久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

子育てに正解はない?

2008-07-04 11:36:30 | Weblog
 自分の子育てがほぼ終わった今、周りの子育てが気になります。そして、それらを見て、自分の子育てを思い返し、どんな子育てがいいのか、未だに正解が見いだせないでいる今日この頃です。

 帰りのバスの中で何度か見かける親子。仕事帰りらしい母親、保育園の男の子2人で途中から乗ってきます。上の男の子がよくおしゃべりをするし、まだ4才ぐらいなので、わがままを言ったりします。すると母親は、バスの中とは思えない大きな声で怒り、子供の顔をたたくのです。子供は泣くし、もうバスの中は、何とも言えない雰囲気になってしまします。私も疲れてバスに乗っているので、2度、3度こういう光景に会うと、「この親子と会いませんように」と祈ってしまいます。

 自分の子育てを思い出すのですが、確かに子供を感情的に怒ったり、たたいたりしたことはあります。でもよほどのことがない限り公衆の面前ではしませんでしたね。公園なんかで、目の前で悪いことをした時なんかは、叩いたことはありますが。
 この母親、多分仕事で疲れているんだろうなと思います。でも子供の顔を突然叩いてはいけないと思います。そして、周りの人の気持ちも考えてください。たまりませんよ。どっと疲れが出ます。
 この子が大きくなって、親になった時、簡単に子供を叩く親にならなければいいがと心配になります。暴力は連鎖すると聞いたことがあるので。

 もうひとつは、行きの通勤途中のこと。私は、毎朝16分ほど最寄りの駅まで歩くのですが、途中父親と息子に会います。事情は分かりませんが、この子は虚弱児か知的障害のある子なのか、4年生ぐらいですが、いつも父親としっかり手を繋いで向こうから歩いてきます。いっしょに歩いている姿に、父親が一生懸命子供を守っているという雰囲気を感じる親子です。
 会うあたりは、近くにある小学校の通学路ではないので、電車に乗ってきているのか、校区外から来ていることは確かで、どのような事情の親子なのかなと思っていました。
 ある日、この親子の組み合わせが母親と息子ということがありました。なぜか、母親とこの子は手を繋がず、離れて歩いてきました。父親とはあんなにしっかり手を繋いでいるのに、母親とはどうしてなのかなと不思議です。

 母親と子供の関係と、父親とのそれは違うのかなという気がします。母親は自分が生んでいるので繋がりが強いというか、私も経験がありますが、子供といろいろあっても、最後は”私のお腹にいた子だ”という理屈ではない繋がりと自信があるのです。父親は敢えて強固に関係を作っていこうという思いから、このような行動になるのかと思ったりもします。
 朝のちょっとした光景からこんなことを考えます。

 もうひとつ気になることが・・・。最近、いろいろな子供を巻き込んだ事件があるからか、母親の過保護が目につきます。学校から指導があっているのかとも思いますが、朝、通学の時、学校までか、途中の子もいますが、送っていく母親をよく見ます。
 友達や違う学年の集団で登校しているのも見かけますが、親が子供を送っていくのはどうなんでしょう。父親が通勤時間なのか、いっしょに行く姿はほほえましいのですが・・・
 私のうちの周りは、専業主婦が多いような気がします。仕事をしている親なら、通勤時間がいっしょであれば、途中までいっしょに行くということはあるでしょうが、普通学校まで送っていく時間はないでしょう。小学校は、子供の自立への第一歩。友達や異学年の子たちと行かせる方が子供のためにはいいように思うのですが。

 本当に、自分の経験からも子育ては難しい結果が出るのは後になってからですから、よけいに迷いながらの手探りになります。過保護も問題、無関心・放任はもっと問題。終わってからあーすればよかったという回顧の念はあるのですが、ではもう一度やり直しができたとしても、うまくできるかどうかの自信はありません
 ですから、私の子育てが正解だったかどうかは未だに分かりませんが、子育て中やこれから子育てをしようとしている人に言えることは、親が真面目に、誠実に、一生懸命生きていれば、そして、子供に愛情と関心を持っていれば、そう子育てを間違うことはないだろうということぐらいです。皆さんはどう思われますか