海上自衛隊では、中古の護衛艦(あぶくま型)6隻を、
フィリピンに輸出する事に決めたそうです。
あぶくま型護衛艦・・全長109メートル。2000トン。
1989年から1993年にかけて建造されました。
護衛艦というのは、ある種その国の国家機密だと思われます。
それを外国に輸出するというのは、機密がバラされてしまうのです。
しかし、そういった事は昔からあった事なのです。
日清戦争当時の中国(清国)には、
定遠、鎮遠という2隻の巨艦がありました。
排水量7300トン、全長94,5メートル。30,5センチ砲4門。

このドイツ製戦艦2艦の存在は日本海軍を悩ませました。
日本にはそれに対抗できる戦艦が無かったのです。
1894年に勃発した黄海海戦で、日本軍は案の定、彼等に対抗できません。
しかし、沈める事は出来なかったのですが、その戦闘能力を奪う事ができました。
勇敢なる水兵

戦いのさなか、いち兵卒は重傷を負ってしまいます。
彼は真近に居た副長に尋ねました。
「定遠は、定遠はまだ沈みませんか?」
彼を抱きかかえる副長は、涙ながらに「定遠は戦闘能力を奪われた」と、
彼に告げ、その答えに安堵した兵卒は逝ったのでした。
その逸話に感動した事で、国民的な歌「勇敢なる水兵」が生まれました。
それから数十年後、第二次世界大戦が起こりました。
しかし、日本海軍には第一級の戦艦を自国で造れる技術はありませんでした。
ほとんどはイギリスからの輸入に頼っていたのです。
おかしなもんですね。
イギリスは世界最優秀な軍艦建造技術を持ちながら、
いつ自国イギリスに牙を剥いて戦いを挑んでくるかも知れない国に、
己の技術の粋を込めて軍艦を造り、それを輸出する事で外貨を稼ぐのですから。

戦艦「金剛」はイギリスが建造し、日本に輸出した最後の戦艦になりました。
日本は「金剛」で建艦技術の全てを学び取り、
それ以後の戦艦「比叡」「榛名」「霧島」を自国で建艦し、
「金剛」級4隻を揃えたのです。

日本の戦艦では最も古い金剛級戦艦4隻が、
太平洋戦争では、その高速力ゆえに最も活躍したという皮肉になりました。
世界最大の戦艦「大和」「武蔵」は低速だった事で、
何の活躍も出来ずに(無用の長物)となったのと正反対でした。
フィリピンに輸出する事に決めたそうです。
あぶくま型護衛艦・・全長109メートル。2000トン。
1989年から1993年にかけて建造されました。
護衛艦というのは、ある種その国の国家機密だと思われます。
それを外国に輸出するというのは、機密がバラされてしまうのです。
しかし、そういった事は昔からあった事なのです。
日清戦争当時の中国(清国)には、
定遠、鎮遠という2隻の巨艦がありました。
排水量7300トン、全長94,5メートル。30,5センチ砲4門。

このドイツ製戦艦2艦の存在は日本海軍を悩ませました。
日本にはそれに対抗できる戦艦が無かったのです。
1894年に勃発した黄海海戦で、日本軍は案の定、彼等に対抗できません。
しかし、沈める事は出来なかったのですが、その戦闘能力を奪う事ができました。
勇敢なる水兵

戦いのさなか、いち兵卒は重傷を負ってしまいます。
彼は真近に居た副長に尋ねました。
「定遠は、定遠はまだ沈みませんか?」
彼を抱きかかえる副長は、涙ながらに「定遠は戦闘能力を奪われた」と、
彼に告げ、その答えに安堵した兵卒は逝ったのでした。
その逸話に感動した事で、国民的な歌「勇敢なる水兵」が生まれました。
それから数十年後、第二次世界大戦が起こりました。
しかし、日本海軍には第一級の戦艦を自国で造れる技術はありませんでした。
ほとんどはイギリスからの輸入に頼っていたのです。
おかしなもんですね。
イギリスは世界最優秀な軍艦建造技術を持ちながら、
いつ自国イギリスに牙を剥いて戦いを挑んでくるかも知れない国に、
己の技術の粋を込めて軍艦を造り、それを輸出する事で外貨を稼ぐのですから。

戦艦「金剛」はイギリスが建造し、日本に輸出した最後の戦艦になりました。
日本は「金剛」で建艦技術の全てを学び取り、
それ以後の戦艦「比叡」「榛名」「霧島」を自国で建艦し、
「金剛」級4隻を揃えたのです。

日本の戦艦では最も古い金剛級戦艦4隻が、
太平洋戦争では、その高速力ゆえに最も活躍したという皮肉になりました。
世界最大の戦艦「大和」「武蔵」は低速だった事で、
何の活躍も出来ずに(無用の長物)となったのと正反対でした。