私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

美しい花

2009-12-08 15:01:22 | Weblog
 今朝の天声人語氏は、小林秀雄が述べたという「美しい花がある、花の美しさという様なものはない」について語っています。
 花そのものには、決して、美しく咲こうとか、又、その美しさを褒めてもらおうとかいう心は、これっぽっちも存在しないのです。在るがままの自然の己が姿を、ただ、そこに生物的に展開させているだけに過ぎないのです。それが、たまたま、人の目に触れて、それから来る視覚的な人間の感性が美しいと云う概念を作り上げただけのものです。花は花なのです。美しいのも、そうででないのもないのです。
 
 この記事を見て、さて、後楽園を作った津田永忠にも、そこらあたりの感覚があったのではと思われます。天声人語氏のように、この「花」を「後楽園」に置き換えてみました。
 「美しい後楽園がある、後楽園の美しさという様なものはない」
 
 無から有を引き出す感覚を美しい後楽園といい、有から無を導きだすような感覚を後楽園の美しさと呼ぶことが出来るように思えます。

 こんなことを考えながら永忠は後楽園を作ったがどうかは分かりませんが、森羅万象総ての物の中から、その陰と陽の、というより「普遍性」と言った方がいいのかもしれませんが、根本原理を応用しながら、又、その考え方を如何に取り入れるかを試行錯誤しながら、人まねでない独自の庭園を作り上げたことには違いないと思います。
 
 後楽園は、単なる広大で美麗な大名庭園と言うだけではなく、その立体的平面的構造の中に、「空」・「色」というか「無」・「有」という2文字を、随所に、しっかりと嵌め込んで作り上げた永忠の最高傑作の美術作品ではないかと、私には思えます。
 
 「美しい花」という新聞の活字から、またまた、横道にそれました。