河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

仙台大観音を見てきました

2015-03-30 10:26:13 | 旅行
3月28日に、去年の年末以来3か月ぶりに仙台バラライカに行ってきました。
今回はバスを利用せずに豪勢に往復新幹線での旅行です。

初日は仙石線で松島海岸へ行き、松島湾観光船で塩竈に渡りました。
2010年10月の深浦歌声ツアーに歌声仲間たちと一緒に乗った観光船では、
船尾からカモメに餌の投げやりをして大いに楽しんだのですが、
カモメの糞で島々の松の木が枯れてしまうとの事で、去年から中止となっていました。
これにはチョッとがっかりしましたが自然を守る為ですから、我慢我慢。

翌日は、新宿ともしびの夜歌に行く為に時間調整。
以前の深浦うたごえツアーの時に、青葉城から遠くに見えて気になっていた仙台大観音に行ってきました。
青葉城で解説をしていた方に「あの大きな白い建造物は何ですか?」と訊いたら、
「高さ100メートルの観音様でバブルの塔です」との返事でした。
それ以来気になる存在だったのです。

仙台駅からはバスで35分・400円でした。
仙台郊外の丘の真上にその観音様は巨大にそそり立っていました。
大仏では高さ120メートルの牛久大仏が日本一だそうですが、
100メートルの高さはそれについで2番目。
観音様としては日本一みたいです。





この巨大観音は1991年に総工費40億円で建てられたとの事。
仙台でパチンコ店・ホテル・ゴルフ場や、宅地開発などしていた、
双葉グループの社長・菅沼満という人が造ったのですが、
しかし、会社はその後倒産、観音様は宗教法人化していたので残ったみたいです。

完成当初はかなりの観光客も来たみたいですが、
私たちが行ったのが日曜日の午前11時頃だというのに観光客の姿はほぼ皆無で、
やっていないのかと危惧しました。
真ん前にある土産物センターも中国物産店のみが営業していて、
他の店はたたんでしまってる様でした。

塔の中には108体の観音様がありました。





上からその観音様を見ながら階段で下りて行きました。
ちらほらと観光客はやって来ますが、大した事はありません。

地上階には観音様の全体像と構造的な内部模型があり、その仕組みが分かる様になっていました。



頭の部分までは行ける様になっていなく、
肩くらいの高さまでエレベーターがあり、途中小さな覗き窓から外界が見えますが、
穴が小さくてとても見ずらく、写真にとっても全然見栄えがしませんでした。

観音様や大仏という建造物は外観を見て楽しむ物であって、
展望台としての機能が、備わっていないと断言できる点が、
東京タワーやスカイツリーと根本的に違うので、そこがリピーターを呼べない悩みでしょうか?
ま、一度行けばもう充分、二度は行きたいとは思いませんもんね。

とは言っても、日本最大の観音様を見て来たという価値は充分にあったなと感じました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小川テント・破産

2015-03-27 18:56:56 | キャンプ
小川テント(小川キャンパル)が破産してしまいました。
破産と倒産との違いはよく知りません。
小川キャンパルが正式名称なのかどうかは兎も角として、
私の中ではいつも(小川テント)でした。

テントメーカーには、コールマン・スノーピーク・ロゴス・ヨーレイカ・キャプテンスタッグ・
サウスフィールド・モンベル・ユニフレーム等々色々ありますが、
その中でも私がその性能の良さを最もかっていたのが(小川テント)でした。

キャンプ場に行くとすぐに分かりますが、圧倒的多数を誇るのはコールマンです。



その個性的な2トンカラーは嫌でも目だっています。
それに引き換え小川テントはまるで地味。



おまけにコールマンがあくまでもコールマンの2トンカラーであるのに対し、
小川テントは一貫したカラーというのが無いのです。

コールマンが本来が湿度の低いアメリカ製であるのに対し、
小川は本格的な純日本製であり、その差は大きいのです。

まず、テント地の材質がしっかりとしている。
そしてテント底の部分の材質のゴム(?)が肉厚で雨対策に完璧な事。
フライシートは内室をしっかりと覆って、ここにも雨対策が完全なんですね。

コールマンのフライシートなど地面から5センチも高い部分で終わっていて、
日本的な雨対策にはまるで合ってないのです。

そんな小川テントに私は数年前にある提案を送付したのですが、
その提案は結局、成就せずに無視されてしまいました。
私が提案したのは、
「小川テントは、その配色をタータンチェックにしなさい」という事だったのです。
キャンプ場でコールマンの2トンカラーが我が世の春を謳歌しているのに反し、
小川テントは上品なタータンチェックでその存在を知らしめれば、
きっと小川のテントはもっともっと買う人が増える筈だと私は思えたのです。





ですが、もう後の祭り。
小川テントの最大の致命傷は、とにかく値段が高い。
その一言だったのかも知れません。
でも、小川テントを買ったキャンパーはきっと「いい買い物をした」と思っている気がします。

私が小川テントをこれから買う事は絶対にありませんが、
それだけに尚、その良さ、その残念さが無念に思えます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出のキャンプ場

2015-03-25 07:11:58 | キャンプ
私がそもそもキャンプなる事を最初にしたのは、35歳くらいの頃でした。
何でキャンプなどに行く気になったのかは皆目覚えていません。
その頃頻繁に行っていた登山に比べて、お手軽に自然に触れられる点が良かったのかも知れません。

キャンプ道具も殆ど無い中、レンタカー(ワゴン車)を借りて、
母親・姉・甥など連れて丹沢の河原に行ったのです。
そんな事を数回している内に、以前の女房が参加する様になり、
数年後にはまだ小さかった娘とのファミリーキャンプになりました。

ファミリーキャンプは十数回行きましたが・・・離婚。
楽しかったキャンプは二度と行けなくなり、そのショックに私は打ちひしがれました。
もう一度あの楽しかったキャンプをしたいと、馬鹿みたいに独りっきりのソロキャンプなどに行きました。
三回くらいは行ったと思いますが、結果は惨めそのもの。
かえって心は淋しくなるばかりでした。

キャンプを諦めた私はハイキングクラブに入って、登山と言うか
いわゆるハイキング(登山とハイキングは私の中では別物)に熱中する様になりました。
2004年~2010年までの間、ハイキングや個人的な本格的登山などしていました。
その間、2007年からは「歌声喫茶」に出会い、運命の方向転換が始まりました。

ハイキングに行く回数は、段々と歌声喫茶参加回数にとって代わり、
歌声喫茶は私の一大趣味へとなっていきました。
そうなると登山やハイキングと言っても、もう情熱は起きないのです。
独りで丹沢の山へと行っても、かつての情熱はもう何処にも無かったのです。

歌声喫茶には、夢中になりましたね~(現在でもそうなんですが)
そんな頃に知り合ったのが現在の女房(エリカさん)
一年もしない内に私は彼女に声をかけてみました。
「一緒にキャンプに行かない?」
俺は女性に関してホントに手が早いんだ。

来てくれたんですね~。
時は2010年5月2日。
ゴールデンウィーク真っ只中。
行く先は静岡県の田貫湖キャンプ場。
過去に行った事があって、その良さを知っていたのです。
所が行ってみて仰天!
まるで芋の子を洗うが如くの惨状は、とてもキャンプなどと呼べるものではなかったのです。
そんな大混雑のキャンプ場など今だかつて見た事がありませんでした。

行き場を失った我々がようやく辿り着いた先が「表富士キャンプ場」
私的には大したキャンプ場ではなかったのですが、そこでエリカさんは一発でキャンプの虜になってしまったのです。
「こんな素敵な事が世の中にあったのね~」
嬉しかったですね~、涙が出るくらい嬉しかった!(実際涙が出たんです)







でも、その頃私たちはいわゆる世間で言う(不倫関係)
当時頻繁に書き込みをしていたミクシーにも書きたくても書けずでした。
しかし、分かっている人は何人も居たんだと思います。
だって、分かるよな~、男女のそんな怪しげな雰囲気って、何となく分かっちゃうんだよな~。





写真を見ると懐かしくなります。
一人用に買ったヨーレイカの小さなテント。
私のお気に入りだったコールマンのタープ。
必要無いと捨ててしまったツーバーナーのコンロ。

中でもエリカさんにとって良かったのは、
4歳くらいの可愛い女の子が、虫取り網と虫取りカゴを肩からぶら下げて、
虫など捕れる筈もなく、それでも無邪気にキャンプ場を走り回っている姿だった様です。

あれから5年。
当時不倫だった私たちは晴れて夫婦になり、5年間に29回、92日間のキャンプと相成りました。

これからも身体が元気な限り、楽しいキャンプライフをおくるでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーチューブ(動画)のアップが完了しました

2015-03-24 09:12:44 | 日記
2月13日のブログに、新しいユーチューブのアップを再開しましたと書きましたが、
今日、やっと全ての動画の公開となりました。

過去のアドレス(bisumark)や(aktaizan)の動画数が約133。
今回アップしたのが295。
合計428カット。多少の数え間違いもあるかも知れませんが・・・

また日付の年度が間違っているのもあります(修正が面倒くさいので、まだ直してない)
ですが、その辺は前後関係で大体わかると思います。

大和の歌声の時も書いたのですが、
楽しい雰囲気が記録として何も残っていないというのは、
実に勿体ないし、後々になってツマラナイと私は思うのです。

ある、他人の撮った動画が凄く良かった事がありました。
翌日、再びそれを観ようとしたらいくら探しても無いんです。
後日、それを訊いたら「ある議員さんが来ていてクレームが入ったので削除した」との事。
本当にツマラナイですね。
そんな人には来て欲しくないですね。
歌声喫茶というのは本来、楽しい場であるはずです。
そんな楽しい場で、権利・権利と自己主張を振りかざし、
後になって振り返れば、そんなものは振りかざす必要はなかったなんて言われてもね。

みなさん、一体どうなんでしょう?
記録なんてどうでもいい。と思うのでしょうか?
私は自分で言うのも何なんですが、
自分の撮った動画をかなり家で観ては楽しんでいるんです。
歌声に行きたくても行けない日など、動画を観ては行った気になったりしています。

カメラを回している時間というのは、まるで全然楽しくないのです。
まるで面白くないのです。
だって私は唄いたくて会場に来ているというのに、その時はまるで唄えないのですから。
カメラマンというのは絶対的に(黒子役)であって、その存在を判らせてはならないのです。
ですから、声を出して一緒に唄ったり、自分の顔を写すなんて事は絶対にダメなのです。
(でも、過去にはもう我慢できずに撮りながら一緒に唄ってしまった事もありました)
いつだったか撮っている最中に「河童さん」と声をかけられても全く返事が出来ずに困ったなんて事もありました。

もっと困るのは、撮りたい歌と、唄いたい歌とは共通だという事です。
まるで唄いたいという気にならない歌など、撮ろうという気にはならないのです。
例えば「私に人生と言えるものがあるなら」例えば「希望のささやき」
もう、私は唄いたくて唄いたくて・・でも、そういう歌だからこそ撮りたいとも思うのです。

はっきり私を撮らないでと宣告している人もいます。
撮ってはならない人もある程度、把握しています。
その人の声は絶対に入れたくないので、その人の居る時は撮らない様にしている方もいます。
また、その会場の雰囲気はもうある程度、撮りきってしまったので、それ以上は撮る必要も無い歌声もあります。
今までに撮った事のない歌は撮りたいと思います。
動画というのは、ここぞと思った時に撮るべきで、数多く撮りまくるのはダメです。
はたで撮りまくられて歌に集中できずに腹が立った事もあります。

動画を撮るというのは実に大変。
出来れば専属カメラマンが居て、いいとこばっかりおさえてくれたらどんなにいいか。

どうか皆さん、そんな私の気持ちを知って協力的になってくださいね。
これからも、皆さんの記憶に残るシーンを撮っていきたいので、頼みますよ~。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大和の歌声喫茶

2015-03-20 08:22:42 | 歌声喫茶
大和(神奈川県大和市)の歌声喫茶が、この5月をもって閉店するという。
閉店と言っても別に「お店」という意味ではなく、
場所はマンションの一室でやっているのですから、歌声活動を終えるという意味ですね。

私が横浜に住んでいた時には、最も(ご近所)の歌声喫茶でした。
往復の交通費・会費・飲み代を入れても2000円に満たないのですから、断トツに安かったのです。

最初に行ったのは、歌声喫茶を知った次の年(2008年)の9月でした。
大和駅からの道が分からずに会場に2回も電話して、ようやくたどり着いたのでした。
そこは3階建てのマンション(歌声喫茶のオーナー所有のビル)でした。
つまり自社ビルなんですね。
その3階の一室の仕切り壁を取り壊してワンルーム形式にしたのが、その会場でした。

自作の歌集を作ってありましたが、
部屋の前後に上からテレビを吊り下げて歌詞を映し出していたので、
歌集は見なくても歌える点は進んでいました。

狭い部屋に50人前後の人が入るのですから、
会場は身動きも出来ないほど混み合う日もありました。
前に出て唄うといっても、前に出る人と、最前列に座っている人との距離は、
1メートルも無いという状況の歌声喫茶だったのです。

私は例によって記録として映像を撮り残したかったのですが、
オーナーの意向は、出来れば撮って欲しくないという事でしたので、
「歌声やまと」に関しては一切の記録は何も残ってはいません。
(素晴らしい出来事が何も記録に残らないって実にツマラナイ事だな)と私は思うのですが・・・

08年には6回の参加。
翌09年は7回の参加でしたが、
それからは殆ど「歌声やまと」には行かなくなってしまいました。
(最終的には17回の参加でした。)
それは、私があちこちの歌声喫茶に行くと、色々な知り合いが出来て楽しくなっていくのに対し、
「歌声やまと」の人達は、他の歌声喫茶に殆ど行かないのです。
(井の中の蛙)状態とでも言いましょうか?
自分たち「歌声やまと」だけの付き合いというか、他の歌声に行こうとはしないのです。
大和の歌声喫茶のがっちりとしたスクラムは、チョッと近より難い雰囲気すら漂っていました。

私の動画(ユーチューブ)に「青春サイクリング」の振付け付きの動画がありますが、
あの女性にも「貴方の振付は面白いから是非、多摩方面の歌声喫茶でやって欲しい」とお願いしたのですが、
まるで相手にもされずでした。
彼女が「歌声やまと」以外の「町田の歌声」に来て、それをやってくれたのは、ずっと後になっての事でした。

そんな不満で私の中からは「歌声やまと」は消えていってしまいました。
しかし、「歌声やまと」には他の歌声喫茶以上に素晴らしい魅力があったのです。
それが、男性司会者の(バクさん)でした。
私は「こんな素晴らしい司会者が何で大和以外の歌声喫茶に来ないのか?」と不思議でなりませんでした。






私のそんな素朴な疑問を聞かされていた、多摩方面の歌声主催者達(前田さん、晴ちゃん、おっくん)などが、
そんな事ならバクさんなる人物を一度見てみようと「歌声やまと」に視察に来たのが2009年の10月でした。
それがきっかけとなってバクさんがあちこちの歌声喫茶に羽ばたいていった事は本当に良かった。
バクさんを一か所の歌声喫茶だけに埋もれさせておくなんて、あまりにも勿体ない。

歌声やまとは毎週金曜日の夜の開催。
途中からは月一回日曜日の歌声も開催される様になったとかで、つまり月5回の開催だった様です。
多分15年くらいはやっていたと思いますが、
何でも、オーナーがそろそろ疲れてきた、自分たち夫婦の時間を持ちたいと、辞める決心をしたとか・・・

そうなると「歌声やまと」の人達は、これからはあちこちの歌声喫茶に行く様になるのかな?

バクさんも閉店を期に、長年悪かった膝の手術を行う事にしたし。
色々変わっていくのかも知れませんね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする