私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

あせん 60

2008-06-24 14:33:57 | Weblog
 「どうしてなのだ、親分。なぜ、政之輔がこんな姿に」
 銀児親分にきつく迫りますが、
 「中野様に聞いてみておくれやす」
 の一辺倒で、埒も何もあったものではありません。終いには、ぐいと睨みつけるようにして、言葉を荒立てて言います。
 「何遍言えば気が済みますのや。下手すると、大先生も、こないなお姿にならはるのとちがいますやろか。早くお引取りになられたほうが得でっせ。命に関わりますよって」
 この銀児からの脅しに決して屈するのではないのですが、こんな冷たく硬い土の上に、菰を被せられ、ほっぽり出されるように何時までも寝かされている政之輔の遺体を、はやく柔らかい布団の上に寝かしてやるのが、今一番にしなければならないことだと思い、政之輔さまを、とりあえず、大先生の家に連れてお帰りになられました。
 直弥様はお医者様です。政之輔の遺体を見ると、その死の原因が自ら選んだものではなく、誰か外の者によって撲殺されたということは直ぐ分りました。
 「どうして、なぜ」と言う思いが、時が経るに従い一層募ります。でも、それを解き明かす術は何もありません。銀児でもと思うのですが、それすら現実は不可能に近い状態です。家族中が、いやこの袋医療処全体が、どうしようもないいらだたしい無念の涙に、一人の若者の死に対する哀惜の涙に駆られるのでした。
 葬儀も内々でほっそりと済ませると、政之輔が住んでいた家の整理をと思い、直弥様は立ち寄ります。すると、どうでしょう。部屋と言う部屋は足の踏み場のないぐらいに荒されておりました。政之輔の死と何か関係があるのかもしれません。隣の人の話では3日前、奉行所のお役人数人が突然やってきて、ふくろう先生の家に上がりこんで、何にやら、一時ぐらいはあったでしょうか、どたばた大きな音をさせながら、何かしきりに捜していました。「まだ見つからないか」などと言う、お役人さんの声が時々響いて聞こえてきました。家捜しをしていることは確かでしたが、関わりを恐れて近所の人たちは戸を閉めてひっそり隠れるようにして、ただ聞き耳だけを立てていたのだそうです。
 そのお役人の中には、蝮の銀児親分の姿があり、間断なく人の心を射尽くすような鋭い目を輝かせながら人々を威圧するように外で見張っていたと聞かせてくれました。
 政之輔が普段使っている部屋が一番ひどくあらされていました。机の引き出しも畳の上に重なるように投げ出されています。
 それら引き出しの上にも、部屋中いっぱいに投げ飛ばされている、病人の病状を書き付けたものでしょうか、沢山の紙の上にも、無残に小山のように放り投げられた本の上にも、引きちぎられて捨てられるように転がっている床の間の掛け軸の上にも、開け放されている障子の間から、春風に誘われて舞い散りてきた遅桜の花びらが、哀れげに、主のいない部屋で行く春を惜しみながら淡雪のように静かに静かに舞を舞っていました。
 


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