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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

珈琲は好きだけど・・

2016-09-30 02:39:43 | グルメ




私は、コーヒーという飲み物は、まあ好きな方です。
紅茶よりか、どっちかと言うとコーヒー派です。
家でもドリップでコーヒーを淹れて飲んでいます。

でも、ホント言うと味は判らないのです。
大体、私の舌は(牛肉)と(豚肉)の違いが判らない舌なんですね。
ロクなもんじゃない舌なんですね。

でもね、流石にドリップで淹れたコーヒーと、
インスタントコーヒーの差、程度は判るんです。
俺が味オンチだなんて舐めんじゃね~ぞッ!
エリカさんと一緒になってからは、インスタントコーヒーは買わなくなっています。

でも、何時だったか新宿でインスタントコーヒー・メーカーの、
宣伝試飲会があって、そこで飲んだインスタントコーヒーは、
まるでインスタントとは判らない美味さでした。
まるで、ドリップコーヒーを飲んでいるみたいな味でした。

若い頃は、喫茶店が好きで、そこで大人ぶってよくコーヒーを飲んでいました。
その時代は(コーヒー)と書くより(珈琲)と書くと、
何だか(通)になった気がして、
珈琲を飲む姿も、カッコつけちゃって、いい気になっていたのです。
俺を誰だと思ってるんだ!舐めんじゃね~ぞッの世界をやってたんです。

女給さん(女給だぞ、漢字なんだぞ、カタカナじゃないんだぞ)に、
注文をする時も、
「ブラジル・・」なんてカッコつけちゃってたんだ。
味も判らんバカタレのくせして。



昔の喫茶店では、サイフォンで淹れてる店もあったんですが、
最近は喫茶店自体が少なくなってもいるし、
(みなドトールとかの店になっちゃった)
珈琲一筋のオヤジがサイフォンとにらめっこなんて店も無くなっちゃったね~。

いわゆる昔風の(喫茶店)というのは、
本当に実に大人のムードがあって、そこら辺が良かったんだよね。
そこに行くと、何も知らない若僧のくせして、
もういっぱしの大人になった自分の姿がそこにあって、
それを、あっちの席から麗しき乙女がウットリと見つめている気がしたんだよな~。
「オアイソお願いします」なんて長財布を取り出したりして・・
長財布・・俺、持ってなかった・・(涙)

大体、かかってる音楽が良かったよな~。
イージーリスニングとか、クラシックとか。
アルフレッド・ハウゼの「碧空」なんか最高だったな~。
今はドトールだから、もうムード無いね。



コーヒーってね、
これが(お茶)ってなると、もうジジババの世界にいきなりなっちゃうんだから。
ど~して、日本茶の世界って年寄り臭くなっちゃうんだろうね?
喫茶店で(お茶)なんぞ飲んでいたとしたら、
あっちの席から見つめているのは、麗しき乙女じゃなくって、
鬱陶しいババアになっちゃうんだからね、エライ格差だよな。


昨日は、国立で「修ちゃんと、武ちゃん」の歌声があって良かったんだけど、
それにしても、夜の夜中に目が覚めちゃうって・・
さてと、もう一回寝直そうかね~・・・

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歌声の二次会

2016-09-29 06:23:58 | 歌声喫茶
16.9.11.乾杯の歌・仙台ロシア合唱団第3回演奏会・打ち上げパーティー


これは、9月11日に行われた、
仙台ロシア合唱団・第3回演奏会の、打ち上げパーティーの様子です。

演奏会場とは離れた仙台駅近くの大きなビアホールが会場でした。
この時は、合唱団の演奏会という大義名分と、
それが大成功に終わったという気持ちの高まりで、
皆の気持ちが最高潮に昂揚して、近来稀にみる楽しさで爆発しました。

それが良い方に作用したのか、
仙台ロシア合唱団に、2人の入会申込者が出たという事で、
団長さんも大喜びとなりました。

これは二次会というか、打ち上げですが、
こういった風に歌声の二次会も、盛り上がるといいですね~。


つい先日より、国立の歌声喫茶では、
歌声会場を使って二次会を行う様になりました。
これは、歌声会場の目の前にあった中華料理店が、
閉店される事になった結果です。

それ以前より、その中華料理店は火曜日が休みの事が多く、
そういった日は、南武線の矢川駅まで車で移動して、
「ジョナサン」でやる事がまま、あったのですが、
それも面倒だし、店側からもあまり歓迎されざる客だったみたいで・・
(大人数で一緒の席を占有するのが難しい)

歌声会場をそのまま二次会場として使うのは、
府中の(歌声どんちゃか)がそれでしたね。
入場者が600人以上とかで多かったので、
当然、二次会参加者もかなりな人数で、
いわゆる歌声喫茶の二次会とは、また違ったものでしたが。

二次会参加者が多いと、話題は分散する事となります。
共通の話題には当たり前ですが、なり得ません。
人数の多い二次会は、賑やかで雰囲気的にはいいんですが、
そういった一体感は無くなりますね。

沢山の歌声参加者と色々な話をしたいと思うのですが、
皆が一体となって共通の話題になる事もあります。
でも、人数が多いとそれもあまり長続きはしません。
そういった面が悩ましいですね。

同じ話題でみなが一体になれる人数は、
最高でも6人くらいでしょうか?
8人となると、もう別々の話をする様になってしまいます。

ずっと以前の事ですが、
男性2名、女性2名の4人で二次会をした事がありました。
これは、今でも覚えているくらい話題が盛り上がって最高でした。
こういったコンパクトな二次会は、話が密になり、面白いんですね~。

二次会目当てなんて人も居るようです。
でも、歌声喫茶はやっぱり、
思いっきり楽しく唄っている人の為であって欲しいですね。
殆ど唄いもせずに、二次会だけは参加する人って何だかな~。

話題はとても重要ですね。
ある時、政治の事を話している人が居ましたが、
そういうのは、どっか他でやってよと言いたくなりました。

歌声喫茶の二次会ですから、話題は歌声であって欲しいですね。
理想的な歌声二次会というのはホント難しい。
誰もが別々の思いを持っているのですから、
足並みが揃うなんて、難しいかも知れませんが、
でも、やっぱり歌声喫茶が終わった後のビールは美味しいしね~。
これがあるから歌声喫茶なんだよ~っと思ったりして・・ネ

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旅先での遭遇

2016-09-28 07:50:04 | エリカの日記


昨年、北海道へ行きましたが、札幌のホテルを出てすぐの街中で、
歌声女性を見かけた時に声をかけられなかったという苦い思い出がありましたが、
私は今までの旅先でどれだけの知人・友人に逢った事だろう・・・

一番最初は若かりし頃、結婚し初めての夏休み。
二泊三日で伊豆へ海水浴に行ったのですが、
そこで元夫の会社での同期入社の友人に出会ったのです。
夜、一緒に飲む約束をしたとかで、私一人民宿に置いてけぼり(涙)

その次は、友人夫婦と北陸へドライブに行った時。
能登半島から富山へ向かって走っている時に、いきなり後ろからクラクションが・・・
何事かと思って振り向いたら、そこには何と私の妹二人と、
実家の近所の仲良し二人が笑って手を振っている。

車を停めて話をしたが、「走っている車がすれ違っただけでよく判ったね」と言ったら、
「姉ちゃんちの車のナンバープレートは判りやすいから」との返事。
その当時の我が家の車はトヨタ・カローラ
「多摩・・3644」だった。

それから京都へ行った時。
市内観光の二階建てのバスの二階の前に乗ったのですが、
観光箇所でバスを降りたらビックリ。
その当時、私は娘たちが通っている中学校の、
PTAの本部役員をしていたのですが、
その役員仲間とバッタリ。
お互いに顔を見合わせ「どうしたのこんな所で?」と、笑ってしまいました。

お互いの家はさほど離れている訳ではないのですが、
滅多に自宅近くで会う事もなく、学校の役員会の時だけなんですから・・・

そしてその次は、信州高遠へ桜見物に行った時。
見物して帰ろうと混雑している車の列でノロノロ走っている時・・・
目の前を横切って歩いて行く人の中に妹夫妻の姿が・・・
声をかけたら妹もビックリして、旅先で二度も会うとはね~。
お互いに笑いあってしまいました。

その他にも、ひとり旅をするつもりで旅行会社のツアーバスに乗ったら、
退職された、娘たちが中学生の時に教わった先生が同じバスに乗っていたり、
三春の滝桜を見に行った時に、知人に会ったり。
奥入瀬から秋田へ行った帰りに寄った福島のパーキングエリアで、
近所の方に会ったり。

その他にも色々な人達に色々な場所で会ったりしています。
こんなに旅先で知り合いに逢う人って居るのかしら?

コメント (2)
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フッド轟沈

2016-09-28 06:38:20 | 軍艦
イギリスの巡洋戦艦フッドは、世界最大の巡洋戦艦でした。

巡洋戦艦という艦種は、
戦艦の持つ攻撃力と、巡洋艦の持つスピードを兼ね備えた艦種でした。
スピードが速いという事は、馬力のある大きなエンジンを積んでいるからですが、
大きなエンジンの重量分、装甲が薄く出来ています。
これはイギリスのフィッシャー提督の、
「速力は最大の防御」という考えに基づいていて、
1908年に最初の巡洋戦艦が誕生しました。

しかし、第一次世界大戦中に起こった数回の海戦により、
巡洋戦艦の持つ、薄い装甲が致命的な欠陥である事が如実になったのです。

第二次世界大戦になり、フッドも薄い装甲を改造する計画はあったのですが、
間に合わず、薄い装甲のまま大戦を迎えました。

1941年(昭和16年)5月24日。
北大西洋でイギリスとドイツとの海戦が起こりました。
デンマーク海峡海戦です。

参加艦艇はイギリス海軍は、新進気鋭の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
35000トン。



そして、世界最大の巡洋戦艦「フッド」42000トン。
フッドはチャーチル首相に「世界一美しい軍艦」と言わしめた流麗なスタイル。
全長は、世界最大の「戦艦大和」の263メートルを僅かに下回る262メートル。
しかし、フッドは1916年生まれ、艦齢25年の老朽艦でした。



対するドイツ海軍は、
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」15000トン。



そして、これも新進気鋭の、当時ヨーロッパ最強を誇った、
戦艦「ビスマルク」42000トン。



4隻の大型艦は急速に接近し、それぞれ相手を射程距離に捉えます。
距離15キロ。
フッドは左に旋回しますが、これは一刻も早くに後部主砲を使える様にする為です。
その旋回が終わらない内に、
ビスマルクからの第5斉射(一斉射撃)がフッドを捉えます。

ビスマルクの15インチ砲(直径38センチ)砲弾は、
フッドの薄い装甲板をぶち抜いて火薬庫に飛び込んだのです。
たった一発の砲弾は、信じられない結果をフッドに与えました。



フッドは一瞬、煙に包まれて姿を隠してしまいました。
その煙が徐々に薄れていくにつれてフッドの姿が現れてきました。
その光景を見た、ドイツ艦2隻、イギリス艦1隻の乗組員たち(5000人)は、
その信じられない光景に唖然となり、
しばし戦闘を忘れてその光景に見入ってしまいました。

フッドの姿は何処にもなく、艦首と艦尾が別々になって空を向いていたのです。
つまりフッドの262メートルの長大な船体は真っ二つに叩き折られてしまったのです。
しかし、次の瞬間、5000人の海軍兵たちは信じられないシーンを見るのです。
フッドの後部主砲が最期の力を振り絞って発砲をしたのです。

海戦が始まってフッドが轟沈するまで6分間だったと言われます。
フッドの乗組員1400人中で生き残ったのは、たった3人でした。
轟沈という言葉の意味は「瞬時に沈没すること」ですが、
第二次世界大戦中でも、轟沈した軍艦は本当に数少なく、
フッド轟沈は、まさにその典型でした。

巡洋戦艦の時代は、完全に過去のものとなっていったのです。

フッド轟沈については、ケネス・モア主演、
1960年のアメリカ映画「ビスマルク号を撃沈せよ」が、
その史実を忠実に描いています。



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恐ろしかった、あの漁師

2016-09-27 14:01:10 | 船舶
それは私が40代の頃だったと思います。

中高生の時、私は神奈川県、藤沢市の鵠沼(くげぬま)という、
いわゆる湘南に住んでいました。
そんな事もあって湘南海岸は、地元意識みたいな感を持っていました。
その時も、昔歩いた海岸を懐かしく歩いていたのです。

そこで、私はトンデモナイ顔に出会ったのです。
それは片瀬を地元とする漁師でした。
その顔に再び出会うのは、およそ30数年ぶりだったと思います。

その漁師と初めて会ったのは、
私がまだ小学生、10歳くらいの時だったと思います。
その出会いは、実に衝撃的だったのです。
それは忘れようにも忘れられない出会いでした。

私は母の勤務先の製薬会社の人達との社員旅行に一緒に行ったのです。
私も姉も一緒に行ったのです。
そして、片瀬海岸で、手漕ぎのボートに男性社員らと乗って、
海で遊んでいました。

そこに現れた一艘の漁船。
それは地元、片瀬を漁場とする櫂で漕ぐ漁船でした。
長さは6~7メートルくらいはあるんでしょうか?



その漁師はガタイのいい、赤銅色に日焼けした、逞しい男でした。
彼は、舟の上から、私達に怒りの声を上げ、
私達の乗る手漕ぎの小さなボートに漁船を体当たりさせて来たのです。

漁船と言っても、私達の乗る手漕ぎの観光ボートから見れば、
まさに見上げる様な巨大な舟です。
それを、怖い顔をした逞しい漁師が怒りの声を発しながら体当たりするんですから、
その怖さったらありません。
私は子供心に「殺される~」と思ったくらいです。



その漁師が何故そんなに怒るのかといえば、
それは当時はまだ片瀬海岸では地引網をしていたのです。
私達のボートはそれと知らずに、その網の上に乗ってしまい、
多分、その網の囲いの中に知らずに入ってしまったのでしょう。

ちっぽけなボートから上を見上げると、
デッカイ舟と、空恐ろしい漁師と・・・
それがゴツン・ゴツンと体当たりして来るんですから、
その恐怖は、気も狂わんばかりの怖さでした。


さて、それから30数年。
そんなにも長い年月が経っていたというのに、
私は彼の、あの赤銅色に焼けた逞しい身体と、そのいかつい顔と、
それは、昨日の事の様にはっきりと覚えていて、
彼のその顔は忘れようにも忘れる事はなかったんですね~。
そこまでハッキリ覚えていようとは、それには私もビックリしました。

よっぽど恐かったんでしょうね。
30年以上経ってもその漁師は相変わらず逞しく、
恐い顔をしていました。

彼はそんな事はとっくに忘れているでしょうが、
私は今でも、彼に会ったらすぐに思い出せるのです。

あれほど怖かった事って、人生でもそう有る事じゃなかったな~。
その漁師はもう生きてはいないと思うけど、
そういう意味では、懐かしい顔なのかも知れませんね。



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