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格闘技の天才が負けた日

2018-12-14 08:04:16 | 格闘技
PRIDE GP 2000 5.1 桜庭和志×ホイスグレイシー ROUND6


2000年、5月1日。
それは格闘技の世界に於いての記念日となりました。

王者の名を欲しいままにしてきた、
ホイス・グレーシーが遂に敗れたのです。
ホイスを敗ったのは、日本人のプロレスラー、桜庭和志。

ホイス・グレーシーとは一体どんな格闘家なのでしょう?



それには、まず日本人の柔道家・前田光世から入って行きましょう。
前田光世(1878~1941)63歳。
身長164センチ・・体重70キロ。

前田は柔道家として名を馳せ、アメリカに渡ります。
多数の格闘家との試合に負ける事なく、天才の名を欲しいままにし、
ブラジルに入り、そこでカルロス・グレーシーに出会います。
カルロスは前田から柔道を教わり、
グレーシー柔術として発展させます。

(私は、加納治五郎の講道館柔道が、柔術を駆逐して現在の柔道があるので、過去の世界に追いやられてしまった柔術という言葉が、再び登場してきた事に驚きました)

その子孫が、エリオであり、ヒクソンであり、ホイスなのです。



エリオ・グレーシー。



エリオの3男であるヒクソン・グレーシー。
身長178センチ・体重85キロ。
彼は400戦無敗を誇る、グレーシー最強の男と言われる。



そして6男が、このホイス・グレーシー。
身長185センチ・体重80キロ。
彼によると、兄であるヒクソンは、自分の10倍強い、そうです。

そのホイス・グレーシーは、
1993年に行われた第一回UFC世界大会。
目つぶし、噛みつき、以外は何でもありの世界大会で、
並みいる大男達を破り、優勝したのです。

プロレス・ボクシング・空手・サンボ・サバット・・
世界中で、自慢の格闘技を誇る格闘家達に負けなしの優勝。
身長2メートルだろうが、体重180キロだろうが負けない。
185センチ・80キロなんて、
日本でもそこらに普通にいる、チョッとガタイのいい若者と同じ。
そのきゃしゃな男が負けない。

どんな巨体であろうが、組みつかれ横倒しにされたら、
もう手も足も出ない。
そんな状態にされ、血を見る事もなく、ギブアップ。

その戦い方は、それまでの格闘技の常識を一変させました。
いくら強烈なパンチ力があろうが、当たらなければ無意味。
瓦を何十枚と叩き割る空手パワーであろうが、組みつかれたら何も出来ない。

それがグレーシー柔術の戦い方だった。
それに敵う者は誰も居なかった。
そして、ホイス・グレーシーは世界大会に何回も優勝したのです。
その牙城は誰も破る事は出来ず、ホイス最強とまで言われていました。



それを負かしたのが、日本のプロレスラー桜庭和志。
身長180センチ・体重85キロ。
彼も格闘家としては極めて小柄です。
しかし、桜庭はIQレスラーの異名を取る、頭のいいレスラーなのです。



この笑顔で、最強の格闘家を破るなんて・・・・

この後も桜庭は、グレーシー一族の報復を蹴散らし、
その強さを見せつけました。
桜庭和志いわく「プロレスラーは強いんです」
その言葉は、プロレスこそ最強の格闘技と信じる私の留飲を下げさせました。

桜庭がグレーシーを破ったあの日、あの試合。
私は感激で泣きました。
本当に凄い試合だった。ただただ感動でした。







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大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント

2017-09-24 07:16:59 | 格闘技
大巨人伝説アンドレ・ザ・ジャイアント


プロレスラー・アンドレ・ザ・ジャイアント(フランス)は、
1946年生まれ、1993年没(46歳)
「人間はどこまで大きくなれるか、その生きた見本」とまで言われました。
身長223センチ。体重236キロ。足の大きさ38センチ。

本名は、ジャン・フェレだと言われています。
パリの家具運送会社で働いている所を、
体操選手だった(元オリンピック選手)のプロレスラー、
エドワード・カーペンティアーに見いだされてプロレスラーになります。

当初は、モンスター・ロシモフと名乗っていました。
1970年に初来日した時も、その名前でした。
1973年から改名し、アンドレ・ザ・ジャイアントと名乗る様になります。



アンドレをボディースラムで投げ飛ばしたレスラーは何人か居ます。
彼をボディースラムで投げる事が、一種のステータスだった時期もありました。
日本人でも、
アントニオ猪木・長州力・ストロング小林の3人がいますが、
本当はアンドレが他のレスラー達への思いやり、
そういった格好いい場面を作らせてやろうという気持ちで、
投げさせてあげたんで、
本気だったら誰も彼を投げられなかった、とも言われています。


他のレスラー達と一緒だと、その巨大さが際立ちます。
彼は、並のレスラー2人を相手に試合をした事もあるのです。
2人の普通のレスラーが本気でやっても彼の巨大さの前には、
中々勝てませんでしたが。
しかし、世界的にも一流のレスラー相手だと、
2人相手というのは、いくら何でも無理で、
アンドレとはいえ、本気仕様ではないとそれは無理でした。



日本の誇る大巨人・ジャイアント馬場といえど、
アンドレと並ぶと普通の人に見えてしまいます。
ジャイアント馬場・・209センチ。135キロ。
対するアンドレ・・223センチ。236キロ。

私は高校生の時、ジャイアント馬場を1メートルの至近距離で見ましたが、
「世の中にこんな大きな人間が居るんだ」と、
心底、驚愕しました。
その馬場が、普通の人に見えるその巨大さ。
まさに唖然、呆然ですね。

アンドレの得意技はいくつもありますが、
その中でもボディープレス。
彼が236キロの全体重をかけて相手を圧し潰す様は、
まさに(圧巻)のひと言でした。

アンドレの並外れた言動はいくらでもありますが、
中でもその飲酒量が半端ではなかった事は語り草的になっています。
缶ビール118本。ワイン19リットルを飲み干した。
飛行機にあったビール200~300本を全部飲んでしまった。
大ジョッキ89杯、ビール327本を開けた時はさすがに気絶した・・
まるで人間とは思えない途方もない数字の羅列。

彼は先端肥大症に悩んでいて、
体重がどんどん重くなって行く事をしきりに気にしていたそうです。

彼はいつも鉛筆かボールペンを持っていたそうです。
何で?
その頃の電話はみなダイヤル式でした。
彼はそのダイアルに指が入らなく、電話をかけられなかったのです。
全く、異常にデカイという事はそういった事なんですね。

彼は生涯独身だったと言われていますが、
実は奥さんと娘さんが居たんだという話もあります。
ジャイアント馬場にも奥様が居ましたね。

【プロレス】若き日のアンドレ・ザ・ジャイアントを知っているだろうか?



巨人型のレスラーの多くは大成した試しがありません。
しかし、アンドレは大成功しました。

晩年の彼はアメリカに広大な牧場を買って過ごしていましたが、
増え続ける体重ゆえに歩行もままならなくなっていたそうです。

1993年。
彼は父親の葬儀にフランスへ行きます。
そしてパリのホテルで、急性心不全により46歳で急死しました。

思えば、その巨大さ故にレスラーとして大成し、
沢山の富を築きましたが、
人間としては、その巨大さは、悲し気に映るという、
相反する矛盾、皮肉な人生でもありました。合掌。




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プロレスラーのマット禍

2017-09-05 11:18:10 | 格闘技
三沢光晴アクシデント後 Mitsuharu Misawa after the accident


これは、2009年6月のプロレスでの事故です。
三沢光晴が首を強打し、46歳で亡くなってしまいました。
この事故は私に強い衝撃を与えました。

1990年くらいを境にして、
プロレス界では死亡事故や、重度の障害事故が多く起こる様になったそうです。
私がまだ子供だった頃の(力道山)といった時代には、
それほどの事故は殆ど起こらなかったのです。

それが何故、最近は恐ろしい事故が起こる様になったのでしょう?
それは、昔の技に比べて、
受け身が取れない大技が開発され、
それが一般的に多様されるという恐ろしい時代になったからです。



プロレスラー達は、そういった大技で、
自分がいつ重い障害を抱えたり、
悪くすると死んでしまうという恐れと戦いながら、
試合をせざるを得ないという事態にあります。



今年5月、
高山善廣(よしひろ)が、試合中に重度の障害を負ってしまいました。

高山善廣・・50歳
      身長196センチ 体重125キロ
  
長身の高山がリングロープを跨いで入場するシーンは、
かなりインパクトがあり、強い一流のレスラーでした。

ショック!高山善廣が全身不随に・・・


高山は、回転エビ固めを相手にかける際に失敗し、
頚椎に重度の損傷を負ってしまったのです。

首から下の感覚が無く、
医師からは「回復の見込みは無い」と宣告されました。
つまり、今後、高山はほぼ全身マヒでの人生を送る事になるのでしょう。



私はいちプロレスファンとして、
受け身の取れない大技を、禁止にすべきだと思います。

三沢や高山の間にも、試合中、練習中に死亡事故は何度もあり、
また重度の障碍者になってしまったレスラーもいます。
こういった言わば(殺し合い)的なスポーツは、戒めるべきです。

プロレスラーは、中世の剣闘士ではありません。
殺し合いをやっている訳でもありません。
プロレスを楽しんで見てくれるお客さんの為にやっている事であり、
彼らには、当たり前の生活があり、家族だっているのです。

いくら相手に勝つ為とは言え、
お互いに障碍者になったり、死んでしまっては、
何の意味もありません。

テキトーな所というより、
適度な技でお客さんが楽しんでくれればそれでいいのです。
それ以上の危険技など要らないのです。

こういった昨今のプロレスの内情を考えると、
「受け身の取れない大技」を禁止にすべきと私は思います。
もう、こんな悲惨な事故は見たくはありません。

プロレス界の自戒を切に望む次第です。






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プロレスは八百長だから嫌い!

2015-01-12 05:40:01 | 格闘技
プロレスは八百長だから嫌いッ!という方は結構多い。

ハイ、その通りでしてプロレスは八百長なんです。
そんな事は当たり前な事なんです。
大体、プロレスを真剣勝負なんて思う方がおかしい。
2009年には、あの三沢光晴がリング禍で死去する事故がありました。
過去にもリングで亡くなったレスラーは何人もいます。
プロレスというのはそのくらい危険なスポーツなんです。

そんな危険なスポーツを職業としてやるからには、
毎日、毎日、真剣勝負などやっていたら命がいくつあっても足りません。
職業というのは何年も何年も人生を賭けてやっていかなければならないのですから、
死ぬかもしれない真剣勝負などやってられる筈がないでしょう。

殆どのスポーツは真剣勝負が当然の世界です。
だからと言ってプロレスにそれが当てはまるかと言えば、それは違います。
自分自身にそれを当てはめれば、そんな事はすぐに分かると思います。
女房、子供を抱えて毎日毎日、真剣勝負などできる筈がないでしょう。

メキシコのプロレス「ルチャリブレ」がいい例です。
普段は街で普通の職業に就いている人が、夜になるとマスクを被ってプロレスラーになるのです。
体格も大きな人は少なく、170センチに満たないレスラーは珍しくありません。
そんな彼らのレスリングをお客さん達は大きな声で贔屓のレスラーを応援する。
レスラー達はお互いの(いいトコ)を見せる様に工夫しながら決着をつける。
お客さん達はそんな試合に満足して帰途に着く。
それでいいのです。満足したんですから。

それを八百長と決めつけるのは、いかがなものでしょう?
いわゆる八百長とは意味が違いますね。
「八百長」というのは、皆が真剣勝負だと思っているものを、
その期待を裏切って「出来レース」をするのが八百長ですね。
最初からレスラー達は「今夜はこんな感じでお互いに試合をしようよ。」であり、
お客さん達もそれで何の不満も無いのですから、八百長とは言わないでしょうね。

しかし、仮にも「強い男」に憧れて入ってきたプロレスの世界。
そんな男として、意地にもかけて負けられない試合というのも勿論あります。
以前、アントニオ猪木がやった「格闘技世界一決定戦」などその典型です。
プロレスこそ最強の格闘技と言い切る男が、他の格闘技に負ける訳には絶対にできませんね。
そういった試合はテレビでよく放映されるので、
そんな試合ばかりを観てきた人達には「プロレスは八百長だから嫌い」という図式になるのかも知れません。

プロレスラーとて人間。
テレビ放映の無い試合は手抜きもするでしょう。
テレビに映っている時の試合とは、そりゃ違って当たり前ですよね。
そんな事は自分自身に当てはめればすぐに納得できます。

「プロレスは八百長だから嫌い」と言う方々。
貴方自身にそれを当てはめてみて下さい。
もっと理解する事が出来れば、プロレスを観る幅が広がり、
プロレスを観る事がもっともっと楽しくなりますよ。



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