河童の歌声

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被災地・南三陸町へ行ってきました

2015-12-28 22:41:27 | 旅行

南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku





仙台から前谷地までは電車ですが、そこから先は電車路線の復活は失われバスによる、BRT方式になりました。



撤去か保存かが問題になり、結局20年間は保存する事となった防災対策庁舎。
ここの2階で、新婚だった24歳の「遠藤未希さん」は、町民に防災無線で非難を叫び続け、命を落としました。
津波は屋上を越える事2メートルまで達し、約50名中で助かったのは10名程度だったそうです。



上の動画は、この志津川高校から撮ったもので、まさに壊滅の状況がはっきりと感じられました。



志津川湾の写真左側から来た津波は、右奥の志津川繁華街に進むほど、幅を狭め、3本の川に沿って、
どんどんと、その高さを上げていったので、より被害が大きくなりました。




民宿・明神崎荘の夕食。
茶碗蒸しの味が甘かったので意外な気がしましたが、翌朝たまたま観たテレビが地元・宮城県の番組だったので、
あちら方面の茶碗蒸しが甘味なのを知りました。



民宿からの朝焼け。



本来はJR気仙沼線の志津川駅だったのですが、鉄道の復活はあり得なくなってしまい、
バスによるBRT方式となった為に、駅舎もこの様な形態となりました。



被災前の南三陸町全景。



被災後の南三陸町全景。
まさに壊滅・全滅。南三陸町は面積が狭い繁華街だったのですが、その全てを失ってしまいました。



このピラミッドは、町全体の盛り土をする為に蓄えてある土です。
町は人が歩ける状態ではありません、町中が工事現場そのものとなっていました。



町民の姿を見かける事のできる場所は、この仮設商店街くらいでした。



以前は電車が走っていた鉄道路線は、バスが走る為の道路にその姿を変えていました。



歌声喫茶・仙台バラライカの今年最後の歌声と、翌日の忘年会に行く為の旅行だったのですが、
エリカさんが南三陸町で、命を賭けて避難を呼びかけ、結局その使命感ゆえに命を落とした、
遠藤未希さんの場所を見たいとたっての希望があり、一日早くの宮城県入りとなりました。

今迄にも、石巻、気仙沼などの被災地を、日本人として見る義務があると訪れましたが、
今回の南三陸町は、それら二つの場所と違って面積が狭く、それゆえに壊滅度が大きく感じられました。
この狭い町で800人くらいの方が死者行方不明者となりました。

遠藤未希さんが命を落とした防災対策庁舎の前には、
献花台があり、手を合わせると、こみ上げるものがありました。

私は歌声仲間たちにも言っているのですが、
津波の被災地を見に行って欲しい、日本人なら絶対に見るべきだと思っています。
戦後、2万人に達する死者が広範囲に散らばった事など初めてです。
こういった私達日本人が住む故郷が、自然災害とはいえ、その姿を大きく変え、
そこに住む人たちの心を変えていかざるを得ない現実に目を向けるべきだと思うのです。

初めて被災地に行ったのは、石巻でした。
ですが、「被災地を見に来た」の言葉を地元の人に言えなかったのです。
あまりにも不謹慎だと思っていたからです。

ですが、後日になって被災者たちは「自分たちの現実を知ってほしい、見てほしい」と、
思っていた事を知りました。
そして「色んな事を自粛する事だけは絶対にやめて欲しい」と言っている事も知りました。

私達の様な(よそ者)が被災地をウロチョロするなんて・・・
でも、誰も歩いていないより、誰であっても歩いている人の姿があるだけで、
それだけで、被災者たちは少しでも励みになるのです。

タクシーの運転手さんが連れて行ってくれた「大森食堂」では
コーヒーをご馳走になり、話を伺ったりしましたが、ありがとうございました。お元気で。

皆さん、被災地に行きましょう。
被災地に行って、少しでもお金を使いましょう。















コメント
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