先日、新しい横綱が誕生したと聞きました。
はて・・それって誰なんですか?
かつて相撲が大好きだった私。
しかし、今や・・もはや相撲には何の興味も無くなってしまいました。
本当の話、何という四股名の方なんですか?
でも、何となく又もやモンゴル力士とかの気がするんですが・・・
かつて、外人力士など居なかった時代には、
語るも美しく素晴らしい力士が溢れていました。

柏鵬全盛時代の美しい両力士。
力士って、こういった美しい体形が力士だった。
この2力士が相撲界に貢献した度合いは凄かったのです。

千代の山・・191センチ、122キロ。
まるで仁王様の再来みたいな忘れられない力士でしたね。

若浪・・178センチ、98キロの小兵ながら、
天を仰いでのつり出しを得意技にしていた風変わり、しかし記憶に残る力士。

朝汐太郎・・力士紹介で奄美大島と覚えさせられた力士。
初代、若乃花のライバルと言われましたが、対戦成績では勝てなかった。
188センチ、138キロの巨体ながら腹が出てなく、
胸毛自慢の、その勇壮な体形に魅せられました。

明歩谷、189センチ、113キロ。まさに長身痩躯の見本。
今もって彼を超える美形力士は出現しませんね。
その吊り出しは「起重機」と言われました。

比較的、最近ですが、舞の海。
168センチの小兵ながら旋風を巻き起こした、忘れられない力士です。


この力士を覚えているという方は殆ど居ないと思います。豊真将(ほうましょう)
最高位は小結でした。
下関出身でしたが進学した埼玉栄高校では1600名中10番以内と成績優秀でした。
趣味は読書と史跡巡り。
豊真将は土俵でも礼儀正しく、負けた時でも礼儀正しくその姿を見た人に、
「この人は並みの力士と違う」という印象を持った人はかなり居たと思います。
師匠の元寺尾関(錣山親方)は、豊真将関を「尊敬している」と言っていました。
親方が弟子を尊敬している・・そんなのは聞いた事がありません。
豊真将は力士として以前に、人間として素晴らしい人でした。

この人、チェコ出身力士、隆ノ山。
外人力士はあまり好きになれない私ですが、
この力士の気持ち(10年間は故郷には帰らない)と言って、
18歳で入門し、10年間は故郷にも帰らず母親にも逢わなかった。
まだ18歳の若者がそこまで思い込んだ心意気。
それは人間として素晴らしく、あまりにも立派でした。
身体が大きくならずに31歳で引退し、チェコに日本人の妻子と共に帰国しました。

そういった過去の色々な思い出を一瞬にして蹴散らしたのが、
このモンゴル力士です。
相撲という日本伝統の世界に、喧嘩を持ち込み、
勝ちさえすれば何でもありのプロレス世界に変えてしまったバカタレ。
相撲協会は、客を呼べればいいんだろ、稼げればいいんだろ「お前らは黙っとれ」
とモンゴル力士の前に何も言えなくなってしまいました。
彼、以後相撲界はモンゴルに席捲され、私は観る気を失ってしまいました。
格闘技でありながらお互いをかばい合う男の美しさを感じた時代。
本当に素晴らしく忘れられない世界だった。
それが全部とまでは言わないが、下品な世界になってしまった。
細身力士(ソップ型)が消滅し、
ただのデブが技も無くの押しくら饅頭相撲。
こんな世界に誰がした!
もう観る気は失せた、勝手にやっとれッ!
(追伸)
先日、このブログの閲覧回数が、250万回になりました。
本当にありがとうございます。
10年と、30日くらいかかったみたいです。
一日平均680回くらいなのかな・・
最近は以前に比べて書く回数が少なくなっています。
それほど楽しい、また見たいといったブログでない事は百も承知ですが、
思う事がある限り、書き続けるのも私の生き様かと・・・
今後ともよろしくお願い致します。
はて・・それって誰なんですか?
かつて相撲が大好きだった私。
しかし、今や・・もはや相撲には何の興味も無くなってしまいました。
本当の話、何という四股名の方なんですか?
でも、何となく又もやモンゴル力士とかの気がするんですが・・・
かつて、外人力士など居なかった時代には、
語るも美しく素晴らしい力士が溢れていました。

柏鵬全盛時代の美しい両力士。
力士って、こういった美しい体形が力士だった。
この2力士が相撲界に貢献した度合いは凄かったのです。

千代の山・・191センチ、122キロ。
まるで仁王様の再来みたいな忘れられない力士でしたね。

若浪・・178センチ、98キロの小兵ながら、
天を仰いでのつり出しを得意技にしていた風変わり、しかし記憶に残る力士。

朝汐太郎・・力士紹介で奄美大島と覚えさせられた力士。
初代、若乃花のライバルと言われましたが、対戦成績では勝てなかった。
188センチ、138キロの巨体ながら腹が出てなく、
胸毛自慢の、その勇壮な体形に魅せられました。

明歩谷、189センチ、113キロ。まさに長身痩躯の見本。
今もって彼を超える美形力士は出現しませんね。
その吊り出しは「起重機」と言われました。

比較的、最近ですが、舞の海。
168センチの小兵ながら旋風を巻き起こした、忘れられない力士です。


この力士を覚えているという方は殆ど居ないと思います。豊真将(ほうましょう)
最高位は小結でした。
下関出身でしたが進学した埼玉栄高校では1600名中10番以内と成績優秀でした。
趣味は読書と史跡巡り。
豊真将は土俵でも礼儀正しく、負けた時でも礼儀正しくその姿を見た人に、
「この人は並みの力士と違う」という印象を持った人はかなり居たと思います。
師匠の元寺尾関(錣山親方)は、豊真将関を「尊敬している」と言っていました。
親方が弟子を尊敬している・・そんなのは聞いた事がありません。
豊真将は力士として以前に、人間として素晴らしい人でした。

この人、チェコ出身力士、隆ノ山。
外人力士はあまり好きになれない私ですが、
この力士の気持ち(10年間は故郷には帰らない)と言って、
18歳で入門し、10年間は故郷にも帰らず母親にも逢わなかった。
まだ18歳の若者がそこまで思い込んだ心意気。
それは人間として素晴らしく、あまりにも立派でした。
身体が大きくならずに31歳で引退し、チェコに日本人の妻子と共に帰国しました。

そういった過去の色々な思い出を一瞬にして蹴散らしたのが、
このモンゴル力士です。
相撲という日本伝統の世界に、喧嘩を持ち込み、
勝ちさえすれば何でもありのプロレス世界に変えてしまったバカタレ。
相撲協会は、客を呼べればいいんだろ、稼げればいいんだろ「お前らは黙っとれ」
とモンゴル力士の前に何も言えなくなってしまいました。
彼、以後相撲界はモンゴルに席捲され、私は観る気を失ってしまいました。
格闘技でありながらお互いをかばい合う男の美しさを感じた時代。
本当に素晴らしく忘れられない世界だった。
それが全部とまでは言わないが、下品な世界になってしまった。
細身力士(ソップ型)が消滅し、
ただのデブが技も無くの押しくら饅頭相撲。
こんな世界に誰がした!
もう観る気は失せた、勝手にやっとれッ!
(追伸)
先日、このブログの閲覧回数が、250万回になりました。
本当にありがとうございます。
10年と、30日くらいかかったみたいです。
一日平均680回くらいなのかな・・
最近は以前に比べて書く回数が少なくなっています。
それほど楽しい、また見たいといったブログでない事は百も承知ですが、
思う事がある限り、書き続けるのも私の生き様かと・・・
今後ともよろしくお願い致します。