私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

仰止録

2009-12-15 22:32:27 | Weblog
 岡山藩主池田光政候の言行録としての「有斐録」の記事から、蕃山の私策を書いたのですが、光政侯の言行録には、その他に「仰止録」と言う本もあります。
 その本を見てみますと、前の「有斐録」には記されてないことも2,3箇所見えます。
 これによると、この承応三年の秋に起こった備前の大洪水を光政侯は、参勤交代で岡山へ帰る途中の岡崎駅でお聞きになります。早速、情報収集の為に、津田半十郎を、急ぎ帰国させたそうです。
 此の津田半十郎と言う人は、どうも永忠の兄らしい人物です?
 「諸士の内には、粮米の乏しきものもあるべし、此段第一に心を付け、城辺の破損箇所は委細絵図になし置くべし」
 と仰せられとのです。 
 岡山にご帰国遊ばされてからも、非番の重役たちに命じて情報収集にあたらせたのだそうです。そして、被害の甚大なるをお知りになり
 「・・借銀仕るも、我に於て栄耀は可耻之、斯様の時、少しも不可恥事に候事・・」
 と、直ちに、農民たちの救助を命じます。
 その為には、いくら借財しても、そのことは決して藩としての恥じにはならない、栄耀、即ち、贅沢することによって借金する方が、もっと恥じるべきことだと、言われたと云う事です。

 どうです。何事にも、こんな藩主だったのです。光政候と言うお人は。

 なお、この「仰止録」と「有斐録」に記載されている内容で違うのは、借財を申し込むために江戸に派遣した人物だけです。有斐録では蕃山その人が出向いたと書かれていますが、仰止録では「梶田清衛門」という名前が書き込まれています。

 まあこうして、天樹院様のお陰で幕府より金四万両を借料しています。この天樹院様とは、岡山藩はいかなる関係があったのでしょうか?
 
 其の辺りのことを詳しく明日にでも!!!