栄西について知らないうちにもう4回も書いてしまいましたが、「茶祖栄西」について少しばかりお話しします。
ある時、鎌倉の将軍実朝が、(愚管抄には、建保2年(1224年)2月4日とあり)病に罹り大変弱っていたのだそうです。それを聞いた栄西は良薬と称して茶を将軍に勧めたのだそうです。すると、たちまちのうちにその病が治り元気になったと言うのです。ある本によりますと、その病は、酒を飲みすぎた「二日酔い」だったと書いていますが、それが本当なのかもしれません。
その時、栄西はお茶と共に、自分が書いた「喫茶養生記」という本も録進しています。
この喫茶養生記には、次のようなことが書かれています。
1、身体が衰弱したり、気力が意気消沈したり、心臓が悪くなったりしたとき時
2、二日酔いの時
3、小便の通じが悪くなった時
4、脚気の時
5、疲れた時
によく効く。それが縁かどうかは分からないのですが、京都に帰って建仁寺を建立して、臨済宗を広めたのです。
そんな栄西を、愚管抄の慈円は「権力におもねる大悪僧だ」と、大層憎々しく思っていたとも言われます
ある時、鎌倉の将軍実朝が、(愚管抄には、建保2年(1224年)2月4日とあり)病に罹り大変弱っていたのだそうです。それを聞いた栄西は良薬と称して茶を将軍に勧めたのだそうです。すると、たちまちのうちにその病が治り元気になったと言うのです。ある本によりますと、その病は、酒を飲みすぎた「二日酔い」だったと書いていますが、それが本当なのかもしれません。
その時、栄西はお茶と共に、自分が書いた「喫茶養生記」という本も録進しています。
この喫茶養生記には、次のようなことが書かれています。
1、身体が衰弱したり、気力が意気消沈したり、心臓が悪くなったりしたとき時
2、二日酔いの時
3、小便の通じが悪くなった時
4、脚気の時
5、疲れた時
によく効く。それが縁かどうかは分からないのですが、京都に帰って建仁寺を建立して、臨済宗を広めたのです。
そんな栄西を、愚管抄の慈円は「権力におもねる大悪僧だ」と、大層憎々しく思っていたとも言われます