15.8.08.青い空よ、白い雲よ
もう何年もお会いしていない、池田あきよしさん。
「青い空よ、白い雲よ」「風よあなたは」「尾瀬ヶ原」
尾瀬を主題にした歌を、何曲も作り、歌声喫茶で唄われていましたね。
初めて池田さんにお会いしたのは、15年くらい前だったか。
その時に、既に60回も尾瀬には通ったと話していましたので、
現在は100回くらいは尾瀬参りをしているのかな?
2008年の7月に、歌声仲間たちが尾瀬に行く事になったのですが、
私は当日は行かれずに、一日遅れで一人で尾瀬に行き、彼らと途中で出会いました。
しかし・・・
「さわやか信州号」夜行バスで横浜を発ち、
早朝、尾瀬に着いた私はとんでもない忘れ物に気づきました。
生まれて初めて買ったデジタルカメラにメモリーカードを入れるのを忘れて来たのです。
それはフィルムの無いカメラを持っているのと同じで、何の意味もないのです。
バス停前の売店に行ったのですが、フィルムは売っているのですが、
メモリーカードはまるで売ってなかったのです。
(現在だったら、メモリーカードは売ってるけど、フィルムは無い)なんでしょうね。
そうなるとカメラの重さが恨めしく、
初めて見る尾瀬の素晴らしい風景が、素晴らしければ素晴らしいほど腹が立ってくるのです。
それを記録するのは、自分のまなこ(眼)しかないのですから。
なので、歌声仲間達の写真は、どなたかの記念写真から拝借したものです。
後列、一番高い場所に、池田あきよしさんも写っていますね。
その後に、歌声仲間でもあった山岳写真家の、高橋良行さんの写真集も買いました。
高橋さんは、尾瀬をよく撮っていた人だったのですね。
しかし、私は尾瀬にはそれっきり一度も行っていません。
「尾瀬、あれは山じゃないな」という印象が強かったからです。
私は尾瀬の美しさはよく解りますが、いわゆる山岳とは違うと感じたのです。
私は結局、アルプス一万尺(3000メートル)の世界が好きだったのです。
アドレナリンが出まくる危険な岩稜歩きに比べ、
尾瀬のあの平穏な世界は、合わなかったみたいなんです。
もう、私から山の世界は無くなってしまいました。
尾瀬は山じゃないとは言っても、情熱が湧かなくなってしまったのです。
3000メートルではない低山、例えば頻繁に通った丹沢の山。
もう、そういった世界に情熱の塊の如く通った、あの瞬間(とき)
それは二度と無くなってしまったという老化現象なのです。
悲しいけれど、それが現実。
池田さんみたいに、60回も尾瀬に通う情熱。
槍穂高に傾けた私の情熱。
何か果てしなく遠~い世界になってしまった事が、
悲しくもあり、微笑ましくもあり、懐かしくもあり、呆然として過去に浸る私です。
もう何年もお会いしていない、池田あきよしさん。
「青い空よ、白い雲よ」「風よあなたは」「尾瀬ヶ原」
尾瀬を主題にした歌を、何曲も作り、歌声喫茶で唄われていましたね。
初めて池田さんにお会いしたのは、15年くらい前だったか。
その時に、既に60回も尾瀬には通ったと話していましたので、
現在は100回くらいは尾瀬参りをしているのかな?
2008年の7月に、歌声仲間たちが尾瀬に行く事になったのですが、
私は当日は行かれずに、一日遅れで一人で尾瀬に行き、彼らと途中で出会いました。
しかし・・・
「さわやか信州号」夜行バスで横浜を発ち、
早朝、尾瀬に着いた私はとんでもない忘れ物に気づきました。
生まれて初めて買ったデジタルカメラにメモリーカードを入れるのを忘れて来たのです。
それはフィルムの無いカメラを持っているのと同じで、何の意味もないのです。
バス停前の売店に行ったのですが、フィルムは売っているのですが、
メモリーカードはまるで売ってなかったのです。
(現在だったら、メモリーカードは売ってるけど、フィルムは無い)なんでしょうね。
そうなるとカメラの重さが恨めしく、
初めて見る尾瀬の素晴らしい風景が、素晴らしければ素晴らしいほど腹が立ってくるのです。
それを記録するのは、自分のまなこ(眼)しかないのですから。
なので、歌声仲間達の写真は、どなたかの記念写真から拝借したものです。
後列、一番高い場所に、池田あきよしさんも写っていますね。
その後に、歌声仲間でもあった山岳写真家の、高橋良行さんの写真集も買いました。
高橋さんは、尾瀬をよく撮っていた人だったのですね。
しかし、私は尾瀬にはそれっきり一度も行っていません。
「尾瀬、あれは山じゃないな」という印象が強かったからです。
私は尾瀬の美しさはよく解りますが、いわゆる山岳とは違うと感じたのです。
私は結局、アルプス一万尺(3000メートル)の世界が好きだったのです。
アドレナリンが出まくる危険な岩稜歩きに比べ、
尾瀬のあの平穏な世界は、合わなかったみたいなんです。
もう、私から山の世界は無くなってしまいました。
尾瀬は山じゃないとは言っても、情熱が湧かなくなってしまったのです。
3000メートルではない低山、例えば頻繁に通った丹沢の山。
もう、そういった世界に情熱の塊の如く通った、あの瞬間(とき)
それは二度と無くなってしまったという老化現象なのです。
悲しいけれど、それが現実。
池田さんみたいに、60回も尾瀬に通う情熱。
槍穂高に傾けた私の情熱。
何か果てしなく遠~い世界になってしまった事が、
悲しくもあり、微笑ましくもあり、懐かしくもあり、呆然として過去に浸る私です。