主日礼拝 使徒16章5~15節
今朝は聖霊降臨日、ペンテコステの恵みを覚え、礼拝を捧げることのできます幸いを感謝します。先に、大阪キリスト教連合会による「教会一致祈祷文」をもとに祈りを合わせました。コロナ禍にあって諸教会の礼拝をはじめ活動が困難な中で、こうした教派を超えた一致の祈りを共に捧げることは大変意義深いことですが。心を一つに主に願い求め、「人の思いを超えてお働き下さる神」に信頼と期待を新たにしてまいりましょう。
本日は使徒言行録16章からみ言葉を聞いていきます。この箇所は主の福音がマケドニア州(ヨーロッパ)のフィリピにまで拡大していく転機となったところであります。
まず、当初パウロたち一行はアジア州(西トルコ地域)やビティニア州(北トルコ地域)へ出向いて福音を伝えようと計画を立てていました。しかし彼らの計画は度々、阻まれてしまうのです。
6節には「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。「聖霊から禁じられた」。
パウロが書いたガラテヤの信徒への手紙を読みますと、「知ってのとおり、この前私は体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」(4章13節)とあります。パウロは体が弱かったために自分が立てていた計画を変更せざるを得なくなったが、そのことによってガラテヤ地方で福音を伝えることとなった、とあります。人間の側に様々な事情が起ってきて、予定していたことができなくなる。逆に思いもしなかったことを始めることになる。そんな時がございます。けれどもそこに絶えず信仰と祈りがあるならば、聖霊の風が吹き、神の業へと導かれてゆく。それは歴史の中に今もお働き下さる神の事実であります。
又7節、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った」とあります。
「イエスの霊」とわざわざ記すのは、イエス御自身がご計画をもってすべてを持ち運ばれたのだという確信を得たからだと思います。
パウロが持っていた当初の伝道計画は、このように聖霊によって禁じられ、イエスの霊がそれを許さなかった。人の側の計画に神の「待った」がかかり、人の思いを超えて万事を益となす、最善の神のご計画が実現していくのです。
そのような中、9節「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてださい』と言ってパウロに願った」とあるように、いよいよ神のご計画が明らかにされます。
伝道や宣教の業が一向に計画通りに進まないような折にも、又、弱さを覚える苦しみの中でも、パウロは主の御心をひたすら祈り求めていたにちがいありません。そこに主は幻を与え、「それに向って行け、旅を続けよ」とおっしゃるんですね。
私たちの今の状況はまさに人生の想定外といえます。けれどもこのパウロのように、主のご計画に期待し、祈り求めていく人生の旅を歩んでまいりたいものです。
ところで私たちが旅行するとき、持っていくものは何でしょうか。着替え、洗面具、カメラ、旅費、常備薬、聖書などでしょう。パウロはそういった物をもっていったかどうかわかりませんが。パウロにとって最も大事な携えもの、それは信仰という杖でした。讃美歌に「信仰こそわが身の杖と頼まん」という歌詞がありますが。どんなときも、どこにいても、主がともにいてくださる。聖霊が導いて下さるという確信と祈り。イエス・キリストを救いの主と信じ、この信仰の杖に依りすがりつつ、救いの証を立てる人生の旅を私共も続けてまいりたいものです。
さて、幻を見たパウロは、すぐさまマケドニアに向けて出発します。
ここからパウロとシラスの3人の旅に、この使徒言行録を記したとされますルカが加わっていきます。それまでのパウロ、シラス、テモテを指す「彼ら」と記されているのが、この10節から「わたしたち」という表現に変わっています。「わたしたちはすぐにマケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召しだされているのだと、確信するに至ったからである」と記すのです。
ここで肝心なことは、パウロに与えられた福音伝道のビジョン・幻がパウロ個人のもので完結せず、「わたしたち」という主を信じて生きる人たちに共有されたということです。ルカは医者であったといわれていますが、過酷な伝道の旅と迫害の傷から何らかの病気や障害を抱えていたパウロのそばに付き添いながら、マケドニア州・ヨーロッパ伝道を伴走することになったのでありましょう。
パウロがさらなる異邦人への福音伝道のビジョンを抱いて踏み出した時、主はシラスを備え、次にルステラでテモテを伝道の働き手として与え、さらにトロアスにおいてビジョンを共にする協力者としてルカを加えられていったのであります。主の御心に聴き、応えて踏み出す時、聖霊はビジョンを共にする協力者や理解者を送ってくださいます。
今、コロナ禍の状況にあっても、いや、このような状況だからこそ、主の福音は多くの人に求められているのではないでしょうか。主のご計画、主のビジョン・幻が、立場の違いや従来の枠組みを超えてよりゆたかに聖霊の導きを得られていきますよう、希望をもって祈り求めてまいりましょう。
さて、パウロたち一行の最初のマケドニアでの福音伝道地はフィリピでした。それは「とある安息日の川岸での祈りの場所」から始まったのです。まことに小さな集まりが、まるで水面に小石を投げたその波紋が大きく拡がっていくように、後にヨーロッパへと拡がり、主の教会が各地に生まれていくことになったのです。
私たちの大阪教会の出発点はどうだったでしょうか。
「日本バプテスト大阪教会40年のあゆみ」という記念誌に前々任の牧師であられた中島先生が書かれた文章の一部をご紹介します。
「1950年9月、宣教師A.L.ギレスピー師御一家が来阪し逢阪上ノ町に居を構え、広島バプテスト教会を母教会として大阪開拓伝道が開始されました。まだ戦後の焼け跡がそのままといった所もある時代でした。1951年3月に教会組織をしましたが、1952年施工の旧会堂の前の通りは計画道路で狭く、チンチン電車が走っていました。やがてトロリー・バスに代わり、更に市バスに代わり、そして地下鉄が新設され、『谷町筋』となりました」とあります。そういう情景の移りゆく中で、福音伝道は祈りと献身によって推し進められていきます。
長年南千里教会の牧師としてお働きになられた福島先生は、大阪教会で受浸され大阪教会で3年、堺教会の開拓伝道に3年、その後南千里教会で牧会されたのですが。福島先生がその40周年記念誌にお寄せになった一文に、次のように記されています。
「片言のギレスピー師の指導で右も左もわからぬ20名弱の信徒が毎週祈祷会に全員出席し、折りたたみの椅子を丸く囲んで祈り、全員で路傍伝道に、駅でのチラシ配りに、とにかく、『お言葉ですから網をおろしてみましょう』(ルカ5:5)という自発的な信徒伝道が出発点であったことを思い起こしています。何でもとにかくやってみよう、失敗すればまた出発点に戻って祈ってやりなおせばいい、というのが合言葉だったように思います」とあります。
祈って聖霊の働き、神の導きを求め、福音の証となる業にひたすら務めて行かれたのですね。こういう先輩方の活きた言葉に触れるとほんとうに元気を戴くものでありますが。私たちも置かれた所で、主の福音の恵みを分かち合う者とされ、又主の教会を通して神のご計画とビジョンを共にして、祈りを合わせて進んでまいりたいと願います。
聖書に戻りますが。パウロら一行の福音伝道ですが、彼はやみくもに伝道したわけではありません。まず、求道の心をもった人たちのところへ向います。異邦人でありながら、ユダヤ教や旧約聖書に関心を寄せていた人々のもとに足を運び福音を伝えるのです。
その中で、川岸の祈りの場に紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人がいて、「主が彼女の心を開かれたので」、パウロの語る福音を受け入れ、主を信じ、彼女も家族もバプテスマを受けました。ここにも神のご計画が示されています。
大切なことは、パウロらに説得力があったから受け入れたというのではなく、「主が彼女の心を開かれた」ので主を信じた。主が彼女の存在をお用いになり、ゆたかに福音の実りをもたらそうとご計画なさったのです。
ルディアは高価な紫布を商う婦人であったそうですが、異邦人でありながら神をあがめていたということです。天地万物をお造りになられた唯一の神を畏れ敬う人でありましたが、旧約の預言に記されたメシアについてはまだ何も知りませんでした。しかし、彼女はパウロの宣教を通して、聖霊の導きにより心開かれ、「イエス・キリスト」こそ、人類の罪をあがなうために十字架にかかり死なれ、三日の後によみがえられた救い主・メシアであることを知るのです。
このところで特に心に留まりますのは、救いがリディアだけでなく、彼女の家族一同も信じてバプテスマを受けたという点であります。使徒現行録には家族全員が主に立ち返り主を信じて、バプテスマを受けたという家族の救霊についての記事が今日のこの個所を含め4か所もあります。10章以降の百人隊長のコルネリウスとその家族。16章25節以降の看守とその家族。18章8節にはユダヤ人の会堂長のクリスポとその家族です。使徒たちによって福音が伝えられ、その地において家の教会ができていくのでありますが、その核は家族単位であったのです。この家族は血縁の家族以外にも遠い親類縁者や雇い人まで含まれていたようであります。
少子化と核家族化した今日の時代において、逆に家族伝道のもつ意義は大きいのではないでしょうか。1人の救いの祝福が親族・知人・友人の祝福と広がっていきますよう祈りつつ、努めてまいりましょう。
ところで、このリディアがフィリピの福音伝道の核となる人物として召しだされた点については、なるほどと思えることが今日の個所から読み取れます。
それは15節、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言って、パウロら一行を招待し、無理に承知させた、というところです。
えらい強引だなと思いますが。それほどまでに彼女は福音の喜びに満たされたのだと思います。又、その喜びを素直に大胆に表せる人であったのでしょう。主のために自分の家を開放することに喜びを感じ、そうせずにおれなかったのです。神はリディアの心を開かれましたが。彼女はその開かれた心で家庭をオープンにしたのです。家を主の為に開放し、ささげ、働きのために用いられることにさらなる喜びを見出したのです。ここにフィリピの教会の前身がありました。「喜んで仕える者を主は愛して下さる」という聖句がありますが。この「喜びをもって」ということが事の大小に勝って大切なんですね。
その後のフィリピ教会はパウロの書いた「フィリピの信徒への手紙」を読みますと、いかに愛と慰めに満ちた教会として成長していったかを伺い知ることができます。主によって自らを開き、喜びをもって仕え合う事が、どれほど祝福をもたらすものであるかをそれは物語っています。
本日の箇所において、当初パウロたちが立てた福音伝道の計画が度々阻まれるようなことが起こりましたように、わたしたちにとっても昨年来より未曾有の新型コロナウイルス感染症が世界中に拡がり、教会の礼拝はじめ諸活動が思うように出来ないといった今までに経験した事のない事態が起こっております。
しかし、このような今だからこそ、この時だからこそ、わたしたちのなし得る福音の証があるのではないでしょうか。本日は聖霊降臨・ペンテコステの礼拝です。心を一つに祈るところに今も聖霊はゆたかにお働きになられます。
先に「教会一致」の祈りを主にお捧げしました。又、今教会に集まることができなくとも、主にある家族として、互いのことを覚え、祈り合っていくことは、必ずや霊的祝福と養いとなっていきます。
今週から皆でその時々の祈りのリクエストを出し合い、毎日誰かから祈られ、誰かのために祈っているという、主の教会につながってこその祈りの輪を、今まで以上に実感出来るよう形づくっていきたいと願っております。
大阪教会は今年1月に教会創設70周年を迎えました。世は移り、人の思いは様々ありましょうとも、この地にあって神のご計画は確かです。主にこそ信頼し、福音の扉がさらに開かれ、主の御救いと栄光が顕わされるために聖霊のお働きを祈りつつ、今週もこのペンテコステの礼拝から歩み出してまいりましょう。