河童の歌声

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宝くじ様々

2017-03-31 08:18:11 | 日記
私が10万円の宝くじに当たったのは、もう10年くらい前です。
なんの宝くじだったかの記憶はありませんが、
組番号は無関係に、6個の数字がキレイに一致してるのを初めて見ました。
せめて100万円だったら良かったんですが、10万円。
10万円程度だと胸がピクリともしないんですね。
駅前の銀行に印鑑を持って受け取りに行ったのを覚えています。

その10万円は本箱を買って終わり。
本箱は8万円くらいの物でした。
でも、考えてみれば、そこに至るまで既に10万円以上の月謝は払っていると思われるので、
まだ元は取っていない勘定です。

同じ頃、宝くじ売り場ですぐに当落が判るスクラッジくじで、
1万円が当たりました。
新宿の売り場でしたが、私が「あッ当たった」と言ったら、
周囲に居た人がみな私を見たのを覚えています。

引っ越しの時になって、カーペットの下にしまっていた、
まるで忘れていた10万円が出てきたのも、
捨てる筈だったゴミの中から3万円が出てきたのも、
タンスの中のコートのポケットから1万円が出てきたのも、
黙っていたらそのまま戻ってこなかったマンションの敷金、
30万円を頑張って取り戻したのも、
まあ、言ってみれば宝くじに当たったみたいなもんかな・・・


昔、知人で1000万円を当てた人が居ました。
彼はその頃60歳くらいでしたが、
その内500万円を新婚だった息子さんにプレゼント。
残りの500万円をどうしたか?
答・・女遊び。

そりゃ棚から牡丹餅の500万円は使い出がありますよ。
私がマンションの敷金30万円を取り戻したと言いましたが、
元々は自分のお金なんですが、
本来だったら戻らない筈の、いわゆる棚から牡丹餅のお金って、
すごく使い出があるのです。
よく贈収賄事件がありますが、
贈られた側の人が、その無責任な金が如何に使い出があるか、私はよく判ります。

さて500万円。
それだけあれば、そりゃ女性にモテますよ。
それが60のジジイであろうが、気前よくお金を使ってくれりゃ、
女性たちはチヤホヤするに決まってるじゃないですか。
60歳になるまで若い女性にモテた事などなかった彼は、
(彼はどう見たって女性にモテるタイプじゃなかった)
人生で初めての経験に有頂天になってしまったのです。

それって分かるよな~、男だったら。
でも、そういった事って長続きは・・しない。(アハハ、する訳ね~だろバカ)
500万円が遂に底をつく日が来ました。その時の彼の心情・・・

もっとモテていたい、若い女性たちにチヤホヤされていたい。
彼がした事は(サラ金)
一年後・・彼はサラ金から借金返済に追っかけ回されていたのです。
その後、彼は何処へともなくトンズラしてました。
まるで、馬鹿の見本。


これはラジオで聞いた話。
ある日、ご近所同士の奥様が芝居見物に出かけ、
その帰りに宝くじを買ったのです。
売り場で、その人が「貴女がお先にどうぞ」と順番を譲りました。
順番を譲られ先に買ったご近所の奥様のくじが一等に当たりました。
・・・・・・
もう彼女達は永遠に絶対に絶交ですね。
数億円を半分こにしますか?
そんなの絶対にあり得ない。
仮に多少の親友であろうが、そんなもん切り捨てますね。
独り占めに決まっているんです。

また、ある男はやはり一等を当てました。
その金額は知りませんが、
彼はそれを元手に商売を初めたのですが、倒産。
元々あった家を売り払って何処かへ引っ越して行ったそうです。
これも馬鹿の見本。


以前、よく行っていた食堂のママさんから聞いた話。
そこによく来ていたサラリーマンの男性たち。
彼等3人がある日お金を出し合って宝くじを共同購入しました。
勿論、誰かがもし当たったら3等分にする約束です。

さて、それが100万円当たったのです。
一人33万円づつになる筈でしたね。
所が、その当たり券を持っている彼の奥さんが、
それを離さなかったのです。
「これは貴方のでしょう。何で他の人にあげるのよ。」
これには彼も途方に暮れました。
皆に説明のしようもありません。
どうしたか・・・?
彼は会社を辞めざるを得なくなってしまったのです。

33万円でチョッとした楽しい事をすれば良かったのに、
たかだか67万円の為にダンナは退職。
こういうのを、女の浅知恵と言います。
きっと離婚した・・と私は思いますね。


さてと結論。

宝くじに当たっても、今まで通りの生活をしているのが一番。
おかしな真似をしない事。

実はですね~、
私はここ最近ついてまして、
一等10億円を2回立て続けに当ててしまったんです。
でもね、今まで通りの生活をするってゆ~基本を頑なに守っているんです。
だからネ、分からないでしょ、私が20億円持ってるなんて・・・
言わないでね、誰にも言っちゃダメだからね。
約束だからね~。




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仙台バラライカのお花見

2017-03-29 20:23:28 | 歌声喫茶
12.4.22.ケサラ・仙台バラライカお花見


恒例の、歌声喫茶・仙台バラライカのお花見が行われます。

この動画は5年前(2012年)の映像ですが、
前回までは、この三神峯(みかみね)公園で行っていましたが、
今年は、バラライカの在る、仙石線・榴ヶ岡駅の、
桜の名所・榴ヶ岡(つつじがおか)公園で行われます。
榴ヶ岡駅は仙台からひとつ目の駅です。

開催日・・4月23日(日曜日)午前11時~

榴ヶ岡駅を出るとすぐに仙台サンプラザホテルが在り、
そこの6階で歌声喫茶バラライカは営業しています。
そのホテルから道路をへだてた向かい側に榴ヶ岡公園があります。

サンプラザホテル前に10時半集合。
会費は1500円です。
飲み物、つまみはご用意して下さるとの事。
雨天時の際は、バラライカで行います。

東京など遠方からの方は、
ホテルと新幹線がセットになったチケットを買い求めた方が、
確実にホテルが確保できますよ。
新幹線とホテルを別々に個人的に買うと、
なかなかホテルが取れなかったりします。

さあ~、本物の「ケサラ」を思う存分、桜の下で唄いましょう。



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史上最大の海戦

2017-03-29 09:43:28 | 軍艦
最近、私のブログは歌声関係ばかりで「面白くない」と思われていた方、
ハ~イ、お待ちどうさまでした~。
久々の軍艦ネタですよ~。
ハッキリ言います、私自身も軍艦ネタが書きたかったんだよ~ン。

さてと、今回の軍艦ネタはですね~、
史上最大の海戦。
お分かりでしょうが、ジュットランド海戦です。
あるいはユトランド海戦とも言います。
場所はデンマークのユトランド半島沖。



これは、まさに(空前絶後)と断言してもいいでしょう。
今後、海を舞台として国家を揺るがす海戦など起こり得ないと思われるからです。
心ウキウキ、胸がドキドキしますね~。
それはまさに海のロマンとでも言いましょうか・・・


さて、時は第一次世界大戦のさなか。
1916年3月31日。
もう101年の歳月が経っているんですね。

イギリス海軍の海上封鎖により、ドイツの戦略物資は枯渇していました。
ドイツ海軍は戦局を打破する為に、
水上艦艇を攻勢的に使用し、イギリス艦艇と決戦を交え、
ドイツ海湾封鎖を破り物資の輸入を企画します。

ドイツ海軍はイギリス海軍との艦隊同士の決戦は避け、
誘導分離した敵部隊を撃滅する方針でした。

通信信号でドイツ海軍の出撃を知ったイギリス海軍は、行動を開始。
ドイツ海軍を率いるのは、ラインハルト・シェアー中将。
イギリス海軍は、サー・ジョン・ジェリコ大将。
参加艦艇は、イギリスが151隻。ドイツが99隻。
双方合わせて250隻という途方もない数でした。

イギリスの戦艦は28隻。ドイツは16隻。
巡洋戦艦は、イギリス9隻、ドイツは5隻でした。

海戦が始まったのは、午後2時18分からでしたが、
本格的な主力艦同士の一騎打ちが始まったのは、
夜6時30分から8時30分までの2時間でした。
両軍は激しく砲火を交えます。

ドイツの軍艦はイギリスに比べ、射撃能力に優れ、命中率が高かった。
また、火薬庫などの防御など細かい注意を払い、防御力の強化を行っていました。

その結果、イギリスは3隻の巡洋戦艦が轟沈します。
(轟沈・・瞬時に沈没すること。)

インヴィンシブル・・クイーンメリー・・インディファティガブル。



巡洋戦艦・インヴィンシブル・・17500トン



巡洋戦艦・クインメリー・・26700トン



巡洋戦艦・インディファティガブル・・18500トン



これを見た、ビーティー中将は、
「私らの艦(ふね)は、どこかがおかしい」と息を飲みながら落胆します。
これは有名なセリフです。

(速力こそが最大の防御)だと造られた巡洋戦艦という艦種。
同じ大きさでも、戦艦は攻撃力、防御力が優れています。
しかし巡洋戦艦は戦艦に比べスピードが速く造られています。
それは大きなエンジンが搭載されているからです。
さて、その分、防御は脆弱になってしまいます。
その脆弱性が、彼女達の命とりとなってしまったのです。

インヴィンシブル・・・・・1032人中6人が生存。
クイーンメリー・・・・・・1275人中9人 〃
インディファティガブル・・1019人中2人 〃
つまり3326人中、生存者は、たった17人。殆ど200人に一人。

海戦の戦死者は、イギリス6094人。
ドイツは2551人。
主力艦の損失はイギリスが巡洋戦艦3隻。ドイツは戦艦1隻。
トン数では、イギリス11万3000トン。ドイツ6万2000トンでした。

海戦終了後は双方とも、自国の勝利を主張します。
しかし、イギリはドイツより多くの乗組員を失い、
またドイツの作戦も失敗に終わりました。

戦術的にはドイツの勝利、
戦略的にはイギリスの勝利だったのでしょうか・・?

しかし、イギリ海軍は、
自国の誇る巡洋戦艦3隻がなすすべなく轟沈させられた事実の反省が足りず、
その25年後の1941年に、
再びドイツ戦艦(ビスマルク)との砲戦で、
世界最大を誇った巡洋戦艦フッドを轟沈させられてしまうという大失態を演じてしまいます。

史上最大の海戦・ジュットランド海戦は、
翌4月1日に、竜頭蛇尾の内に終了したのです。

第二次世界大戦となると、
もう軍艦・・特に戦艦の時代は終わりとなってしまっていて、
本格的な壮大な海戦はあまり起こらなかったのです。
フィリピンを主戦場にした、レイテ沖海戦あたりが、
海戦としての最終章だったのかも知れません。

海戦というのは、多くの死者が出る悲惨な戦争ではありますが、
また、ある種ロマン漂う昔話とも言えるのですね。




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吉祥寺・ベルエポック

2017-03-25 05:01:38 | 音楽
その昔、
中央線・吉祥寺駅に、ラ・ベル・エポックという店がありました。
ベルエポック・・美しい時代



東の「銀巴里」西の「ベルエポック」と謳われる有名な店でした。

シャンソニエ・・・
いわゆるシャンソンを聴きながら飲む店。

私がこの店に通ったのは(と言っても精々10回)、
いつ頃だったのか? はっきりとした記憶は無いのです。
横浜からいつも車で行った事は間違いありません。
天地神明にかけて宣誓いたしますです。ハイ!

私は飲むと、電車で帰るという事が全く出来なくなってしまう男だったので・・
だってね~アナタ、
車がそこにあれば、そこがベッドになってしまうってゆ~便利さ。

だから、その当時、私は酒を飲む時は全部が車で行ったのです。
寝過ごし、乗り過ごし・・そんな心配はまるでありません。
とも角、車(ロールスロイス)なんですけどね(嘘)に、
辿り着きさえすれば、それで完璧に完成するんですから。
その頃は、路上駐車なんて事が全く心配なく可能だったんですね。

私は、酒と言っても多分ワインを飲んだんだと思います。
だってねアナタ。
シャンソニエですよ、シャンソニエ。
まさか、どぶろくって訳にもいかんでしょ。
だからネ、ワイン。

そいつを飲んでは、質のいいシャンソンに酔いしれていたんです。
本当にウットリする様な心地よい歌の響きでした。
私は20代には、酒を全くと言っていいほど飲みませんでしたから、
30代になってからの事だったのかも知れません。
記憶がね、定かではないんですね、いつもの事ですけど。

ワインを飲んではシャンソンに酔いしれ、
シャンソンに酔いしれては、うっとりと桃源郷を彷徨っていたのです。

私は生来が(カッコイイ)男だったので、(うるさい黙っとれッ!)
店の壁に寄りかかる様に、孤独で寡黙な男を演じてたのですが、
そういった孤高のカッコイイ男って、
女性から見ると、きっと近寄りがたいムードを漂わせていたんだと思います。
そんな訳で・・淡い恋を実は期待してた私の下に言い寄る女性は皆無だったのです。

「失敗したな~。もっと現実的な男を演じた方が良かったかな~」
こ~ゆ~のを、後の祭りと言います。



店には専属歌手が何人も居て、
(しますえよしお)だったかな~、そんな名前を憶えています。
女性には(山岸・・)だったかな~、若い細身の歌手が可愛くて、
彼女を押し倒して、何が何して何とやらとか思ったり・・・
あ、悪い悪い、つい本音が出ちゃって・・気のせいだからね~。

ベルエポックは37年間の営業の末、
2009年10月に閉店したとの事です。
こういった質のいい店が無くなっていくのって淋しいですね。

でも、今でも東京のあちこちにシャンソニエはある様なので、
そんな店にもう一度行ってみようかな?
銀座の(音楽ビヤプラザ・ライオン)とか、
それはシャンソニエではないけど、いい店って結構あるんですよね。

恋い焦がれた彼女と行ったライオンは、忘れない。
彼女の誕生日だったけど、その彼女は・・ああ、心残りだ。
それを話すとエリカさんは落ち込むので・・でももう時効だよな。

しかし、私の記憶くらいいい加減なものはない。
それが本当にあった事なのか、はたまた夢だったのか・・・
何だかあった様な、そんな気がするんですけど、

そ~だな、きっとあったと思います・・あった筈です。





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しいのみ学園

2017-03-22 20:42:43 | 映画
しいの実の歌 伴 久美子N26cv1


パソコンを知り、それからかなり経ってユーチューブを知り、
それからずっと後になって、この「しいのみ学園」を観た時くらい、
衝撃を感じた事はありませんでした。
「エッ!こんなものが再び観れるなんて・・」
「こんな思いもしなかった歌に巡り合えるなんて・・」
それは全く予期できず、考えも出来ず、まさに青天の霹靂でした。

映画「しいのみ学園」は1955年の映画です。
私は母に連れられて姉と3人でこの映画を観に行ったのです。
小児麻痺の施設の映画だという事ですが、
そんなストーリーはまるで覚えてはいませんでしたが、
その歌だけは、ハッキリと覚えていました。

あの懐かしい歌をまた聴けるなんて思いもしませんでした。
そんないにしえの歌をまた聴けるなんて・・・
本当にビックリし、本当に感激しました。

その悲し気なメロディーを聴くと、
何故か涙がボロボロ流れてくるのです。
どうしてなんでしょう?
何故か泣けてくるのです。

きっと、映画の中の歌と、
貧しい母子家庭だった私達家族との思いが重なり、
心に共鳴するものがあるのだと思います。

ユーチューブって本当に凄い。
私は歌声喫茶などで所々ユーチューブを撮りますが、
それは、こういった記録的な価値を思うからです。
「この場面は押さえといた方がいいな」といった時には、
撮らずにはおれなくなるんです。

その映像が後世に残すべき場面だと思うと、
やっぱり撮りたくなってしまうのです。

まあ、それはそれとして、
この「しいのみ学園」の映像と歌。
子供だった頃の自分と重なって、
やっぱり・・複雑な気がしてしまいます。


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