河童の歌声

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桁外れのハリウッドスター

2024-05-05 14:41:12 | 芸能
過去に、北海道小樽の石原裕次郎記念館や、
伊豆の加山雄三ミュージアム(共に既に閉館)に行った事があります。
そこには日本を代表する大スターの普段の生活を再現するコーナーがあり、
「なるほど大スターともなると凄いものだな」と思ったものです。



しかしある時、ネットでハリウッドスターの、
ジョン・トラボルタの私邸を映像で見た時は、
それこそ腰を抜かさんばかりに驚愕しました。





自宅がジェット機の格納庫みたいな家だったのです。
彼の飛行機好きは子供時代からで、今では大型ジャンボジェット機も所有してるそうです。
そして、それをトラボルタ本人が操縦するそうです。





私はこの俳優の名前は知っていたし、
彼が「サタデーナイトなんとか?」といったダンス映画でスターになった事は知っていました。

しかし、あの如何にもイタリア人っぽい顔も好きになれなく、
どうでもいい俳優でしかありませんでした。
今回、ネットで見たらやはり父親がイタリア人でした。
その程度でしかなかったジョン・トラボルタという俳優が、
いくらハリウッドスターであるとはいえ、まさかこれほどまでの大富豪だとは。

日本で大スターとか言われる俳優が10人でも、彼には敵いません。
日本と世界にはこれほどの差があろうとは知りませんでした。
それも、私から見れば大した事ないだろうと思っていた俳優が、なんです。
やっぱり日本などというのは、東洋の一小国でしかないのですね。
石原裕次郎がベンツ300SLを所有しようが、
加山雄三がクルーザー船、光進丸を所有しようが、
トラボルタのジャンボジェット機所有に比べると、可愛いものです。
お遊び程度です。

人は生まれる国も時代も、人種も性別も家族も選べません。
日本という東洋の小国でスターになれた人は、そこそこラッキーでしたが、
アメリカでスターになれた人は、本当の意味でラッキーであり、
生まれてきて本当に良かったという人種ですね。

まあ、数十億人に一人という確率であり、
連日連夜、宝クジ一等賞に当たり続けている人生。
大谷翔平が、その人なんですね。

でもまさか、ジョン・トラボルタなんて人がそうだとはな~・・


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朝ドラ「ブギウギ」が終わってしまった

2024-03-29 13:39:58 | 芸能


NHKの朝ドラ「ブギウギ」が終わってしまいました。
最初は、笠置シズ子の生き様など、ほぼ興味は無かったのですが、
段々好きになり、のめり込んでしまいました。
のめり込んだ最大の理由は、趣里という女優の魅力の虜になったからです。

趣里などいう名前はそれまで聞いた事もなかったし、
彼女が、水谷豊と伊藤蘭との間に生まれた子供だという事も知りませんでした。
というか、私は水谷豊と伊藤蘭が夫婦であった事も知りませんでした。
つまり彼女に関しては、な~んにも知らなかったのです。



美人というタイプではありません。
体形も小柄で細身で、いわゆる私の好みのタイプでもありません。
しかし、彼女にはこれから大きく羽ばたいていくであろう才能を感じるのです。
「この子(あえて子と言う)は凄い女優になる」
それを強く感じるのです。
底抜けに明るい時、それとは反対に沈んだ時の暗い顔。
その両面に、彼女独特の顔の表情と、心の彷徨いを感じられるのです。

大女優、あるいは大スターとなった女優でも、
いつまで経っても大根役者だと思う女優さんもいます。
貴女はいつまで大根役者やってるのと、
観てるこっちが気恥ずかしくなってしまう女優。
しかし、趣里は最初から、いい役者なんです。
それは持って生まれた素質です。
こういった役者を初めて見ました。

でも、毎日の様に彼女とデートしてた私は、
これからは、もう彼女に逢えなくなってしまいました。
これが実に悲しい、寂しい。
これから彼女に逢いたかったら、彼女の出演作を観るしかありません。

言っとくけど、この子は、凄い女優になるよ~。
楽しい時、嬉しい時、悲しい時、寂しい時、
これからそういった様々な人生の隘路を演じ、魅せてくれるのでしょうか。
私達を魅了させてくれるのでしょうか?
彼女には自分は何をすべきかを大いに悩み苦んでほしい。
そういった貴女だけしかできない世界の結果を、
私達に見せてほしい、これからの貴女を観るのが楽しみです。

16.2.12.東京ブギウギ・新宿ともしび

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趣里という名前の女優

2023-12-29 16:34:04 | 芸能
現在放送されているNHK朝ドラの「ブギウギ」
あの、笠置シヅ子を描いたドラマですね。



笠置シヅ子・・1914ー1985(70)
彼女の人生は戦争という不幸をはさんで波乱万丈でした。
そんな時代を9歳年下の恋人と知り合い、同棲し、
しかし、結婚できなかったという女の悲しみを抱えた女性でした。
その彼を生涯たった一人だけの男性と思い続けたという純粋な女性でした。







そんな笠置シヅ子を演じているのが、趣里という女優です。
実は、私は趣里という女優を全く知りませんでした。
名前は勿論、顔すら初めて見たのです。





趣里の両親は、
あの水谷豊と、元キャンディーズの伊藤蘭だというのも初めて知りました。
(私はキャンディーズでは、田中好子・スーちゃんがタイプだったんですけどね。)
言わば芸能界ではサラブレッドといった血統なのかもしれません。

しかし、こう言っては失礼なのは百も承知で言ってしまいますが、
彼女はさほど美人ではないと思います。(怒らないでね)
でも、彼女は私の胸を打ったのです。
何が胸を打ったか?

趣里という女優の才能、将来性、を感じるのです。
「この女優はきっと凄い女優になる」と。
屈託のない明るい女を演じたと思うと、
次には深刻な顔で心の内面をジッと演じられる、そんな女。
今までの朝ドラ主人公を演じた女優には無い、底知れない才能を感じるのです。

ただ美人で可愛くてみたいな、そこらにありふれたフツーの女優。
それとは一線を画した、生まれついての(もの)を感じるのです。
それは思っても、なろうとして頑張ってもなり得ない才能。
それを趣里は生まれついて持っている、そう感じるのです。

たかが素人の私ごときが、あ~だこ~だと言っても、
何の意味も持たないとは思いますが、
彼女に感じたヒラメキは、きっと、きっと・・・


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水卜麻美アナの結婚相手

2023-05-14 07:55:55 | 芸能


日本テレビの人気アナウンサー、水卜麻美さんが最近、結婚を報告しました。
水卜を、(みうら)と言うのは初めて知りました。
戦国武将に、塚原卜伝(つかはら、ぼくでん)がいます。
それはトを(ぼく)と読んでいるのは知っていました。



また、左卜全(ひだり・ぼくぜん)という俳優もいました。
これも塚原卜伝と同じで(ぼく)と読んでいます。
しかし、同じ漢字を(うら)と読むのは知りませんでした。

さて、私は以前から彼女を「色白で可愛くて素敵な女性だな」と思っていました。
なので、その彼女が結婚した相手は、いったいどんな奴だろうと思っていました。
コンチクショーな奴だなと思っていました。

先日のNHK番組「あさイチ」で、
そのコンチクショーが登場して、「こいつか~ッ」でした。



この人、俺は全然知らなかった。
結婚した男が俳優だとは妻から聞いていましたが、
俺はこんな奴、見た事も聞いた事もなかった。
でもわかった。
こいつは、いい奴だ。それはすぐに感じた。
許そう、俺はお前が水卜麻美の亭主になる事を認める。



彼は、個人的にバナナマンの日村勇紀と仲が良く、
ある時、彼を交えて飲んでいる時に、
日村氏が「誰かいい人(女性)居ないの?」と中村に訊いたら、
「水卜麻美さんみたいな人が好き」
たまたま共通の知人が居て、橋渡しとなり、
それからはトントン拍子で決まっちゃったんだそうな。
いいね~、「♫ 若い~って素晴らしい」
と言っても、二人とも36歳なんだよね。

私は中村倫也は(声がいい)と最初に感じたのですが、
それは日村勇紀氏も同じ事を言っていました。
特に、ゴルフに行ってボールがとんでもない所に行ってしまった時に、
中村倫也が「ファーッ」っと叫ぶ、その声が本当に素晴らしいんだそうです。

彼が「ファーッ」と叫ぶ声を聞いた私は、ある事を思い出しました。

それは1983年製の中国映画「上海にかかる橋」
文化大革命に青春を翻弄された男女の、その後の人生ドラマです。
革命中にある男性との間に私生児を産んでしまった女。
彼女はそれを隠していましたが、純粋でひた向きな男と知り合います。
その男性の強い愛に、彼女は遂に真実を語り始めるのでした。



その男性が、当時27歳だった俳優の、張鉄林です。
今では有名な中国俳優となっている彼ですが、
「上海にかかる橋」の中で、彼が声高らかに大笑いするシーンがあり、
その時、その声を聞いて、素晴らしい美声の持ち主だと感じたのです。
普通に話している時にはそうでもなかったのに、
大きな声を発した時に、その声の張り、艶、などに聞き惚れたのです。
それと同じ思いを中村倫也に感じました。

「上海にかかる橋」
中国タイトル「大橋下面」素晴らしい純愛映画でした。



私はこの女優(コンシェ)にファンレターを書いて送ったのです。
あて先は「上海電影公司」とか、そんなトコだったかな?
勿論、返事などあろうはずもなく、私のあの熱い想いはどこへ行ってしまったんだろうか?
この映画のDVDをある歌声喫茶の女性に貸したら、まだ返ってこない。
S女史よ、そろそろ返してチョーダイよね。

それにしても、水卜麻美さんと中村倫也さん。
二人で温かい家庭を築いてくださいね。
応援してますよ。




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芸能界広しと言えども・・田宮二郎

2023-04-16 04:38:56 | 芸能


昔、田宮二郎という俳優がいました。
彼は私が好きな俳優でもありました。
1935年(昭和10年)~1978年(昭和53年)享年43歳。

大阪出身。本名、柴田吾郎。
生後4日で父親が亡くなり、戦後間もなくというから、10歳か11歳くらいで母親とも死別。
その為、幼少時から高校時代にかけて京都にて親族によって育てられる。



京都府立鴨沂高校に入学した彼には1年先輩に、団令子がいました。
彼女の美少女ぶりは有名で、田宮二郎も勿論、彼女に憧れた様です。
卒業後は学習院大学へ進み、政経学部経済学科を卒業しました。
在学中は外交官志望でしたが、在学中の1955年(昭和30年)に、
スポーツニッポン社主催の、ミスターニッポンコンテストに優勝。
それがきっかけとなって大映に入社しました。

1961年(26歳)映画「女の勲章」で注目を集め、名を挙げました。
その年から始まった、今東光の小説「悪名」シリーズで、
勝新太郎の弟分、清次役として16作に出演しました。
(田宮二郎は、元々関西出身なので、関西弁はお手の物でした)



1965年(30歳)
何度も共演していた女優の藤由紀子と結婚しました。
彼ら夫婦は芸能界の、おしどり夫婦と言われていました。

1968年、映画「不信の時」の宣伝ポスターの序列に不満を持ち、
会社に直談判をし、それが永田雅一社長の逆鱗に触れ、大映を追われ、
更に五社協定により、映画界から追放されてしまいます。
彼は、自分のスターとしての人気がかなりなものだという思い上がりがあり、
その傲慢さが永田雅一を怒らせたんだと思います。

田宮は仕方なくテレビ業界に活路を求め、
「クイズ、タイムショック」の司会者になりました。
しかし、徐々にテレビ界で再び人気を博し、スターとしての座を獲得して行きます。

1977年(42歳)頃より、実業家としての夢を言い始め、
精神的に不安定となり、躁鬱病と診断されます。
また、頭髪が薄くなってきた事についても悩んでいました。





山崎豊子の小説「白い巨塔」のドラマ化を田宮は強く望んでいたのですが、
1978年から撮影開始となります。

田宮が俳優人生の総力を賭けて臨んだ「白い巨塔」が終わった後は、
田宮は虚脱状態になり、
放映が残り2話になった日、自宅ベッドで猟銃の引き金を足の指で引いて、
自らの命を絶ってしまいました。
享年43歳。
「白い巨塔」最終話の視聴率は31,4パーセントという高視聴率だったそうです



「白い巨塔」最終話で、
ガン治療の権威者である財前五郎本人が、ガンによって死んで行くという皮肉なラストシーン、
田宮二郎は3日間絶食をして痩せた状態での迫真の演技。
あれは(演技)などと言えるものではない、(演技)を遥かに超越したものでした。
当時、あのシーンを観たという人達は、みなその凄さを言います。
田宮二郎は、あの時、自分自身の死を覚悟していたんだと思うのです。

田宮二郎という俳優は、
「白い巨塔」の主人公が(五郎)という名前であり、
それは田宮二郎の本名が(吾郎)である事とオーバーラップして、
また、その頃、彼の頭の中を占めていた実業家として活躍できない悩みと重なって、
現実としての(死)を意識し、覚悟していたふしがあるのです。

田宮二郎は、外交官になりたかったという背景があって、
彼自身「俺の英語は下手なアメリカ人より上手い」と豪語するだけ上手かったみたいです。

私は20歳を少し過ぎた頃、藤沢に住んでいました。
その藤沢駅前のデパートに田宮二郎が来た事がありました。
たまたまデパートに行ったら(田宮二郎来たる)などと書いてあり、
私は好きなスターでもあるしと1時間くらい彼の到着を待ちました。
ああいったスターというのは、勿体ぶって遅れてくるのです。
時間通りに来るスターなど、スターとしての有難みがなくなってしまいますからね。

やっと到着した田宮二郎は、身長178,5センチと、その通りでした。
級友に田宮と同身長の奴がいたんで「あいつと同じだ」と思いました。
田宮二郎が現れた瞬間のどよめきは凄かった。
スターというのは、やっぱりスターなんですね。

で、何が「芸能界広しと言えども」なんでしょうか?
芸能界広しと言えども、田宮二郎ほどのプレイボーイはいなかったそうです。



山本陽子。



坂本スミ子。

挙げればきりがない、女性遍歴。
それは、彼が子供時代、親の愛をあまり受けられなかったからだとも言われるみたいです。
確かに両親からの愛に関しては恵まれていませんでしたね。
彼はきっと、母の母性愛に飢えていたのかも知れません。

今でも田宮二郎の存在を忘れられないという人は多いんだと思います。
男性は彼の男らしいカッコ良さに、
女性も彼の男らしいカッコ良さに、
な~んだ、男も女も同じかよ・・・

で、俺は・・ま、いいか~。


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