私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  39

2008-11-06 12:25:18 | Weblog
 古墳について調べておりますと、どうしてそうなったのか理由がよくわからないものがたくさん出てきます。まあ、兎に角、5世紀前半までの吉備の国は、とてつもない、大和をも凌ぐ強大は力を持っていたことには違いありません。そんな一時、歴史には何も書かれていないのですが。吉備出身の天皇が現れたのではないかというのです。
 それを証明するものに、「吉備津神社」があります。

 平安朝の末頃、後白河上皇によって編集された「梁塵秘抄」という当時の今様の歌謡集があります。
 言わずもがなですが、、この梁塵秘抄には
 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が  身さえこそ動がるれ」
 「舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せて   ん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」
 「仏はは常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、  ほのかに夢に見え給ふ」
 などの流行歌が載せられています。
 その中の一つに、
 「一品(いっぽん) 聖霊(しょうりょう)吉備津宮、新宮、本宮、内宮(うち  のみや)、隼人崎(はやとさき)、北や南の神客人(かみまろうど)、丑寅み  さきは恐ろしや」
 と、云う歌謡が入っています。

 この[一品]、{いっぽん}とよみます。貴族に与えられた位が神社にも与えらた神階です。この一品を与えられた地方にある神社では宇佐八幡宮と吉備津宮だけなのです。
 なお、大宝令によると貴族に与えられた品(ほん)には一から四まであり親王に与えられたもので、臣下は品の下に位を与えられました、正一位、従一位などです。
 だから一品の神階を持った神社と言えば皇太子級の神社であって、吉備津彦命がいくら孝霊天皇の皇子であったからと言って、決して、一品の神階は授けられないのが普通です。もっと何か深い理由があったために一品になったのではと思います。天皇と直接つながった謎の人物をこの吉備津神社に想定せざるを得ないのです。