あまり面白くもないのですが、せっかく調べてみたのですから書いてみます。
と、いうのは、この寂室と言う人は元から帰ってから暫くは、都には上らず備中や備後の国を順錫しています。そんな時に訪ねたのが吉備の中山にある藤原成親のさびれた墓跡であったようです。
寂室の足跡としては、この石碑の他に、高梁市にある頼久寺の開山第1祖にもなっています。その頂相が今もこの寺にあり、その面影を伝えています。(岡山県重要文化財)
この他、寂室は、「身亡王事只名存」等たくさんの詩歌を残しています。
中でも、次の詩は寂室の生き方をよくあらわしたものとして知る人ぞ知るです。
「名利を求めず貧を憂えず 隠所山深うして俗塵遠ざく 歳晩天寒し誰れか是れ友 梅花月を帯びて一枝新たなり」
この詩にあるように、自然を友としながら近江の永源寺で一生を終え、「永源寺派臨済宗」も打ち立てています。頼久寺は、今でもこの「永源寺派臨済宗」のあ寺でもあるのです。
蛇足になりますが、この寂室が著した「寂室和尚語録」には、吉備の中山を詠ん「春日遊吉備中山韻」という詩もあるそうです。
と、いうのは、この寂室と言う人は元から帰ってから暫くは、都には上らず備中や備後の国を順錫しています。そんな時に訪ねたのが吉備の中山にある藤原成親のさびれた墓跡であったようです。
寂室の足跡としては、この石碑の他に、高梁市にある頼久寺の開山第1祖にもなっています。その頂相が今もこの寺にあり、その面影を伝えています。(岡山県重要文化財)
この他、寂室は、「身亡王事只名存」等たくさんの詩歌を残しています。
中でも、次の詩は寂室の生き方をよくあらわしたものとして知る人ぞ知るです。
「名利を求めず貧を憂えず 隠所山深うして俗塵遠ざく 歳晩天寒し誰れか是れ友 梅花月を帯びて一枝新たなり」
この詩にあるように、自然を友としながら近江の永源寺で一生を終え、「永源寺派臨済宗」も打ち立てています。頼久寺は、今でもこの「永源寺派臨済宗」のあ寺でもあるのです。
蛇足になりますが、この寂室が著した「寂室和尚語録」には、吉備の中山を詠ん「春日遊吉備中山韻」という詩もあるそうです。