私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  52 細谷川を歩く①

2008-11-24 10:11:07 | Weblog
 昨日は、新嘗祭、即ち、自然の豊穣ーこれは人が生きていくための必須の神の恵みでありますーを神に感謝する日です。
 あまりにもよい天気だったものですから、私の小さな畑から採れた農作物への感謝の気持ちを込めて、吉備津様にお参りして私の新嘗祭にしました。本殿で祈りをささげたから、「もみじは如何に」と思い、長い回廊を通り、細谷川に歩を進めます。
 毎年のことですが、この谷のもみじは紅葉しないのです。まだ、夏の青さをそのままに頑なにしっかりと守っているのです。決して赤くはならないのです。緑から茶色、そして落葉と、赤を省略した、あまりにもあっけない幕切れを見せる不思議な谷のもみじです。
 その原因は、周りにあるくぬぎなどの大木に夏の光を遮られて「赤」に変化するかえでの葉っぱの中の酵素が作られないからだと言われています。
 それにしても、真っ赤な秋のあの美しさを心待ちにしている者に対してちょっとわびしい思いをさせてくれます。周りを覆い尽くすあの大木を切り倒せばと思うのですが、それだって、あの夏の万緑のなんとも言われないすがすがしさが味わえなくなるし・・・・。この谷川の四季を愛する者をして「どちらを」と言うジレンマにしばしば陥れてくれます。

 まあ、そんな山道にあれやこれやと思いめぐらせながら上がっていきます。それでも、時々、谷川の向こうの山の斜面には日当りのいい場所もあり、そこに生えている楓の木でしょうか、一本だけやけに真っ赤に染まって、いまだに青々としていろ谷川のもみじの木をうらやましがらせているような光景に出くわします。
 そんなわずかの赤がちらっと梢越しに見えてくる光景に出くわすと、何か本当にほっとしたような気分にさせてくれます。心和むような気分に出くわすのも、11月23日に、この細谷川沿いに上る楽しみでもあります。秋の素晴らしさに出会う最高の喜びでもあります

 谷川を登りきって御陵へ、そして、だらだらと続く落ち葉の山稜を通り有木へと下ります。その道はまた数々の不思議さに出会える楽しみの道でもあります。今日は「この山にはありませんよ」と言われていた「ウラジロ」を数株見つけました。
 山って、自然って、どんなな名画を見るよりも、行き慣れた普通の道だと思っていても、何かしら毎回深く心を打つものがそこらじゅうに落ちています。
 「いつもあるのですよ。あなたの眼に見えないだけですよ」
 と、言っているようでもあります。
 今、生きてるという気力が体の中から湧き上がってくるようもあります。

 私一人だけでなく大勢の人に、こんな自然の美しさを味あわせてあげたいと思いながら、かさこそと鳴る落ち葉を踏みしめながら、誰もいない山道を小唄混じりに秋を満足しました。