ場に予約を入れます。
(ここで予定通りにいかずに他のキャンプ場に予定変更などはよくある事ですが)
そしてキャンプ当日。
色んな道具を車に積み込み(と言ってもあらかたはいつも車に積みっぱなし)
だと思っていたのでよく確認せずにキャンプ場に着いたら、テントが無かった(涙)なんて大チョンボもありましたが。
(何で必ず使うテントを車から降ろしたのかは今だに謎?)
テントの以前にはタープを置き忘れて来たなんてチョンボもあり。
(タープが無かったら雨が降ったら濡れネズミじゃんか)
醤油を忘れて刺身を食べるのに、隣のキャンパーに借りたり。
サンマを焼こうとしたら塩を忘れてきて、またもやお借りしたり、
ワインを飲もうとしたらワインオープナーが無くて、大声で「貸してくれー」とわめいたり・・



さてと、車に乗り込みナビをセットする時のワクワク。
出発し高速道路の入り口から乗り込みスピードを上げる時のワクワク。
高速道路を下りて一般道をキャンプ場までナビを見ながら進む時のワクワク。
キャンプ場に着いて受付をする時のワクワク。
指定場所まで他のキャンパー達の興味津々な視線を感じながら進行する時のワクワク。
指定場所に着いておもむろに周囲を見渡す時のワクワク。
隣のキャンパーに「よろしく」と挨拶する時のワクワク。
テントを設営し「お疲れ様~」っとビールを傾ける時のワクワク。

ビールを飲みながら、ホッと一息入れて周囲の状況、景色を眺める時って、
本当に(キャンプに来たんだな~ッ)って思うのですね。
私たち位の年齢になるとご馳走は食事じゃなく景色なんですね。
いい景色と夜の焚火こそが、人生を語り振り返る事の出来る最高のシアワセなんだと感じます。
子供が小さい時のキャンプは、子供と一緒に玉ねぎを刻み、ニンジンを刻み、
飯盒でメシを炊き、カレーライスを作るというお決まりのセレモニーが良かったんですけどね。

夜になると焚火の火起こしが始まります。
これから始まる人生の話らいを思うとワクワクします。
他のキャンパーには見られない物、それはラジカセです。
そこから流れてくる音楽は、歌声喫茶の歌です。
あの人この人、歌声喫茶の司会者達の若かりし頃の声に乗って聴こえるあの歌・この歌。
夕暮れに霞む景色と、赤々と燃え上がる焚火の炎。
ただじっと歌を聴き、酒の器を傾け過ぎ去りし人生の想いに耽り、パートナーの話に相槌を打つ。
静かだけど実にワクワクする瞬間、これがあるからこそ私はキャンプに来るんですね。

ま、時々は酒に呑まれてうたた寝をしてしまい、パートナーを寂しがらせたりしてますけどね。
それでもエリカさんは私が目を覚ますまで待っていてくれるんで「助かりま~す」
寝ながらドタッと椅子ごとぶっ倒れた事もあったり・・・

キャンプ!
それは色んな意味でワクワク・ドキドキ・

景色・食事・酒・語らい・人生・歌・焚火・・・
本当に、いいんですね~。
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豊真将・引退

2015-01-23 08:30:44 | 相撲


大相撲・元小結の豊真将(ほうましょう)が引退しました。
本当に残念です。
私は、こういった真面目な相撲さんが大好きです。
勝っても負けても、きちんと腰を折って丁寧に深々とお辞儀をする。
その所作は、彼の人格をそのまま体現していて、実に見上げたものでした。
力士の鏡とは、豊真将の様な人を指すものだと、常々思っていました。

ウィキペディアを観ても彼の人格がそのまま表れています。
高校時代の学業成績は1600人中、ひと桁という抜群の成績。
趣味は、読書・史跡巡り。
相撲さんというと、趣味がマンガだったりパチンコなどというのが多いのに・・・



親方の錣山(しころやま)・・元・寺尾は、彼にこう言ってました。
「尊敬している」と。
親方が弟子に対し、尊敬してるなどと言うのは初めて聞きましたし、
人に、尊敬しているなどとは、普通おいそれとは言わないものです。
そのくらい、豊真将という人は人間として素晴らしい人だったのでしょう。

昔(20年くらい前だったか?)
やはり豊真将と同じ様に、礼儀正しい力士が居て、私は大好きだったのですが、
若くしてガンに侵され30代でこの世を去ってしまいました。
もう名前も忘れてしまい思い出せないのですが、
いい人というのは長生きできないのでしょうか?

それに比べて、朝青龍・・
あの品性のカケラも無い、見るも胸くそ悪いモンゴル力士。
今場所は白鵬が、大鵬の持つ優勝回数を追い抜くでしょう。
そしてその優勝回数を40回くらいに伸ばすのでしょう。
白鵬は、常々、大鵬の事を口にしますが、
品性の無いのはモンゴル人共通の特徴だとでも言うのでしょうか?
勝った時のガッツポーズ・・さもしいですね。
大鵬はおろか双葉山などには及ぶべくもありませんね。

今は「大相撲」などとは言えないモンゴル相撲我が世の春。
まるでモンゴル相撲・東京場所。
そんな中にあっての豊真将という貴重な存在が無くなってしまった事は、本当に無念です。
これだけ外人力士ばかりになってしまうと、もう何をか言わんや。

確かに外人力士と言っても、
やはり引退した(隆の山)チェコ出身の小兵力士(185センチ・91キロ)
結局体が大きくならずに引退してしまいましたが、
幕の内力士になるまでは故郷に帰らないと10年間頑張った根性は、人間として見上げたものでした。
また、史上最年長(37歳)で優勝したモンゴルの旭天鵬。
そんな立派な力士たちを見ていると、一概に外人反対とも言えなくなってしまいますが、
それにしたって、もう日本の国技だとかは言えない状況ですね。

そんな中にあって(遠藤)
日本人横綱に期待する私は彼の所属する追手風部屋の親方に直訴状を送りました。
昔から、これはという力士が現れたらこの四股名をと思っていたのがあったからです。
その名は「鳳城」おおとりじょう。
もう何か月も前に直訴したのに、今だに彼の四股名は「遠藤」
もういい加減に「鳳城」にしてほしいよ。

子供の頃、大好きだった奄美大島出身の横綱「朝潮太郎」
長身痩躯の代名詞、起重機と言われた「明武谷」
本当に昔の相撲さんって「美しかった」な~。
コメント (2)
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楽しい事だけしかやらない

2015-01-21 03:11:51 | 日記
先日、妻のエリカさん(自分の女房にさん付けはオカシイけど・・)と話しました。
「これからは楽しい事しかやらない様にしようよね」

そうなんです。
私たちくらいの年齢になったら、もう楽しくない事をやってる時間などは無いのですね。
やりたくない事、気乗りのしない事、嫌だな~と思う事。
それは対人関係にも当てはまる事です。

若い時には、嫌な事であってもぶつかっていかざるを得ない状況など、そりゃあったものです。
口をききたくもない人と話さなきゃならない状況も、勿論ありました。

でも、そんなのはもうお役御免でいいんじゃないでしょうか。
嫌な事などやってられる時間など・・もう無いですよね。
どうせ先は長くないのですから、大いに楽しまなきゃね。
ただただ単に長生きをしたって、ヨイヨイになっちゃったんじゃ無意味だしね。

昨年だったか、以前より見知った歌声喫茶の女性が施設に入居しました。
彼女はパーキンソン病になってしまい、段々と健康体を失っていきました。
そんな彼女の、段々と壊れていく状況も見てきたのですが、
やはり、と言うか施設のお世話にならざるを得なくなりました。
現代の医学では、そうなる事は避けられないと解ってはいましたが、
無念というか、残念というか、お気の毒というか・・やり切れない思いがします。

歌声の仲間たちは自分も含めて、いづれは似た様な道を歩んでいくのでしょう。
そんな、はかなくも切ない老後など意識すると、
それはもう「楽しい事だけしかやらない」に繋がっていっても、当然と言えば当然ですよね。

実は、つい最近も(気乗りのしない事)をやってしまいました。
それは浮世の義理で、やらなきゃいけないかな?とやったのですが、
結果は大失敗。
浮世の義理など、もう知った事かで良かったんだと後悔しました。

私自身の人生はと言うと・・・
もう、いい歳になってから予想もしない人生の落とし穴。
ただただ呆然自失に我を失い、ついでに金も家族も失ってしまいました。

そんな思いって、もうやめにしよう。
これから先のあまり長くはない時間、精一杯「楽しい事」
それだけを追って人生をやってゆこう。

かなり以前、中国語講座で知り合った老婦人が言ってました。
私が・・死ぬ時には「あ~、おもしろかった」と言って死にたいものだと言ったのに対し、
彼女いわく「貴方は若いわね~、私だったら(ありがとう)と言って死にたいわ」と。

確かに人生の大先達としてうんちくのある言葉だとは思いますが、
それプラス、「あ~、楽しかった、面白かった」があったら、
それはどんなに素晴らしい事かと、私は思います。

嫌いな人と口喧嘩などしても無意味。時間の無駄。
楽しい人と楽しい時間を持ち、楽しい人生をやって行かねばね。



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プロレスは八百長だから嫌い!

2015-01-12 05:40:01 | 格闘技
プロレスは八百長だから嫌いッ!という方は結構多い。

ハイ、その通りでしてプロレスは八百長なんです。
そんな事は当たり前な事なんです。
大体、プロレスを真剣勝負なんて思う方がおかしい。
2009年には、あの三沢光晴がリング禍で死去する事故がありました。
過去にもリングで亡くなったレスラーは何人もいます。
プロレスというのはそのくらい危険なスポーツなんです。

そんな危険なスポーツを職業としてやるからには、
毎日、毎日、真剣勝負などやっていたら命がいくつあっても足りません。
職業というのは何年も何年も人生を賭けてやっていかなければならないのですから、
死ぬかもしれない真剣勝負などやってられる筈がないでしょう。

殆どのスポーツは真剣勝負が当然の世界です。
だからと言ってプロレスにそれが当てはまるかと言えば、それは違います。
自分自身にそれを当てはめれば、そんな事はすぐに分かると思います。
女房、子供を抱えて毎日毎日、真剣勝負などできる筈がないでしょう。

メキシコのプロレス「ルチャリブレ」がいい例です。
普段は街で普通の職業に就いている人が、夜になるとマスクを被ってプロレスラーになるのです。
体格も大きな人は少なく、170センチに満たないレスラーは珍しくありません。
そんな彼らのレスリングをお客さん達は大きな声で贔屓のレスラーを応援する。
レスラー達はお互いの(いいトコ)を見せる様に工夫しながら決着をつける。
お客さん達はそんな試合に満足して帰途に着く。
それでいいのです。満足したんですから。

それを八百長と決めつけるのは、いかがなものでしょう?
いわゆる八百長とは意味が違いますね。
「八百長」というのは、皆が真剣勝負だと思っているものを、
その期待を裏切って「出来レース」をするのが八百長ですね。
最初からレスラー達は「今夜はこんな感じでお互いに試合をしようよ。」であり、
お客さん達もそれで何の不満も無いのですから、八百長とは言わないでしょうね。

しかし、仮にも「強い男」に憧れて入ってきたプロレスの世界。
そんな男として、意地にもかけて負けられない試合というのも勿論あります。
以前、アントニオ猪木がやった「格闘技世界一決定戦」などその典型です。
プロレスこそ最強の格闘技と言い切る男が、他の格闘技に負ける訳には絶対にできませんね。
そういった試合はテレビでよく放映されるので、
そんな試合ばかりを観てきた人達には「プロレスは八百長だから嫌い」という図式になるのかも知れません。

プロレスラーとて人間。
テレビ放映の無い試合は手抜きもするでしょう。
テレビに映っている時の試合とは、そりゃ違って当たり前ですよね。
そんな事は自分自身に当てはめればすぐに納得できます。

「プロレスは八百長だから嫌い」と言う方々。
貴方自身にそれを当てはめてみて下さい。
もっと理解する事が出来れば、プロレスを観る幅が広がり、
プロレスを観る事がもっともっと楽しくなりますよ。



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