私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 52

2008-06-15 09:23:53 | Weblog
 「是非、おせんさんの琴、聞いて見たいと思ったのですが、どうしても駄目になってしまったのです」
 急に、また、江戸言葉で、真剣な物言いをされます。

 「今、この国は、いや日本は、どうしてだかは何も分らないのですが、300年も続いた安泰の徳川様の世の中が、何かゆっくりとした大きな渦の中に引き込まれていこうとしているのではないかと思われます。国の外からも、何かが、この渦の中に流れ込んできて、その渦をより大きなものに変えるのではないかとも思われます。
 そんなとてつもない目に見えない大きくなっていく渦の中に、自分も、これもまた、どうしてかは分らないのですが、目に見えない力でどんどん引き寄せられているのではないかという気がしています。因縁といいますか宿世といいますか、そんなことでしか説明がつかないように思える、何か分らんのですが、大きな渦の中に呑み込まれようとしているのではないかと思われます。
 もう12年も前の話ですが、徳川の将軍様までを震撼させたあの大塩先生中心の大坂の天保騒乱は、もうとっくの昔に、何もかもきれいさっぱりと片付いて済んでしまっているはずなのですが、実は、まだ、その虚像だけは、幽霊のように、依然として、ここ大坂で生きていて、しきりに蠢きだしているのです
 その幽霊が、近頃、私の前にも、しきりに見え隠れするようになりました。香屋楊一郎が、父親であったというだけの関係から蠢きだしたのです。今、じわじわと私の近くにまで押し寄せて来ています。
 それは、今が、丁度、天保のあの当時の情勢と極似しておるからだそうです。
 米の値段は高騰し、庶民の生活を圧迫し、天変地変も各地で起き、その上、異国の船もしばしばこの国を伺って、人々の不安のいっそう煽ぎ立てています。
 そうなると、幕府も、再び、あの大坂で起こった大塩平八郎の天保の騒動が、今度は、大坂に京都に日本各地にと広がり、収拾がつかなくなるのではないかと思い、警戒を強めておるのだそうです。そのために、ここ大坂でも、大坂城代辺りがしきりに、大塩の残党狩りをしていると言われております。
 その残党が、大坂を中心にして、500人以上は、まだいるのではと噂されているからです。懸命に、それらの人々の動向を探っているのだそうです。その中には香屋政輔の名前もあるのだそうです。
 あの騒乱の時、父親をお縄にして、惨殺した銀児という親分が、何処からどうやってかは分らないのですが、袋政之輔が香屋楊一郎の息子香屋政輔と同一人物だという事を嗅ぎ付け、今、私の周りをしきりにうろついているのです。
 騒動になるような関りなどないのですが、いつどんなことが起こるかもわからない。「もう一度長崎に勉強に行って来い」と、しきりに叔父が心配して言ってくれます。私の周りには、たくさんの貧しい、そんな渦などにはなんも関わりも無いように、その日その日を、それでもただ懸命に生きている貧しい病気の人がいっぱいいますいます。その人たちを放り出して逃げていくのですから余り気が乗りませんが、今、長崎には、オランダから私の知らない全く新しい医学の知識や技術がいっぱい入ってきていると聞きいて、それらの勉強にとも思っていたものですから、叔父が「私にまかせよ」と、言ってくれましたので、1年か2年ぐらい行く事に決めました。
 明日から、ちょっと、先ほど言った渦の端っこにおる私の仕事のために京へ参ります。4,5日は掛かると思います。だから残念ですが、おせんさんのお琴が聞けないのです」
 と、おせんの琴の聞けない理由を長々と真剣におせんの顔を見ながら語ります。
 「それから、もう一つ、おせんさんにどうしても言いたいことがおますねん」
 と、今度は、急に浪速言葉に変えて、顔をやや下に向けたまま細々と恥ずかしそうに言います。
 「おなごが損だという話どす」
 
 おせんをじっと見つめながら政之輔は真剣に語ります。