仰止録に目を通しておりますと、面白い記事が目に留まりましたので、又、横道に反れるのですが、ついてのことに記しておきます。
それは大洪水の被害にあった承応3年の光政侯の御膳部と正月御祝儀についてです。
御料理は「一汁二菜で、内、一焼き物 外に御香物」とあります。これが備前の殿さまの正月のお膳なのです。いくらなんでもと、思うのですがこのような質素な御膳で済ましたと書いてあります。
さらに、正月の祝儀も諸事倹約に努め、例えば、門松も、今までは65ケ所に立てていたのを25ヶ所に、又、総ての船に飾りを付けていたのですがの2艘だけに蔵にも一か所だけ付けて後は飾り付けをしなかったと書かれてあります。
徹底した倹約を、藩士には勿論ですが、藩主自らも実施したことが分かります。これぞ名君の名君たる所以だと思います
光政候は、この「倹約」について、常々、次のように言われていたと云う事です。
「倹約とは、家に倹して、国に勤ると言事にて、銘々、妻子奉養等の私を省きて、軍役公役を勤め、他人に誠を尽し、百姓を救う等の事也」
と。
それは大洪水の被害にあった承応3年の光政侯の御膳部と正月御祝儀についてです。
御料理は「一汁二菜で、内、一焼き物 外に御香物」とあります。これが備前の殿さまの正月のお膳なのです。いくらなんでもと、思うのですがこのような質素な御膳で済ましたと書いてあります。
さらに、正月の祝儀も諸事倹約に努め、例えば、門松も、今までは65ケ所に立てていたのを25ヶ所に、又、総ての船に飾りを付けていたのですがの2艘だけに蔵にも一か所だけ付けて後は飾り付けをしなかったと書かれてあります。
徹底した倹約を、藩士には勿論ですが、藩主自らも実施したことが分かります。これぞ名君の名君たる所以だと思います
光政候は、この「倹約」について、常々、次のように言われていたと云う事です。
「倹約とは、家に倹して、国に勤ると言事にて、銘々、妻子奉養等の私を省きて、軍役公役を勤め、他人に誠を尽し、百姓を救う等の事也」
と。