私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

後楽園の最後の見所

2009-12-07 18:21:26 | Weblog
 約2ヵ月間に渡って、ああでもないこうでもないと由無し言を弄してまいりましたが、いよいよ最後になりました。

 慈眼堂の西には、その昔、藩士たちの勇ましい馬を駆る叫び声が辺りの松並木に木霊して、遥かお城までにも轟いていたであろう馬場がしつらえてあります。そこで馬を駆る勇壮な藩士たちの姿を見るべく馬場の中央付近横に観騎亭も備えてありますあります。更に、そのすぐ横には、馬場の下を貫いて、園の溝渠や大小の池沼を潤す水の取り入れ口も見ることが出来ます。
 園の西隅を占めている単調で、ただ細長いだけの、藩士の武芸鍛錬という庭園目的とは遠くかけ離れた異質な場所としての馬場にも、このような変化を与えて、園としての全体的景観を見ながら、唯心山や沢池などの他の場所との美的調和を、永忠は意図しながら、そこに、特に、「序破急」の観念を、敢て、取り入れて造園したのです。 
 この馬場の東の片隅みに豊碑が建っています。津田永忠の岡山藩での功績を称えて建てられた大きな石碑です。これが後楽園最後の見所なのです。
     

 碑の高さは9尺(約2.8m)あり讃岐の庵治石で、台石は六口嶋産の御影石です。
 この石碑に書かれている文は、旧藩主池田章政侯がお書きになられ、それを日下部東作という人が書いたのです。なお、この東作という人は当時日本を代表する書家でした。
 明治二十九年十月のことです。
 この文は明日から数回に分けて見ていこうと思います。