私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 45

2008-06-06 11:03:48 | Weblog
 おろおろしているおせんたちの所に、先ほどの店のご亭主が先に立ってお医者さんでしょうか若いお人を連れて上がってきました。
 「先生この人どす。見てやってくれはりますか」
 その人の顔を見て、おせんはびっくりします。その若い医者も病人のお側にいるおせんを見て、これまたびっくりしたようです。
 「あ、あなたは」
 と、殆ど同時に、顔をお見合わせ、はっとします。
 「あ この人、どうしてここに」
 と、こんな所でこのお人に逢うなんてと、なんだか気恥ずかしいような気まずいような思いをおせんは感じます。
 この店のご亭主と共に現れた若い医者も、お目の前に突如として現れたおせんに何か言いたそうに、これも、また、気まずそうにしていたようでしたが、兎も角も、今は病人をまず診ることが一番だと思ったのか、手際よくお慶の容態を診ます。頭に触ったり喉の奥を見たりしていましたが、最後に、お慶の左の手首を持ちながら言います。
 「今、はやりの単なる風邪だす。暖かいものをしっかり食べて、2、3日ゆっくりしていたら直るさかい。お薬あげます。だれぞ取りに来てはもらえまへんやろか。・・あ、あなたでも来てくれまへん」
 おせんを名指します。名指しされたおせんは、まだ、「この人、自分を覚えてくれていたのだろか」と訝っていましたが、そう言われては、承知せざるをえません。おせんが頭を軽く一振り、下げたのを見届けてから、お店のご亭主に籠の手配や、里恵には家まで付き添いをすることなど指示します。
 おせんに
「あなたは待っていてくださいな」
 と、言ってから、又、奥に入って行きます。
 直ぐ籠もやってきました。
 折角の梅ヶ宿も、こんな騒動で口にすることは出来なかったのですが、「まだ、桜までは当分はこさえておりますよって」と言う、ご亭主に励まされるようにして里恵に付き添われたお慶を乗せた籠はお店を出ていきます。
 籠が遠ざかっていく後ろを眺めていたご亭主は、思っていたより娘ごの病が軽かったからなのでしょうか、送り出して安心したからなのでしょうか、やおら
 「病人の籠も過ぎけり梅ヶ宿、と、言うのはどないなもんでっしゃろ」
 とか、なんとか、軽い独り言を言って中に入っていかれます。何のことやら分らないおせんは、ぽかんとそれを聞きながら、お慶の籠を、まだ、見送っていました。
 それからしばらくして、小脇に例の小さな包みを抱えてあの若い医師が出てきます。店先には、お慶の籠を見送ったままのおせんが、先ほどから待っていました。ご亭主もそのお上さんでしょうかお二人ご一緒に出て来られて慇懃にこの若い医者に挨拶をされています。一言二言、まだ、お店のお上さんに何やら言っていましたが「ごめん」と、ややえらそうに申されて、おせん向かって、
 「待っていただいて恐縮ですな」
 それまでの大坂言葉ではない、特別の俄江戸侍のような言葉使いで言うと、さっさと歩き出します。
「歩きながら話しまひょう。言い訳になるようで言いにくい話ですが。・・・あの時の宋源寺の手ぬぐいは、今もちゃんと、ここに持っています。ちょっと待ってくださいな」
 と、言いながら、道端のほとりにある「きょうへ」と言う小さな石の道標の上で、小脇にかかえていた包みを解きはじめます。
 「この人何するつもりかしら」と、おせんは、それでも立ち止まらないわけにものゆかず、その人の後ろで、しばらく待っていました。