

オーストラリアの右上、ニューギニアの右に在るのがソロモン諸島です。
そこには、太平洋戦争で最大の激戦地となった、ガダルカナル島があります。
何故、日本とアメリカはそんな場所で激しく戦ったのでしょう?
それは米軍基地があるハワイと、オーストラリアの補給線上に在るからです。
その補給線を断ち切る為には、そこに日本軍が居座るのが絶対に有利です。
アメリカ軍はガダルカナル島に基地を造りヘンダーソン飛行場を造ります。
ラバウル基地とガダルカナル島との距離は、約1000キロ。
東京から九州までの距離です。
往復2000キロという長距離をラバウル航空隊のゼロ戦は飛んで、アメリカ軍と戦ったのです。
1942年10月、
日本海軍は2隻の戦艦の艦砲射撃でヘンダーソン飛行場を叩きのめしました。
青天の霹靂といった状態で、戦艦からの巨弾を浴びせられたアメリカ軍基地は、
恐怖におびえやられ放題の完敗でした。
しかし、そうは言ってられず、日本軍には無いブルトーザーを駆使して飛行場を元通りにしたのです。
そんな飛行場を再び戦艦の巨砲で叩くべく、2隻の戦艦が、
ガダルカナル島へ、1942年11月14日、多くの軍艦と共に攻撃に出陣しました。
第三次ソロモン海戦の始まりでした。

そういった中に、駆逐艦綾波も居ました。


綾波は特型駆逐艦の11番艦で、全長118メートル。1680トン。乗組員219名。
その日綾波は2隻の駆逐艦、1隻の軽巡洋艦、川内と行動を共にしたのですが、

深夜の暗闇だった為か、軽巡川内と2艦で行動する筈だったのに、
川内は他の2艦と一緒に、サボ島の向こう側へ廻ってしまい、
綾波はそれとは知らずに、たった1艦で行動していたのです。
川内との無線は、サボ島が邪魔になって届かなかったのです。
そういった暗闇の中で、綾波は敵艦と出会ってしまいました。
駆逐艦3隻と、何と戦艦サウスダコタでした。
戦艦サウスダコタは新鋭の16インチという巨砲9門を持つ戦艦です。
まともに打ち合えば、1680トンの綾波など一瞬で吹き飛んでしまいます。
しかし、ごく近距離だった綾波は3隻の駆逐艦に対し、砲撃を仕掛けます。
敵からも攻撃を受け、1基の魚雷発射管が使えなくなり、それは誘爆の危険性もありました。
綾波は残った2基の魚雷発射管から6本の魚雷を発射します。
その内3本が敵艦に命中し、1隻は沈没、1隻は戦闘不能になる(後に沈没)という殊勲をあげます。
残る1隻も火災を起こし、後に日本軍から沈められて行きました。

また、戦艦サウスダコタは綾波の弾丸により電気系統が故障し、
戦闘不能になるという情けない結果になったのでした。
間もなく綾波は敵弾により致命傷を負い、暗いソロモン海に沈んでいきました。
しかし、艦長の判断により早期の脱出が幸いし、
80%の乗組員が命が助かった(日本艦により救助された)のです。
沈没する綾波から海に逃れた兵士達は、
信じられない大戦果に狂喜し、浮遊物にしがみ付きながら、軍歌を唄っていたのです。
そんな事は聞いた事もありません。
それほど、あり得ない大戦果だったのです。

しかし、戦艦比叡(ひえい)は、
サウスダコタではなく、その存在を感知できなかった戦艦ワシントンの、
レーダー射撃により撃沈され、ヘンダーソン飛行場を壊滅出来なかった
日本軍は戦略的には敗北したのでした。
しかし、世界の軍艦の中で、それもこんなちっぽけな軍艦が、
これほどの大戦果を挙げた事は皆無です。
数多くの海戦にことごとく参加し、ほぼ無傷で生き残った、駆逐艦、雪風。
それは、まさに奇跡でしたが、生き残れなかったとはいえ、戦果としては綾波なのです。
どちらも日本海軍の駆逐艦だったというのが(凄い、凄ご過ぎる)