私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ここにも吉備が①ー南大門の野屋根

2008-11-10 19:56:37 | Weblog
 今日、私は、シモデンの「第60回 正倉院展」の見学ツアーで、奈良に行ってきましたました。今までに回数にすると20回はくだらないと思いますが、この正倉院展には参加しています。 
 今日限りだということもあって、沢山の見物のお人で、見るにも一苦労でしたが、一通り端から端まで、約2時間ばかり見学させていただきました。
 バスの出発まで少々時間がありましたので、久しぶりに奈良公園内を鹿にぶつかりそうになりながらぶらぶらと散策もしてみました。
 まず、この写真を見てください。
  ちょっとぼやけています(私の手が悪いのです)が、吉備津神社拝殿の野屋根ではないかと、お思いではないでしょうか。よく似ていますが、これは東大寺南大門の化粧垂木が見える野屋根です。天井は、勿論、ありません。
 この天井のない壮大な南大門の建築様式は「大仏様式」といって、初代東大寺再建のための「大勧進」を務めた重源が宋の国から持ち帰った鎌倉時代初めに流行していた建築様式なのです。
 当時、備前国から上がる租税を東大寺建設のための費用(造営料国)にするように定められたために、大勧進に任命された重源は、一時、備前一宮(吉備津彦神社の一角)に居を定めて住まっていたのです。
 その時、丁度、改築中であった吉備津神社にも、当時の最も新しい大仏様式を重源に教えられて取り入れたのではと言われています。それが拝殿の中の、天井のない野屋根なのです。
 重源の書いた書物にも「吉備津神社に仏像を寄進した」などと書かれているそうですから、吉備津神社の拝殿と重源とが何らかの関係があったことは確かなことです。
 だから、この写真だけをみると間違えるのです。
 しかし、実際にこの目で確かめると、その規模といい、格といい何もかにも大層な違いあり、比較の対象にもならないのです。これも上手には撮れてはないのですが一枚の写真をお見せします。ご笑覧ください。