私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

あせん 57

2008-06-21 09:15:09 | Weblog
 「明日、京へたちます。そのままと、言う事にもならないと思いますが。もう一度おせんさんにお会いしてから、長崎へ行こうと思っとります。緊急の連絡は松の葉の女将に頼んでありますさかい。何かの時は、女将から連絡してもらいますよって」
 と、政之輔は淋しそうに笑いながら言ってくれました。

 その日から、おせんの心には政之輔という、自分ではない、もう一人の人が胸の中に住み付き、何をするにしてもいつも二人でおるのだという、かって経験したことのない心の張り合いが感じられるのです。
 「女に生まれてようおました。」
 と、思うのです。
 満開に咲いた桜での元で開かれた「山越の琴の会」の日、松の葉の女将も駆けつけて、
 「ふくろう先生の分と二人分聞かせてもらいますよって、がんばってや」
 と、開演前の不安をかき消すように励ましてくれました。
 その会も無事に終わり、「よかったでぇ」と言う周りから聞こえてくる声と共に、何にもかもが一緒くたになって、桜の花びらのように、いっぺんに何処へともなく飛んで行ってしまいました。
 お慶と里恵の二人から、
 「鶯も山を越えはって、もうすぐおらんようになるさかい。ぶそんの句としゃれこんで梅が宿を訪ねてみまひょう」
 と、言う誘いがあったのですが、「体の調子が今ひとつですよって」と鄭重にお断りしました。
 今は何をするにも、今までは、あれほど楽しんでいた仲良し友達とのとおしゃべりも、大好きな梅が宿にも、全然、気が乗りません。心の中にいる政之輔だけと一緒にいる時を楽しんでいました。あの時、政之輔から預かった洗心洞箚記という本も丁寧に包み大切に大切に自分の部屋の戸袋の一番真ん中に置いておきました。
 「京より戻ったら、もう一度連絡します」といって京に上っていかはったきりで、その後四日たっても五日たっても松の葉の女将からは何の連絡もありません。
 おせんは「どうされはったのかしらん」と、心細い思いで、今か今かと、連絡の入るのを待っていました。
 あれから、丁度、十日目です。松の葉の女将から
 「取り急ぎお知らせしたきことあり候、至急、おいでをお待ちもうしており候 ゆき」
 と、いう一通の文をおせんは、胸騒ぎを覚えながら、受け取ります。