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日本じゃ売れないヒュンダイ

2018-04-21 06:20:31 | 自動車
以前は、多少ではあったが日本でも見かけた韓国ヒュンダイの自動車。
それが、今やまるで見なくなってしまった。

カナダでトップだったか?かなり凄い売り上げを見せた事もあり、
それから日本にも入ってくる様になった。
その頃、私もマイカーとして走っているのを見かけた事もありました。
しかし、それ以後はまるで売り上げは伸びず、
日本に居残っているのは、個人タクシーの車だけ。

個人タクシーは安価で、チョッと高級車的な香りのする、
という事でヒュンダイを購入したのかもしれない。
しかし、それは営業用だからであって、一般ユーザーにはうけなかった。

今、日本でヒュンダイの車を見たという人は居ないんじゃないのかな~?



既にディーラーなど見た事もない。
ディーラーが無いんじゃ、車など買える筈もない。

そもそも韓国製には、日本のパクリが多い。
これがイメージを悪くしている。



これは日本のホンダのマーク。



そして、ヒュンダイがこれ。
これじゃ真似、盗作と言われるよ。



これはヒュンダイの最高級車なのかな?
まるでベンツのパクリ。





こういった時代の最先端を行くみたいな、
カッコいいスポーツカーも造っている。
でも「これもどこかのパクリか?」と疑心暗鬼になってしまう。

日本人のベンツ好きは知られた事ですが、
それは一流品に対する憧れ。
というか、(舶来高級品・外車)に対するコンプレックスの表われ。
この思考にヒュンダイはまるで入らない。
ヒュンダイの真似っこ、パクリなどは、むしろ汚らわしく思えるのです。

日本人は車には優越感を感じたりしたいのですね。
そんな日本的心情に、ヒュンダイは失格なんです。
いわゆる発展途上国というか実際の心情として、
(後進国)の車などに優越感などある筈もないのですね。

そして、もっと視野を現実に戻すと、
衝突衝撃実験では、韓国車は不合格。
日本のスバルなどと比べると、死に直結する様な車なんです。
こんな車は、いくら安価で買えようが、とても買えた代物ではありません。
命あっての物種です。
もし韓国製のタクシーが来たら、私は乗りたくありません。
安全性などまるで無視の、カッコだけの高級車だったりなんですから。



始めて台湾に行った時、乗った車がヒュンダイでした。
夜の桃園空港に降り立ち、ゲートを出ると、
顔馴染の台湾女性が仲間達と出迎えに来ていました。
キャーという黄色い声に出迎えられ、私はチョッとしたスターみたいでした。

彼等4人と一緒に台中まで乗った車がヒュンダイだったのです。
それが何の車か夜だったし分からなかったのですが、
私はベンツの小型車だと思っていました。
夜が明けてホテル前の車を見て、初めてヒュンダイだと気づきました。

それが、この写真の車だったかは分かりませんが、
ちょっと見、コンパクトベンツだった、そんな形でした。

これからヒュンダイは日本に再上陸するのでしょうか?
今の時点では、私はとても困難な道だと思います。

ブランドが何だ?安全性が何だ?
車なんか安けりゃいいやという若者達でも増えてくれば、
まだ見通しは明かるいんですが、
昔のままの価値観で車を見ている世代には、
いくら頑張っても韓国製の自動車は日本では売れないでしょうね。

日本では、いわゆる外車(舶来高級品)がいいんであって、
後進国の車では、ステータスシンボルにはなり様がないんですね。

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315万円のトライアンフ

2017-09-30 21:01:12 | 自動車
【クリッパーズ】 トライアンフ ボンネビル(69年式)マフラー音 純正


この動画は、以前のブログでも登場したのですが、
トライアンフ・ボンネヴィル特有の、
排気音の素晴らしさがよく出ています。

イギリス車のトライアンフは現在も製造され続けていますが、
1958年から1962年くらいだったかの、
この時代のトライアンフくらい美しく魅力的ではなくなりました。

その、トライアンフ・ボンネヴィル(650CC)が、
315万円で売られています。

「欲しい~ッ!」

心から欲しい。
喉から手が出るほど欲しい。
でも、いくらなんでも、それを操縦できる技量はもう無い。
バイクというのは、
一度「怖い」と思ったら、もう乗れないのです。
少なくとも私はそう思っています。

40歳くらいまでは、血が疼きました。
しかし、50歳にもなると、
もう乗れなくなっている、弱い自分に気づいていました。
そうなると金輪際、乗るべきではないと思っています。

ですから、315万円でこいつを買ったとしても、
飾っておくだけ。
それではあまりにも勿体ないし、
それだけの為の315万円などは、勿論無理。

だから(夢)なんです。
でも、こいつを買う幸せな奴がいると思うと嫉妬します。









世の中に、こんな美しいバイクなど何処にも無い。

世界最高のバイク・トライアンフ・ボンネヴィル。
ちなみに世界一美しい軍艦は、ドイツの戦艦・シャルンホルスト。

いいよね~。
こういった最高の美しさを眺めるというのは・・

セルモーターなどというのは無い。
エンジンをかける時は、右足でキックペダルを踏み下ろします。
バリバリっと小気味いい、それでいてリズミカルな、
トライアンフ、サウンドが始まります。

胸はこれから始まる桃源郷を想い、ワクワクします。
エンジンからは微かにガソリンとオイルの混じった匂い。
これが一層、胸をときめかすのです。
そして左手でクラッチレバーを握り、
右足でギヤペダルを踏み(日本車の左足とは反対)
おもむろにローギヤを入れます。

そして左手のクラッチレバーを徐々に緩めると、
トライアンフは、あの特有の排気音を轟かせて発車します。
その瞬間はバイク乗りには、たまらない瞬間です。

ハーレーなど眼中にありません。
トライアンフこそ、バイクの中のバイク。
トライアンフを知ったら他のバイクなどに興味は無くなります。

いいんだよな~。
で、315万円ね、チョッと言葉を失います。
こいつを買う奴は本当に幸せ者です。






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アメ車・黄金期

2017-08-30 03:06:07 | 自動車

アメ車。

いわゆるアメリカの車を指して「アメ車」と言います。
他の国の車は、こういった呼び方は存在しません。
他の国の車に無い呼び方が、何故アメリカ製の車だけにあるのでしょうか?



それは、アメリカの車だけの特徴があったからです。
つまり、そのデカさ。派手さ。



それは1960年代に最も顕著でした。
1950年代は、大きかった事は大きかったのですが、
まだその姿は丸っこく、ド派手な姿はしていませんでした。
それが1960年代くらいになると、
アメリカ車は、自らの姿を著しく変化させていったのです。



車体後部のテールフィンにそれが最も現れています。
無駄に跳ね上がったテールフィンこそは、
まさに「アメ車」の最たる物でした。

日本の普通車の基準が、全長4,7メートル。幅1,7メートル。
という法的制限の中でほぼ成り立っているのに反し、
全長は6メートル、幅は2メートルという、
日本感覚からすれば、途方もない大きさでした。

日本の普通車のエンジンが2000ccまでなのに対し、
アメ車は7000ccにも達するというエンジンを積んでいたのです。



日本の車、またアメリカ以外の車は、
馬力を大きくする為に色々な工夫をしたのに対し、
アメリカ車は(馬力が欲しければエンジンを大きくすればいい)
そういった単純極まりない方法論で車を造っていたのです。

それは当然ながら、ガソリンを大量に喰います。
しかし、アメリカはそんな事などまるで眼中にありません。
アメリカでは、ガソリンなど(水)みたいな物だったのですから。



その頃のアメ車は「10円玉がジャラジャラと落ちる音がする」とまで言われました。
つまり、アメ車が走るとガソリンを大量に消費し、
まるで10円玉をばら撒きながら走っているのと同じ様なものだったからです。

一昨年旅行で行った沖縄・宮古島では、
日産・キューブという車をレンタカーで借りましたが、
何と1リッターあたり30キロを走り、私をビックリさせましたが、
1960年代のアメ車の燃費は、1リッターあたり2キロ程度という、
ガス喰い虫、今の日本では考えられない車だったのです。

しかし、世の中は変わり、
今ではそういったガソリンを大量に消費するという事は、
排気ガス、ひいては大気汚染をまき散らす事と同義語ですから、
さすがのアメリカも世界に喧嘩を売る様な車を造る事はできなくなりました。

1970年、1980年と、アメ車は小型化されていきました。
アメリカ国内だけの正義で車が売れた時代は過ぎ去り、
そこに日本車の様な低価格、低燃費、故障知らずの車が輸入されてくると、
アメリカ人はこぞって日本車を買う様になり、
俺は(アメ車だ)などと呑気な事を言ってる訳にはいかなくなってしまいました。

現在のアメ車は、その頃に比べると(つまらない)スタイルになり、
もう(アメ車)なる言葉は死語になったと言っても過言ではないでしょう。


しかし、あのバカでかい、ド派手の極致だった頃のアメ車。
それに私は乗ってみたかった。
小型で、効率が良くて、壊れない、今の車に比べ、
まるで(無駄の極致)だった頃の、あの(アメ車)は、
何と魅力的に見える事か。

「俺は君達みたいに、燃費がどうのと四の五を言わず、
大きければ何でもいい、ド派手であれば何でもいい」
そんな時代遅れの車に、世間を睥睨しながら乗ってみたかったよ。










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世界一美しいオートバイ

2017-07-07 03:14:57 | 自動車
1963 Triumph Bonneville T120)


イギリス製・トライアンフ・ボンネヴィル・650CC
私が世界で一番美しいと思うオートバイです。
特に燃料タンクが白いタイプは本当に惚れ惚れします。

私が若い頃に乗っていたのは、
1958年型だったと思いますが、
それから1963年型あたりまでが、最もトライアンフらしいですね。
それ以降のトライアンフは、あまり良くない。
現在のタイプに私は乗りたいとは、もう思いません。

1962 Triumph Bonneville


【クリッパーズ】 トライアンフ ボンネビル(69年式)
[parts:eNozsjJkhAOz1FQjkyTTFC9vjzy3yoBiY69yJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAPOwkJ



これは、その頃あったオートバイ。
やはりイギリス製の、ノートン・ドミネーターです。
ですが、これを目にする事は殆どありませんでした。





これは、トライアンフのライバルであった、BSAですが、
スタイルはトライアンフとよく似ていたのですが、
何故かトライアンフに負けてしまった印象があります。



やっぱりこのスタイルは世界で一番美しい。



バーチカルツイン(垂直2気筒)エンジン。
これぞトライアンフ。
そして、燃料タンクのエンブレムが凄くカッコ良かった。



これは、アリエル4気筒1000CC。
見た事は一度もありませんが、
「モーターサイクル誌」で、ツーリング記を見た事があり、印象に残っています。



やっぱり、これですね。
このタイプが今でも一番美しいオートバイだったと思います。

1963 Triumph Bonneville


高速道路のサービスエリアなどに行くと、
ハーレーばかりが目に付きますが、
あのファッションは好きになれない。
如何にも、イージーライダー風のにぎにぎしいやつ。

Triumph Bonneville 1961 T120 with Rodark panniers


それに比べて、イギリスのオートバイは、謙虚でカッコいい。
オートバイの神髄は、トライアンフにありと、私は頑固一徹に思っているのです。

The Great Escape (La gran evasión) - Hilts escapes in motorcycle


映画「大脱走」で、スティーヴ・マックィーンがドイツ兵から奪って、
走り回ったオートバイが、トライアンフでしたね。







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背水の陣・・悪路からの脱出

2017-07-06 18:18:52 | 自動車
私は大の車好きですが、
いわゆる飛ばし屋ではありません。

車が好きと一概に言っても、その楽しみ方は千差万別なのです。
エンジンの音を聞くのが好きなんて人もいるのです。
また、走るのではなく改造する事が好きなんて人もいます。
車好きというと、世間では飛ばし屋をイメージする人が多いのですが、
それは全然違うのです。

私は、独りで走るのが好きです。
高速道路は好きではありません。
そういった道路になると、途端に目の色変えてぶっ飛ばす輩が居て、
そんな連中に巻き込まれるのが好きではありません。

私は道なき道を行くのが好きでした。
スタック(動けなくなったらオジャン)という緊迫感漂う道を行くのが好きでした。



トヨタ・コロナ1700SL。
この車が最もそんな道を走った車でした。
4気筒、1700CCですが、軽快で出来のいい車でした。
色は写真と同じで赤と白のツートンカラー。



思い出すのは、雪の信州峠。
今でこそ完全舗装のいい道になってますが、
私が行った時は、ガタガタの細い道でした。



季節は冬の完全なる雪道。
峠は誰一人来る車など無く、まるで人跡未踏状態。
崖崩れで道が埋まっていて、残された道幅は半分になっていて、
私はタイヤを崖の外ギリギリに出っ張らせて突撃して行ったのです。
胸がドキドキしました。

私の車のタイヤはノーマルタイヤ。
おまけにチェーンなど持ってないのです。
峠を攻めまくっていると、とうとうノーマルタイヤでの限界が来ました。
その上を目指すのは、もう何としても無理でした。

引き返すしかありません。
しかし、Uターンするには道幅が狭すぎる。
でも、そこでやらなければ何処にもそんな場所は無いのです。
雪道でのターン。
私は車の前か後か、どっちを道路の端に寄せるか悩みました。
答は後でした。
コロナは後輪駆動車。
過重を後輪にかける方を選択したのです。

結果は正解でした。
何度も何度も、チョッとずつハンドルを切り返し、
脱出する事が出来た時は、心底ホッとしました。
だって、もしハマったら来年の春まで車はそこに置いておくしかないのですから。
そして、10キロ以上を私は雪の中を歩いて戻るしかないのですから。



箱根・足柄峠の旧道を行った時。
そこも人跡未踏状態の荒れ果てた道でした。
カーブを曲がった瞬間、私は急ブレーキを踏みました。
道路が寸断されていたからです。
でも、間に合いませんでした。

前輪が寸断された段差にガクッと落っこちてしまったのです。
車の中にはジャッキが2台積んでありました。
それで車を持ち上げ、車体を前後に揺さぶって段差の上に落そうと頑張ったのですが、
何度やってもダメでした。

しばし途方に暮れて、新道まで数キロを歩いて行き、通りかかる車に助けを呼びに行ったのですが、
何時間待っても一台の車も通りません。
どうしたらいいのか・・・仕方なく車まで戻り、
どうすればいいのかと思いあぐんでいた時、
そばの林からガサガサと音が聞こえ、林業関係みたいな人が2人、
姿を現わせたのです。
これにはビックリしました。

地獄に仏とはこの事です。
私は彼等に事情を話し、3人で車を揺さぶり、ようやっと脱出できたのでした。
今、思い出しても不思議としか言えない彼等の出現でした。

あれは、群馬県の何処かでした。
ぬかるんだ緩い上り坂を登り始めた時、
「あ、これはヤバい」と感じました。
タイヤがぬかるんだ坂にはまり始めていたからです。
そのまま登れば完全にはまってしまいます。

私は車を降り、その坂をどうやって登ればいいかを考えました。
そのやり方。
タイヤがはまり始めたら、車を停め、一旦バックし、
今度ははまり始めた箇所から数十センチ進んでは停め、
再びチャレンジするという事を何十回も繰り返したのです。
つまり、足場を踏み固めては、少しずつ登っていったのです。
これで私はその坂を登り切ったのでした。
登り切った時は「ヤッターッ」っと叫びたい気持ちでした。



コロナの後継車は、スカイラインでしたが、
この車は車重が重くて、アルペンドライブには適しませんでした。

でも、丹沢の河原で、もうジープしか行かない様な状況を、
私はこのスカイラインで行ったのです。
それもマニュアル車ではなく、オートマチック車で。
誰もが、あいつは完全にオシャカだと思ったと思います。
でも俺はそうはいかないよ。

彼等ギャラリーの思惑は完全に外れでした。
俺を誰だと思ってやがんだッ!
俺のテクニックを見ろってんだ。ヤイ。

カーブを曲がった途端に、真正面に大型トラックに進路を完全にふさがれ、
「もう死ぬ、終わりだ」と思った事もありました。
車は横の人家の庭に突っ込んでオシャカになりましたが。
その時、私の脳裏には血まみれで病院に担ぎ込まれる自分の姿が、
パーッとよぎったのを鮮明に覚えています。
でも、まだ俺は生きてる。

イヤーッ、車って本当にいいんですね。




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