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プロレスラーには、なってはいけない

2025-01-25 06:07:54 | 格闘技
私は以前にも言った事があるのですが、
プロレスこそ、世界最強の格闘技と思っています。
男に生まれたからには「強い男になりたい」と思う人は多いと思います。
その頂点に位置するのがプロレスラーだと思っています。

かつてアントニオ猪木がやった「格闘技世界一決定戦」
アントニオ猪木本人も言ってますが「プロレスこそ世界最強だ」という事。
そう思っているからこそ、どんな相手が挑戦してくるのか分からない、
異種格闘技決定戦などという、無謀とも思える試合が出来るのであり、
相手がどんな得体の知れない格闘家であっても、試合をするという
恐ろしい体験など普通の人には考えられない行為です。

そして猪木はその全試合で1敗したのだったか、殆どに勝利しました。
最も有名な試合は勿論、ボクシングのアリ戦でしたが、
あれは世紀の凡戦などと言われ、評判は悪く世界一の格闘技とは言えない
ガッカリ試合となってしまいました。

しかし、あれは誰だったか体格も良く、かなりの強者だった相手が、
何と猪木の頭突きに簡単に負けた事があります。
プロレスだったら頭突きなど普通に見かける技に、
初めて経験する頭突きの威力にショックを受け、
顔中血まみれにされ戦意を喪失するという情けない負け方でした。
頭突きを受けた事のない格闘家など論外です。

柔道でオリンピックを初め数々の金メダル受賞者として名を馳せた、ウィリエム・ルスカ。
猪木に言わせると「とにかく格闘技が好きで好きでという格闘技バカ」
そのルスカは、何と猪木のバックドロップに負けてしまいました。
バックドロップなどプロレスだったら、普通に当たり前の技。
バックドロップの衝撃の強さにボロボロにされ、立ち上がれなかったのです。
如何にプロレスラーが強いかの証拠です。

東洋の神秘みたいな格闘技。
体格も普通の人より小さいながら、みな彼の身体に触れる事すら出来ない。
目の前で両腕を蛇がくねる様なパフォーマンス。
あの系統は全部がヤラセだと思っています。
彼の身体に触れる事も出来ないなんて、絶対にあり得ません。
ほぼ無名のそういった選手が、同じく無名のプロレスラーに、
一発でぶっ飛び壊滅され、二度と立ち上がれなかった試合も見ました。
彼等は自分の身体にプロレスラーが普通に経験している、
衝撃を受けた事など一度も無いのでしょう。
まるでガラスの様に弱い身体なんですね。

さて、プロレスラーですが、私は、なってはいけない職業だと思うのです。
それは、あまりにもリスクが大き過ぎるからです。
昔のプロレスは、今みたいな大技はあまりありませんでした。
所が見る側が進歩して、昔風の当たり前技では満足しなくなったのです。
レスラーはそれに応える為に、数々の大技を開発し、連発する様になりました。
それがどういう結果を産むか?
それは実に恐ろしい答えでした。

死者が出る、脊椎損傷(車椅子)などというとんでもない怪我をする。
いくら「強い男になる」と言ったって、死んだり全身不随になっては無意味です。



三沢光晴、試合中に頭部強打により46歳で死去。



プロレスラー高山善廣。
51歳試合中に頸椎(けいつい)完全損傷(医師によると回復は完全に不能)



大谷晋二郎。
51歳試合中に頚髄(けいずい)損傷。高山より多少軽いか・・





ハヤブサ、33歳、試合中に頸髄損傷、車椅子になる。
かつてのタイガーマスクの様な華やかな空中殺法でリングを舞った。
一時は介護付きでリングに戻ったが、47歳時、くも膜下出血で死去。



ダイナマイト・キッド。
小さな身体でタイガーマスクと数々の名勝負を演じたが、
身体の小さなレスラーはそれだけ体に大きな負担がかかり、
後年は若き日の面影はなくなり、話すのもままならずの車椅子生活。
最愛の奥様に看取られる日々を送り60歳で亡くなった。

また、糖尿病を抱えるレスラーは多いのです。
病気を考えたら食事もそれなりに変えなければならないのですが、
試合中のパワーを考えるとそれも出来ず、脚を切断するレスラーも多いのです。
怪我をしたレスラーに対する補償。
そんなのは聞いた事もありません。
野球などと違ってプロレスは個人営業が基本。
会社に属していても、プロレスの会社などは極めて不安定なのです。

プロレスの会社は何社もあるみたいですが、
そこで社長になっても、普通の会社の重役くらいの家が買える程度で、
そんなに儲かる仕事ではないのです。とに角不安定なのです。

メキシコのプロレス(ルチャリブレ)の様に、
普段は普通(以下)の体格のレスラーが夜になると、マスクを被って素顔を隠しレスリング。
そこそこの技で客を喜ばせて試合終了。
危険な大技など、殆ど無いのでしょう。
でも観客はそれで楽しみ、喜んで帰るのですから、それはそれでいいのです。
しかし、現在のプロレス試合は危険技が多過ぎる。
今後も一生をダメにし大怪我に泣くレスラーは、きっと出るのでしょう。

プロレスラーは殺し合いをするのではありません。
妻子を抱える家庭の父親なんです。
女房子供を泣かせる危険仕事などやるべきではありません。
若い内は勢いで目の色変えて強い男になるんだと息巻いても、
それがいつまでも続く筈はありません。

結論・・プロレスラーには、なってはなりません。若気の至りです。



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アニメ映画が嫌い

2025-01-20 06:09:32 | 映画
私は、いわゆるアニメと言われる映画が嫌いです。
観たい、観ようなどと思った事は一度もありません、皆無です。
何十年も前から、映画館でそういったアニメ映画が多くなっている事は知っていましたが、
それらは自分には何の関係も無い物だとしか思っていません。

観たい映画の前には、予告編が上映されますから、
そういった類の映画のアウトラインは知っていました。
しかし、そういった映画に「何が面白いの?」としか感じません。
何だって大人があんな漫画映画を真面目に観たいと思うのか?
それは私の中からは完全に否定されるべき作品なんです。





小学校の授業で、映画館に行って「文部省特選」といった映画、
例えば「砂漠は生きている」といった映画を何度か観に行った記憶があります。
とに角、テレビなど無い時代ですからそれはめちゃめちゃ楽しかった。
そして目的の映画の付録みたいに上映される映画がありました。
ディズニーの漫画映画などだったと思います。
それは本篇以上に面白く、それは目的の映画以上に楽しかったのです。

だからと言って、大人になってからそんな漫画が観たいか?
それは子供だったから楽しかったに過ぎず、大人が真面目に観る対象とは思いません。

宮崎駿(はやお)のアニメ映画が映画館で大きな顔をし出した頃、
それは私からは「フン!」といった感覚しかありませんでした。
根本的にアニメ映画などが大嫌いなんです。
映画という芸術は、俳優が演じるから共鳴できるのであり、
絵でいくら上手に描こうが、それだけの物でしか無いのです。
そんな絵に、大人の私が何で共感出来るの?
そんな薄っぺらな作り物で、私の心まで動かされたくない、というのが本心です。



以前、テレビで野坂昭如の自叙伝的作品「火垂るの墓」を観ました。
涙なくしては見られないアニメ作品でした。
それはかなり感動したのですが、
やはりアニメというのは「アニメ」に過ぎないのです。
俳優が(大袈裟に言うと)命がけで演じる演技を超える事は出来ないのです。
一人の俳優という人間が、作りあげる表情、胸の内。
そういった複雑で素人の叶わない演技を、アニメなどという絵で描いて欲しくはありません。
生の人間の持つ素晴らしさを(絵)などで演ってほしくありません。

それはまた、コンピューターグラフィック(CG)といった、
超便利な時代の便利グッズなどでも演ってはダメです。
そういった便利屋は、激しい目先の動きだけであり、
人間の持つ深い心理といった(心)を描く事は、行き過ぎだと思うのです。
そこまで演れるのかも知れませんが、私は完全に否定します。

宮崎駿のアニメ映画「紅の豚」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」
そういった宮崎作品が時代を席巻し、圧倒的支持を得ている事も知っています。
しかし、何がどうあれ私は、好きになれないのです。
映画館まで行って観ようなどとは絶対に思わないのです。
いくら心を打ち、いくら感動したなどといった話を聞いても、
私には無関係であり、私は本来の映画が好きなんです。

私は戦争映画が好きなので、そんな映像しか無いのですが、



これは1964年の「大列車作戦」のワンシーンです。
敗走するドイツ軍のトラック部隊の指揮官(左側、彼の階級が不明)に右側の大佐が命令します。
階級的には5000人からの兵隊を指揮する階級の大佐という高官が、
「お前たちのトラックが必要だ、お前らはトラックを降りろ」と命令します。
それは圧倒的に階級の上な自分の命令は絶対だぞと、脅迫しているのと同じです。
しかし、後ろからアメリカ軍が迫っている負け戦のドイツ兵達は、傷つき死に物狂いで敗走中です。
彼等の指揮官は「その命令には従えません」と大佐の命令を拒否します。
圧倒的な上級階級の命令を拒否というのは、その場で反逆罪で殺されても仕方ありません。
しかし敵が背後真近まで迫っている兵隊たちは、そんな理不尽な命令に従う気はありません。
大佐は副官に「こいつを殺せ」と命令しますが、下級士官は一歩も引きません。
ピストルを抜こうとする大佐の手を副官が押しとどめます。
「もうダメです、我々は負けたのです」・・・「負けか!」
その時の下級士官の表情、副官の表情、大佐の表情、これはアニメなどでは絶対に描けない。
それは(生)の人間だからこその顔であり、共鳴できるのです。



これは1957年のアメリカの駆逐艦と、ドイツ潜水艦との戦いの映画「眼下の敵」です。
水上と水面下と一騎討ちの映画です。
最初は舐めていた敵が、容易ならざる敵である事に気づき、
長時間に渡って、顔を知らない敵の艦長がどんな男なのかと、お互いが真剣勝負で探り合い。
心理的には海面下の潜水艦の恐怖心の方が圧倒的に不利です。
しかし、ドイツ潜水艦の艦長は百戦錬磨のベテラン。
アメリカ駆逐艦に一瞬の隙がある事を見ぬき、イチかバチかの大勝負に出ます。
勝負に勝ったのはドイツ潜水艦でした。
しかし、アメリカ駆逐艦の艦長もベテラン。
負けたと見せかけてドイツ潜水艦を誘い出す事に成功します。
これで勝負は対等になったのでした。
しかし、アメリカ駆逐艦はドイツ潜水艦に体当たり。
勝負は引き分けですが、ドイツ兵達はアメリカ軍の救助を受け、命は助かりました。

戦いの最後に、沈みゆく軍艦同士で、お互いの艦長は、初めて敵艦長の顔を見ました。
凄い相手だ、敵ながら天晴だと思っていたのは、貴方だったのか。
そして、お互いが敵を認め合って敬礼を交わします。 
このシーンこそ、この映画が最高の瞬間です。
何度観ても感動する、男と男との真剣勝負の結果は感動だったのです。

これがアニメなどで現わせますか?
それは絶対に無理です。
アニメには(生)の人間にしか不可能な範囲があるのです。
それは(生)の人間の表情でしか出来ないのです。

いい映画はアニメにもあるらしいのですが、
それは私には理解できない、したくない一線なんですね。



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この世の地獄・満蒙開拓団

2025-01-19 10:39:51 | 歴史
『山本慈昭 望郷の鐘~満蒙開拓団の落日』映画オリジナル予告編






かつて中国に「満州国」という国が在りました。
1932年(昭和7年)~1945年(昭和20年)までの13年間、
日本が作りあげた傀儡(かいらい)国家(あやつり人形)で、
首都は新京(旧、長春)でした。

1929年(昭和4年)にアメリカで起き、世界中を巻き込んでいった、
世界恐慌の影響が日本にも及び、1930年から1931年にかけて、
日本経済を危機的状況におとし入れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌が起きます。
それを昭和恐慌と言います。

これにより疲弊する日本人農民を中国大陸へ移民により救済すると発案する関東軍。
関東軍というのは中国大陸を制圧する日本軍の事で、
関東平野とは無関係の言葉です。
最大規模時には74万人を擁する、満州国の実質的な統治軍隊です。
満蒙開拓団には長野県出身者が多かったみたいです。
日中戦争が拡大すると、日本国内の農村労働力が不足し、
満州への移民希望者が激減したのですが、
日本は国策として満州への送出計画を変更しませんでした。
結果的に32万人が満州へ移住し、その内7万人が亡くなります。
移住者たちはまさか自分達が、日本軍の侵略戦争に加担しているなどとは、
夢にも思わなかったのです。

侵略戦争というのは、長い目で見ると絶対に勝利はあり得ません。
結局は負けてしまうのです。
自分達が戦争加害者であるなどと夢にも思わなかった農民たちは、
戦争に負けた途端に、徹底的な被害者となって地獄を見る羽目になりました。
「この世の地獄」を目の当たりにし、絶望しかない命に苦しむのでした。











これらの写真に写っている人達は、
ひとり残らず生き地獄を見る事になったのでした。

開拓団の人々には若い男性は兵隊に取られほぼ居ません(一部、学校の教師とか)
殆どが老人と、女子供といった最も弱い人達が絶望的な逃避行者だったのです。

敗戦になると、今まで近所に住んでいた中国人が、牙を剥いて日本人達に襲い掛かります。
火事場泥棒的に参戦した、ソ連軍が何の武器も持たない弱い人達に襲いかかります。
頼りになるべき日本の軍隊は、取り残された人などお構いなしに一目散に逃げだし、
彼等を護ってくれる人など、どこにも居ません。
彼等は日本人の持っている(物)を要求し奪い去っていきます。
ソ連兵はレイプする為に女をよこせと襲い掛かります。
まだ幼い女の子達は顔を泥で真っ黒にし、髪の毛を短く切って男の子を装います。
隠しようもない女性をソ連兵に差し出して、何とか命だけは助けてもらおうとします。
レイプされても命だけが助かればいいと観念しても、結局は殺されてしまったのかも知れません。

金目の物、衣類、全てを奪われた人達は、
何の当てもなく食料さえも無く、ただ南へ南へ(海のある、船のある)と歩きます。
絶望しか無い毎日に、生きる望みも失ってしまった人達が、集団自殺もしました。
ソ連兵に気づかれるのを恐れる指揮者から「子供を殺せ」と命令され、
泣きながら子供の首を絞めて殺す母親。
死んだ子供の遺骸を捨てられず、いつもでも腐るまで抱っこして歩く母親。



辿り着いた場所も分からない駅から無蓋車に乗って、
どこに行くのかも知らずに生死を彷徨う弱い人々。
雨が降れば濡れネズミ、揺り落とされればそれっきり。
停まった無蓋車から降りてトイレに行ってる隙に動き出す列車、乗れなければ永遠の別れ。
今日はどうにか生き延びた、しかし明日への希望は何処にあるのでしょうか?

私の母も満州からの引揚者でしたが、
いわゆる満蒙開拓団ではなく、南満州の旅順に近かったので、
中ソ国境の黒竜江省などの人達みたいな悲惨な目に遭わずに済んだのですが、
それでも逃避行は逃避行ですから、きっと怖かったのだろ思います。

タイタニック号で生き延びた人に、
「もしもう一度人生をやり直す」としたら何をしたいかという質問に、
その人は「もう一度タイタニック号に乗って、あの最期の光景を眺めてみたい」
と言った人に対し、「それは自分が完全に生き残れる保証でもあれば」
という大前提があればであって、自分の命が見えない状況でそれは絶対にあり得ない。
という返答がありました。
私の母も同じで、自分自身が大変な状況で、周囲を冷静に眺めるなんてあり得ないのです。



ただ「戦争だけは絶対にイヤ。もう二度とイヤ」
だからドラマ「大地の子」など絶対に観ようとしませんでした。

満蒙開拓団の悲劇は、歴史の中の取り返しの出来ない事実として、
だからと言って、今更どうにもならない悲劇として、
多くの歴史がそうである様に、流れ去っていくのですね。
本当に気の毒としか言えません。



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後の祭り・第12回艦船模型合同展示会

2025-01-13 06:36:26 | 軍艦
商船模型同好会@艦船模型合同展示会 Oct.2024 展示紹介


昨年10月5日(土)~6日(日)に、
第12回艦船模型合同展示会というのが横須賀で開催されたという。
だいたい、そんな集まりがあるなんて全く知らなかったのです。
それも12回もやっていたなんて。
前回、2022年には大阪で開催されたという。
そして第13回は、島根県松江市で、海の日に開催されるそうだ。

昨年10月だったら、私は2日間とも空いていたし、
横須賀だったらすぐにでも行かれたものを・・本当に無念だ。





あれは2006年3月5日の事でした。
いつもは見ないスポーツ新聞をたまたま昼食に寄った食堂で見たのです。
そこには、映画「男たちの大和」のロケに使った実物大の戦艦大和を、
見物に行くツアーをやっていると知ったのです。
もう取るもの取らず、矢も楯もなく足も地に着かない状態で、
旅行会社に申し込んだのでした。

完全形とはいかないまでも、
要所要所はキッチリと再現された世界最大の戦艦を目の当たりに見た感動。
鳥肌は立つし、もうちびっちゃいそうでした。
多分、頭を後ろから小突かれても気がつかなかったと思います。
呆然自失とは、あぁいった事を指すのでしょう。

思えば、海上自衛隊の観艦式もそうでした。
それまで(あの頃はネットもやってなかったし)で知らなかったのを、
たまたま偶然に知る機会があって、
今ではプラチナ過ぎて、まるで手に入らなくなってしまった乗艦チケットを入手し、
3回も自衛艦(それはまさに軍艦なのです)に乗れたのです。

戦艦大和と同じで、あれほど感動した事などありませんでした。
しかし、今回は全く知らずにみずみず見逃してしまった。
来年になったら松江まで行くしかないのか・・
横須賀に比べて旅費は高いし、時間もかかるし。

これが例えば「深浦の歌声」の日と重なっていたら、
私はどっちを採るだろう?
深浦にみんなが行った日に、津波の被災地にこそ俺は絶対行きたいと、
皆さんとお別れして単独で別行動を採った私。
やっぱり艦船模型を採る様な気がします。
私には軍艦は子供の頃からの特別な思いがあるのです。
気がついた時には「軍艦大好き」な子供の自分がいたのです。
そんなものは今更直しようがないのですね。

それにしても、たまにこういったポカって発生するんですよね。
気がついた時は終わった後だった時の口惜しさ。
何とかどうにかして埋め合わせは出来ないものだろうか?

ありません。絶対に後戻りなど出来ないのです。
こういったのを「後の祭り」「後悔先に立たず」
「コンチクショー殺してやる~~」と言うのですね(涙)


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直流と交流、電気の違い

2025-01-13 04:41:59 | 日記
電気には、直流と交流とがある事は、何となく知っているという方が多いと思います。
私もそうで「何となく知っている」の部類です。
でも、その違いをハッキリと明確に説明できるかというと、全然できません。



そもそも、電気を発明(?)発見(?)したのは、
あの発明王エジソンでした。それは直流電気でした。
トーマス・アルバ・エジソン(1847ー1931・84歳)
電気というのは、そもそも発明なのか?発見なのか?
それすらも私はよく解っていません。

エジソンは、ゼネラルエレクトリック社(GE)を設立しました。
GEは電球などの家電だけではなく、発電から送電までを含む、
電気系統の事業化に成功しました。



エジソンの直流電気に真っ向から対立したのが交流電気でした。
それは、ニコラ・テスラの提唱した方式でした。
ニコラ・テスラ(1856-1943・86歳)

1875年頃彼は電気モーターに魅了され交流という方式を着想します。
その後、エジソンの会社に職を得るが、エジソンと対立して失職します。

直流と交流・・・

電子回路の殆どは直流回路になっているので交流で動く物であっても、
本体内部やACアダプタの形で直流に変換されています。
直流だけで動く物、すなわち電池やバッテリーで動く物には、
持ち運びできる物が多いのです。
例えば、ラジオ、携帯プレーヤー、携帯電話、懐中電灯・・
外で使おうとした時にコンセントが要らない設計にあっています。

次に交流供給だけで動いている物には、固定して使う物が多い。
例えば、大型テレビ、電子レンジ、ドライヤー、エアコン、
部屋の照明、掃除機などです。

では何故、直流だけにしないのか?
それは家庭内などで長時間使った時に、
電池よりコンセントの電気を使った方が、断然安くなるからです。

本来なら直流だけで動いている全ての機器は交流も使える様になっていれば、
消費者にとっては有難い事ですね。
ただ、懐中電灯やリモコンなどはコンセントに挿して使うという機会が、
まず無いので無駄だし価格も上がるのでやらないだけです。

エジソンとテスラが対立した「電流戦争」は、
エジソンがテスラを容認する姿勢を見せれば、お互いに上手くいったかも知れない。
しかし、エジソンの発明者としてのプライドがそれを許さなかった。
結果的にエジソンは戦争に敗れ多くのものを失ってしまいました。

しかし、自分でこういった事を書いておきながら、
私は直流と交流というのが何なのか、まるで理解出来ていません。
いくらモーターの図とか見せられて解説された所で、
な~んにも理解できないのです。
そもそも、目に見えない動きなど理解できるって方がおかしい。
コロナだって、目に見えないから世界中が右往左往して大騒ぎしてるのに、
それが「あ~なるほどね」などとエラソーな事、言ってるんじゃね~よ。
目に見えないものなんか、人間が理解できる筈が無いッ、無いと言ったら無いッ!

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