私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

池田章政侯の嘆き

2009-12-11 12:51:13 | Weblog
後楽園にある「津田栄忠遺績碑」です。旧藩主池田章政侯が書いた永忠の業績を称えるための碑です。

    

  
 此の碑文を解説してもらうために、漸く健康を取り戻した例の中国語の先生「珍聞漢文」氏を訪ねました。 以下、彼の説明による。

 ここで章政侯は永忠について
 「・・君歴任二世 在職五十年 賛翼功績 不遑枚挙・・」と。

   
 二世とは藩主光政と綱政の二君です。賛翼(さんよく)とは、天子を助け支えることです。遑(こう)はいとま、ひまです。要するに、彼の業績をあげると切りがないほど沢山あると、章政侯は書いているのです。
 更に、こんな文も見られます。
 「・・・ 伯継補佐余祖 天下人々之所知至永忠則知之者或鮮矣 ・・・恨其如此・・・」と。
 これは、章政侯の「熊山蕃山は、天下にその名を知らない人はいないのだが、一方で、津田永忠は知っている人がいたって少ない」と、嘆いている言葉なのです。「鮮」とはすくない、とぼしい、まれであると、云う意味です。
 いつものように、孔子の言葉「巧言令色鮮矣仁」の例を引いて、又、あの説教じみたお話です。これが出るとようだと、彼の体力も元の通りに回復しているのであろうと、安心して聞いておりました。

 次にある「諗衆曰」と言うのは、「諗」は、「シン」と読み、「いさめる」「告げる」などの意味です。みんなに知らしめるためにこの文を書き、碑を建てたのです。

 この碑が出来上がったのが明治二十九年です。その頃には、まだ、永忠は岡山藩にとって、それほどの功績があった名臣とは思われず、名前すら消えてしまう程、所謂、「或鮮矣」と、歴史の中に完全に呑みこまれ、埋没してしまっていたのです。