私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  50  雪舟の里ー赤浜  

2008-11-22 21:54:28 | Weblog
 栄西は、特に、わが町吉備津から出たお人ですが、この他に吉備出身の歴史上の人を上げると、吉備津のごく近くから出た雪舟がいます。
 雪舟は、現在は総社市になっていますが赤浜で生まれています。
 その昔、吉備津彦命の射た2本の矢のうちの一本に当たって温羅が流した血が血吸川に流れ、辺りの浜が真っ赤に染まったから付けられたという「赤浜」から出た人なのです。
 もう、雪舟については十分にご存じですので、長ったらしい説明は省きますが、あのねずみを書いたとされる本堂は今はありません。流星か何かによって焼失してしまったそうです。
 その本堂を焼き尽くした真っ赤な炎は、今は、沢山の楓の紅葉となって境内全体を真っ赤に焼けつくしています。
 今日明日ぐらいが丁度見頃です。いっぱいの車で混雑を極めていますが。

 なお、雪舟が生まれた「赤浜」は、今は、それこそ何もありんせん。ただ広々とした田園の風景だけがわびしく佇まっている中に、一人秋だけが大の字をいっぱいに広げています。「赤浜」と言う名のみが秋の深まった野山に無言で佇んでいるようでもあります。
 この「赤浜の里」に、雪舟がどのような思いを抱いていたのかいっさい歴史から消え去ってしまってわかりません。
 思うに5,6歳の幼子が父母のもとを離れて一人で生きていった歴史はいかばかりでありましょうや。彼の残した言葉の中からは「赤浜」と言う字はついぞ見出だすことはありせん。再び、故郷に立ち寄ったと言う記録も見当たりません。
 この「赤浜」は、彼にとっては懐かしいふるさとではなかったのではないでしょうか、何か思い出したくなくなるような嫌なことがあったのかもしれません。ただ、赤浜の武士の子に生まれたとのみ記されています。父母の名もわかりません。その家の跡すらどこにあったのかも遥として知ることはできません。
 何にもない、ないないずくしの里なのです。本当に何にもないのです。さびしい村里です。
      

 こんな備中の片田舎から出た「雪舟」の絵をせめて眺めて、秋の夜長の哀愁をしみじみと思いやっていただけたらと思います