E.Goldman "On the Mall" 「木陰の散歩道」 陸上自衛隊音楽隊 20090531
高校に入学すると、新入生達はあちこちのクラブ活動からの勧誘を受けます。
私の高校はバレーボールが活発だったので、少し背が高かった私もバレー部からの勧誘を受けました。
しかし、入学前から私はブラスバンドに入部すると決めていました。
中学時代の初恋の彼女がブラスバンドでクラリネットを吹く姿に憧れていたからです。
まぁ男が何をやりたいかなんて、大体不純な動機が多いのです。
女の子にモテたいから〇〇部に入るなんて、みんな言う事はほぼ同じ(笑)
でも、そういった不純異性交遊・・
あ、間違った、不純な動機であってもそれが段々好きになって頑張っていると、
挙句の果ては、オリンピック選手になったり・・人間ってそんなもんなんですね。

ブラスバンド部の部室を訪れた紅顔の美少年(俺だよ)に、
そこでたむろしてた先輩らは、驚いて私を迎い入れました。
しかし、私が憧れていた楽器、トロンボーンには空きが無かった。
仕方なくあてがわれた楽器は、それまで知らなかったユーフォニウム。
「エ、これかよ。これを俺がやるのかよ」
もう、家に帰りたくなった。
それでも命じられるままに始めたユーフォニウム。
高音でも低音でもない(中音)みたいな楽器。
しかし、そのまろやかな音色に魅せられ、ハマってしまいました。
もう、明けても暮れてもユーフォニウム。
学校が近かった私は、日曜日も独りで学校に行き練習に明け暮れていました。
とに角、上手くなりたかった。
楽器では誰にも負けたくなかった。必死でした。
死に物狂いでした・・バカ、それはいくら何でも言い過ぎだよ。
でも、何の趣味でも同じ、「上手くなりたい」そう思い続なければ絶対に上達はしません。
そんな頃、近くの高校と合同練習をしたのですが、
彼等が演奏した曲が「木陰の散歩道」
一発でその曲を大好きになったのですが、我が校ではその曲はやってなかった。
なんせバンドを指導する教師すら居ない、生徒たちの自主練習の我がブラバン。
でも、「木陰の散歩道」をチューバで演奏する、その高校の上級生には、凄く憧れました。
2年生になった時、クラブで新しい楽器を購入しました。
中バス・・そんな楽器の名前は聞いた事がありません。
要するにユーフォニウムと、1オクターブ低いチューバの中間楽器。
私は「赤川、お前がやれ」と命じられました。
3年生になると、また新しい楽器を購入しました。

それがスーザホン(形は違うけどチューバ)でした。
「赤川、お前がやれ」と命じられました。
ユーフォニウムに比べて1オクターブ低い、その楽器にもハマってしまいました。
低音の魅力というか、それは(魔力)でした。
しかし、「木陰の散歩道」を初めて聞いた時に、私がやっていたのはユーフォニウム。
出来ればユーフォニウムでそれを演奏したかった。
そんな事でユーチューブ検索をしたら、色々出てきました。
浜松海の星高校 吹奏楽部 「木陰の散歩道」
そんな中で最も心を奪われたのが、浜松海の星高校(現在は聖星高校)でした。
あまりの素晴らしさ、衝撃に心を奪われ、
それを指導している土屋先生に強烈な憧れを抱きました。
その事をブログに書いたら、数年後にたまたまそれを見た土屋先生からコメントを頂き、
それが縁で、浜松まで演奏会に行ったり、フェイスブックで友人になったりしました。
私は今でも、そんな高校の吹奏楽部の指導者になりたかったという思いがあるのです。
高校の吹奏楽部で、京都だったかに超有名な学校があります。

その高校は、そのパフォーンマンスで海外では圧倒的な人気です。
でも、私はあまりそのブラスバンド部の方針は好きになれません。
高校生は高校生らしく、制服を着て、演奏だけで魅せて欲しいと思うのです。
(ホントはスケベ男子にくせに)
外国人には高校生が、ある種悩ましい姿を売りにしてるみたいなのは受けるかも知れません、
しかし、それに私は違和感があって、好きにはなれないのです。
そういった観点からいっても、私は浜松聖星高校が大好き。
行進曲「木陰の散歩道」/On the Mall March(Edwin Franko Goldman)/酒田吹奏楽団
俺は、心底吹奏楽が好きなんだなという思いは強くありました。
それで、離婚して人生が何もかも空しく感じた時に、
やっぱり俺は吹奏楽をやろうと思い、横浜のある民間吹奏楽団に電話をしたのです。
しかし返答はつれなかった。
「現在、我が楽団には空きがなく募集はお断りしているのです、申し訳ありません」
ガッカリ、ガックリしました。
そこでそのバンドに入っていたら、現在の歌声喫茶にハマった私は居ません。
現在の妻、エリカさんとの結婚もありません。
そういった意味では、空きが無かったという、たったそれだけの事で、
一人のバツイチ男の人生は、大きく舵を切ったのです。
そして、皆さん知る人ぞ知る、楽し気に唄う(河童)が登場してしまった(笑)
本当に人生なんて、何がきっかけだか誰にも分からないのですね。
「木陰の散歩道」も、そういった意味ではキッカケだったのかな・・・
高校に入学すると、新入生達はあちこちのクラブ活動からの勧誘を受けます。
私の高校はバレーボールが活発だったので、少し背が高かった私もバレー部からの勧誘を受けました。
しかし、入学前から私はブラスバンドに入部すると決めていました。
中学時代の初恋の彼女がブラスバンドでクラリネットを吹く姿に憧れていたからです。
まぁ男が何をやりたいかなんて、大体不純な動機が多いのです。
女の子にモテたいから〇〇部に入るなんて、みんな言う事はほぼ同じ(笑)
でも、そういった不純異性交遊・・
あ、間違った、不純な動機であってもそれが段々好きになって頑張っていると、
挙句の果ては、オリンピック選手になったり・・人間ってそんなもんなんですね。

ブラスバンド部の部室を訪れた紅顔の美少年(俺だよ)に、
そこでたむろしてた先輩らは、驚いて私を迎い入れました。
しかし、私が憧れていた楽器、トロンボーンには空きが無かった。
仕方なくあてがわれた楽器は、それまで知らなかったユーフォニウム。
「エ、これかよ。これを俺がやるのかよ」
もう、家に帰りたくなった。
それでも命じられるままに始めたユーフォニウム。
高音でも低音でもない(中音)みたいな楽器。
しかし、そのまろやかな音色に魅せられ、ハマってしまいました。
もう、明けても暮れてもユーフォニウム。
学校が近かった私は、日曜日も独りで学校に行き練習に明け暮れていました。
とに角、上手くなりたかった。
楽器では誰にも負けたくなかった。必死でした。
死に物狂いでした・・バカ、それはいくら何でも言い過ぎだよ。
でも、何の趣味でも同じ、「上手くなりたい」そう思い続なければ絶対に上達はしません。
そんな頃、近くの高校と合同練習をしたのですが、
彼等が演奏した曲が「木陰の散歩道」
一発でその曲を大好きになったのですが、我が校ではその曲はやってなかった。
なんせバンドを指導する教師すら居ない、生徒たちの自主練習の我がブラバン。
でも、「木陰の散歩道」をチューバで演奏する、その高校の上級生には、凄く憧れました。
2年生になった時、クラブで新しい楽器を購入しました。
中バス・・そんな楽器の名前は聞いた事がありません。
要するにユーフォニウムと、1オクターブ低いチューバの中間楽器。
私は「赤川、お前がやれ」と命じられました。
3年生になると、また新しい楽器を購入しました。

それがスーザホン(形は違うけどチューバ)でした。
「赤川、お前がやれ」と命じられました。
ユーフォニウムに比べて1オクターブ低い、その楽器にもハマってしまいました。
低音の魅力というか、それは(魔力)でした。
しかし、「木陰の散歩道」を初めて聞いた時に、私がやっていたのはユーフォニウム。
出来ればユーフォニウムでそれを演奏したかった。
そんな事でユーチューブ検索をしたら、色々出てきました。
浜松海の星高校 吹奏楽部 「木陰の散歩道」
そんな中で最も心を奪われたのが、浜松海の星高校(現在は聖星高校)でした。
あまりの素晴らしさ、衝撃に心を奪われ、
それを指導している土屋先生に強烈な憧れを抱きました。
その事をブログに書いたら、数年後にたまたまそれを見た土屋先生からコメントを頂き、
それが縁で、浜松まで演奏会に行ったり、フェイスブックで友人になったりしました。
私は今でも、そんな高校の吹奏楽部の指導者になりたかったという思いがあるのです。
高校の吹奏楽部で、京都だったかに超有名な学校があります。

その高校は、そのパフォーンマンスで海外では圧倒的な人気です。
でも、私はあまりそのブラスバンド部の方針は好きになれません。
高校生は高校生らしく、制服を着て、演奏だけで魅せて欲しいと思うのです。
(ホントはスケベ男子にくせに)
外国人には高校生が、ある種悩ましい姿を売りにしてるみたいなのは受けるかも知れません、
しかし、それに私は違和感があって、好きにはなれないのです。
そういった観点からいっても、私は浜松聖星高校が大好き。
行進曲「木陰の散歩道」/On the Mall March(Edwin Franko Goldman)/酒田吹奏楽団
俺は、心底吹奏楽が好きなんだなという思いは強くありました。
それで、離婚して人生が何もかも空しく感じた時に、
やっぱり俺は吹奏楽をやろうと思い、横浜のある民間吹奏楽団に電話をしたのです。
しかし返答はつれなかった。
「現在、我が楽団には空きがなく募集はお断りしているのです、申し訳ありません」
ガッカリ、ガックリしました。
そこでそのバンドに入っていたら、現在の歌声喫茶にハマった私は居ません。
現在の妻、エリカさんとの結婚もありません。
そういった意味では、空きが無かったという、たったそれだけの事で、
一人のバツイチ男の人生は、大きく舵を切ったのです。
そして、皆さん知る人ぞ知る、楽し気に唄う(河童)が登場してしまった(笑)
本当に人生なんて、何がきっかけだか誰にも分からないのですね。
「木陰の散歩道」も、そういった意味ではキッカケだったのかな・・・