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箱根駅伝で思う事

2018-01-10 08:35:51 | スポーツ


一週間前に、一年に一度の楽しみである箱根駅伝が終わりました。
往路は東洋大学の完全優勝。
復路は青山学院の、これも完全優勝という珍しいパターンでした。

私が最も箱根駅伝に夢中になっていたのは、2000年前後で、
その頃は駒澤大学と順天堂大学とが競り合っていた頃でした。
その頃には青山学院などというのは出場すらままならずの時代で、
青山学院の存在など全く考えもしませんでした。

大学でも、高校でもそうですが、
学校のスポーツというのは時代と共に変化し、
学校側がそれに力を入れるか否か、いい生徒が集まるか否かで、
決定的に変わってしまうんですね。

最近の箱根駅伝では、
5区の、いわゆる山登りに注目が集まります。
それは2004年から2007年の山の神・今井正人。
2008年から2011年の、新山の神・柏原竜二の大活躍で、
5区だけで一気に形勢が逆転してしまうというドラマが、
あまりにも衝撃的だったからです。



1区から4区までの積み重ねが、全く無意味になってしまうというと言い過ぎですが、
結果的にそうなってしまい、5区を見直そう的な発言も散見されました。

さて、それほど大活躍をして社会人になった柏原竜二は、どうなったのでしょう?
彼はたった27歳で陸上を引退してしまったのです。
では今井正人は・・
2014年の別府大分毎日マラソンでの2位が最高成績とふるいません。

そもそも箱根駅伝は、
金栗四三が「世界に通用するマラソンランナーを作ること」を目標にして、
1920年に始めた競技でした。

その中から最も成功したのは瀬古利彦ではないかと思います。
全マラソン参加15回中、10回の優勝。
最高タイムは2時間8分27秒。
これは当時の記録として、悪い方ではありませんでした。

では今井正人は・・・2時間7分39秒。
柏原竜二は・・・・・2時間20分45秒。
彼等の後に続いた山の神・・神野大地は・・2時間12分50秒。
こんなタイムでは現在の世界的レベルから言えば通用しないのです。
つまり金栗四三の提唱した世界的ランナーは育ってはいないのです。



1993年から1996年にかけて、
早稲田には渡辺康幸という1年生から4年生まで、
ずっとスターであり続けた選手が居ました。
彼ほどマラソン界の期待を一身に受けた選手も居なかったでしょう。
しかし、彼は大成せずに鳴かず飛ばずで選手生命を終えてしまいました。

どうして箱根駅伝の選手から世界的ランナーが出ないのでしょう?
箱根は20キロで燃え尽きてしまってもいいのです。
これでは42キロには対応は出来ません。
マラソン対応の出来る体を作る為に、
箱根駅伝に42キロの区間を設けるべきだといった意見もあります。

専門的な事は私には分かりませんが、
専門家の方々から叱られるのを承知で私見を言いますと、
私は「箱根の選手は箱根で終わっていい」と思っています。

極論ではありますが、本当にそう思っているのです。
私が夢中になって見ているのは「箱根駅伝」であって、
マラソンなどは、それほど夢中になってまでは見ていないのです。
見てもアフリカ勢に押されっぱなしの2時間など、
見ていてもあまり面白くはありません。

それよりも、20キロという距離で完全燃焼し切ってしまう箱根を見ている方が、
よっぽど面白く、胸を打たれるのです。
本当にマラソンの専門家の方々には申し訳ないのですが、そうなんです。

今や正月の一大イベント。
日本中がというと大袈裟ですが、NHKの紅白に匹敵する、
あるいはそれ以上に日本中が熱狂する大ドラマとなっています。
私は、それでいいと思っています。
彼等の中から世界的マラソンランナーが出て欲しいなどとは思っていないのです。
箱根は箱根のままでいい、大学生のままで燃え尽きてしまっていいと思っているのです。

大学を卒業と共に選手生命も終わりで、一般の社会人になればいいと思っています。
ではマラソンランナーは、どうやって育てるのか?
それは知りません。
無責任極まりないのですが、それは専門家の方々でやって下さい。
でも、現在の箱根からは育っていかないのではないでしょうか。
マラソン界の危機です、それはいつも感じています。

結論ですが、箱根は箱根だけでいい。
そう思っているのです。







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箱根駅伝、最高の名場面

2016-10-16 04:38:12 | スポーツ
箱根駅伝 2001年 第77回 5区


箱根駅伝、最高の名場面は、
私には、この2001年の5区でのデッドヒートです。

中央大学の藤原正和。順天堂の奥田真一郎。そして法政の大村一。
藤原と奥田は、自己記録も良く、ある意味スター選手です。
しかし、法政の大村は持ちタイムも平凡な無名の選手でした。

その日の箱根は強風吹き荒れる激しい天候でした。
一位で襷を受けたのは法政の大村。
二位が順天堂、三位が中央でした。
平凡なタイムの大村は、彼等スター選手に必ず抜かれる、
誰もがそう思っていました。

そしてその通りに大村は追いつかれます。
しかし、そこから大村の死力を尽くした頑張りに、
テレビを観ていた人達は信じられない思いを感じたと思います。

私もそうでした。
無名選手である大村ごときが、彼等スター選手を相手に、
信じられない根性で粘りに粘る必死の姿には胸を打たれました。

奥田真一郎に抜かれた時は「これで彼もおしまい」と思いました。
しかし、大村はスター選手に堂々の戦いを挑み、
抜き返すという離れ業を演じるのです。

それからの戦いは動画で観る通りですが、
結局は、やはり平凡な大村は彼等の後塵を喫して三位でゴールします。
大村がどうあがいても彼等に勝てる筈は無かったのです。
ですが、こう言っては大村選手には失礼なんですが、
身長も低い、あまり見栄えもしない彼が、
その瞬間のテレビを観ていた日本人に、
どれだけ勇気と感動を与えたでしょうか・・・

ゴールでは、まるで短距離選手の様に、
胸を突き出してのゴール。
そこまで彼は、その戦いに死力を尽くし切ったのでした。
精も根も使い果たした大村は、僚友に抱えられてもう動けませんでした。
そのシーンを観る私は、もう涙・涙でした。
全ての持てる力を出し切り倒れ込んだ大村選手の姿には、
心からの拍手と感動で胸がいっぱいになりました。
それが、私の箱根駅伝での最高の名場面です。







さて、それとは別に、
私が最も好きだった選手は、駒澤大学の神屋伸行選手でした。
彼が一年生の時の「長髪をなびかせながら」の姿は本当にカッコ良かった。
学年があがるにつれて、彼は長髪を切ってしまいましたが、
あの時の長髪なびかせる彼はサイコーでしたね。
今は、東京経済大学の監督をしてるとか・・・

そして、大村とデッドヒートを演じた中央大学の藤原選手は、
今年からだったか、母校・中央大学の監督となったとか・・
昨日の立川での「箱根駅伝予選会」では、
中央大学は80何年ぶりかで、箱根出場が途切れてしまうという、
屈辱的な敗北を喫しました。

藤原には、そんな母校を立て直すという重要な使命が与えられました。
あの名シーンを思い出して、頑張って欲しいですね。


(追伸)
大村一は、現在、塩尻市役所の職員として働いている様です。
機会があったら、彼に会って「あの時の感動は忘れないよ」と言って、
握手したい気持ちです。
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